第16話 全てがもう思うままだ――5
霊気の圧の中で、櫻子と黑は足を動かす。
アーケードに敷き詰められたタイルを蹴って鬼人種に接近した。
二人に気が付いた鬼人種が触手を横なぎに掃った。
櫻子はその身より遥かに大きな大太刀を横なぎに振るってそれを斬り裂いた。鮮血と肉片を撒き散らしながら鬼人種が苦悶の表情を浮かべ、もう一本の触手を鋭く伸ばした――が、それは櫻子には届かない。黑が繰り出した鋼線ワイヤーが触手を細切れにし、床に肉片と体液をばらまいた。
鬼人種は、残った触手を動かして目の前の二人の退魔士を始末しようと触手をうねらせ、鬼人種の真正面、横に並ぶ二人の退魔士を触手で薙ぎ払う――その直後。
黑の肩を蹴って、翼が触手に飛び込む。
◇
「なっ」
正面。目の前の二人ばかり注視していた椿は、その背後の死角からやって来るもう一人に不意を突かれた。
――まずい。
大太刀を持つ退魔士と執事の退魔士は、触手を持つ椿からは距離を取って戦っている。できることはせいぜい迫り来る触手を斬り裂いて処理することくらいだ。
だが――この日本刀を持った退魔士は違う。
触手をものともせず、懐に潜り込むほどの胆力を持っている。
これは椿の戦闘経験の少なさによる不注意だ。彼女こそ警戒を向けなくてはならない相手だったのに、目の前の敵の処理ばかりを考えていた。
自分の身を防ぐための触手はずたずたになっている。今頑張って霊気を回して回復させたとしても、防御姿勢を取るのは困難極まる。
そんな思考にリソースを裂かれていたせいで、椿の動きがわずかに遅れた。
刀が椿の触手を二つに割る。
椿の視界に――目を大きく見開き、舌なめずりをする少女の表情がいっぱいに映った。
刀を横なぎに振る構えを見せた。
――どこを狙うつもり……?
――脇? 首?
――狙うなら首だ。
とっさの判断で残った触手に霊気を回して回復させ、触手で顔と首を守った。
◆
翼の刀は触手を深くえぐったものの、鬼人種の首には届かなかった。
「へぇ、さすがに首を刎ねるまでとは行きませんでしたか」
鬼人種の背後に着地し、軽くステップを踏むように鬼人種から距離を取った。
ゆるりと、気色悪い触手をうねらせながら鬼人種が振り返る。
その人の血と肉と骨をミキサーにかけたような色の触手。そいつで大勢の人間の命を奪い、喰らってきた。
このバケモノは大勢の人間を葬っていた。
こいつらの自分勝手な「愛」とやらのために、無残に、尊厳すらない死を与えられた。
人の死は安らかなものでなくてはならない。鬼人種の残虐性はそれを絶やすく踏みにじるのだ。
それに――翼もその毒牙に薙ぎ払われそうになった。だけど、それを救ってくれたヒトがいた。彼女はまだ、目を覚まさない。
それを思うと――どうしてだか、翼の胸はイラついていた。
翼を庇った彼女は鬼人種だ。表向きは仲良くしていても、裏では彼女と距離を取っているつもりだった。
あくまで仕事上の都合で協力関係になっているだけ。それだけ。そのはずだった。
だと言うのにあのバケモノは。
あのバケモノが、あの一撃を繰り出したのが全てのきっかけだ。
あの一撃さえなければ――翼は、レインという
「……やはり、あなたを一番警戒すべきでしたね」
紅い瞳を滾らせて、真の獲物を見据えている。
だが――翼は、そんな視線に晒されようとも不敵に笑みを浮かべていた。
「本当にそう思います?」
ふっ、と言葉を零して首を傾けた。その直後。
「ぐはっ!?」
後方より飛来した黒い槍に貫かれ、鬼人種が前傾に倒れ込んだ。
◇
「あ……え……?」
即座に自分の身に何が起こったのか、気付くのに数秒の時間を要した。
黒い武器――鬼の武器、『
そいつが椿の胸を貫いていた。
「私を警戒するのは正解でしたが、私だけを警戒するのは不正解でしたね」
背後からの槍の投擲。
そういえば、退魔士と手を組んだ鬼がいる、という話を聞いた。
鬼でありながら、鬼の存在を社会から葬り去ろうとする連中が。
退魔士と手を組んだ彼らの名前は『鬼人種情報統制局』、だったか。
「さて、大人しく首を落とされてください」
翼が言葉と共に、日本刀を振り上げた。
◆
同刻。
東区北部の路地にて。
山添は、両手を拘束されたまま車を下ろされた。
「彼、どうします?」
開口一番、不動が古賀に問いかけた。
「処分するならワタシたちで行いますが」
「は、は……? しょ、処分って」
不動の言葉に山添は震えながら声を上げた。
「不必要に怖がらせないであげてよ不動監視官。こいつは確かに人の破滅が見たくて仕方ない救いようのないクズだけど、利用価値はまだあるよ」
怯える山添の肩に手を置く。が、その目からは「そう簡単に死ねると思うなよ」という意思があった。仲間の死を侮辱した罪はそう簡単に濯げるものではない。
「利用価値、ですか?」
「内通者としての利用価値だよ。こういうの、そう簡単にぽいって捨てちゃうのもったいないでしょ」
いつの間にか山添の首根っこを掴んでいた古賀が朗らかに笑った。
「なるほど。使いようによっては情報源になり得るんですね」
「お……俺に人権はないのかよ……?」
「この状況であると思ってる方がおめでたいよ」
退魔士は裏社会の人間でもある。必要とあらば、人道から外れたことだってする。
この程度のことは日常茶飯事だ。
――まぁ、翼ちゃんにこんなことさせられるかって言ったら、……ねぇ?
二人同時に、注がれる殺意に気が付いたのはその直後のことだった。
不動は鎌型の
だが反応するも虚しく――二人の間を何かが通り抜けた。
「ぐえ」
潰されたカエルのような声。首根っこを捕まえていた山添の体がだらんと脱力した。古賀は手を放し、山添をアスファルトに放った。
山添の生死を確認したいが、目の前の敵から目を離すわけにはいかない。
「しつこく電話が来るもんだから何かと思えば――こんなところで油を売っていたとはな」
白衣の男。だがその姿は研究者や科学者のような堅いモノではない。
センターパートの金髪。両耳にはピアスがいくつも付けられており、柄物のインナーに薄汚れた白衣は袖をまくっている。
いかにも輩、という風体。白衣であることを除けば、淀代にはよくいるチンピラだ。
何かを投擲したと思われる右手を提げる。その腕には、のたうつ蛇の刺青が施されていた。
「もしかして、アンタが
「――忌々しい名だ。己の大義のためであれば何を犠牲にすることも厭わない。だが――『朽那』の名は淀代の街では有用だ。ありがたく利用させてもらっている」
『朽那医療』の関係者だと聞いていたが、まさかこんなチンピラとは思わなかった。――が、淀代の裏社会に根を張る者として、これ以上に会った姿はないだろう。
――なんて、感心してる場合じゃないか。
「お前は『宰都特殊警備』とやらの警備員か。で、そっちは『情統局』とやら所属の鬼か?」
「おや、予習はバッチリのようですね」
「『ブラッディ・ベリィ』をばらまいてるのはアンタ? 一体何の目的で?」
古賀が問いを投げる。
朽那がポケットから手を出した――その両手の指の間に、四本ずつの医療用メスを挟んで持っていた。
「語る義理はない」
朽那が右手のメスを投擲する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます