第17話 全てがもう思うままだ――6

 椿の首に、ギロチンのように刀が振り下ろされようとしていた。


 鬼の少女は、絶望に頬を濡らす。


 口の端から真っ赤な血を零し、胸を貫いた槍を血液が伝い、赤い水たまりを作っていた。


 ――私は、このまま殺されてしまうの?

 ――いや、ダメだ。


 ――お前は、


 ――両親に愛されなかったお前は、その幸せを奪われた。

 ――だから、生きなくちゃいけない。

 ――生きて、とり戻さなくてはならない。


 椿に、戦いというものを教えてくれたあの金髪の蛇の男の人は、そう語っていた。


「私は――まだ、」


 胸に突き刺さった槍を両手で掴む。

 吸血器は、鬼の霊気によって形成された武器。つまりこれは、鬼にとっては燃料そのものだ。


「死ぬわけにはいかないんです――――!!!!!」


 ぎゅっ、と槍を強く握りしめる。めきめきと音を立てて槍は軋む。


 やがて黒い煙を上げながら、椿の両手から吸血器の霊気を吸収を始めた。



「なっ」


 刀を鬼人種に振り下ろしたが、その刃が鬼人種の首を断つことはなかった。


 がきん、と音を立てて刃は弾かれた。

 あっけに取られていると、翼の体が弾き飛ばされる。


 ついさっきにも見た霊気の衝撃波。だが、今度はその濃さのレベルが違った。


 目に見えるほどの黒い霊気の砂嵐が、椿を中心に渦巻いていた。


 吹き飛ばされて頭を打った翼は、朦朧とする視界の中顔を上げ、目の前の光景に息を呑む。


「なんですか、アレ」


 黒い砂嵐は次第に形を変え、鬼人種と融合を果たしていた。


 アレは、「羽」だ。

 宗教画なんかでよく見る、悪魔が生やしているような羽だった。


 鬼人種の体を包み込むほどの巨大な羽を羽ばたかせ、鬼人種はアーケードの屋根を突き破って外へと逃げ出した。


「待て!! っ、クソッ」


 立ち上がり鬼人種を追いかける――が、よろけて倒れてしまう。


 ――アイツを殺さなくちゃ。

 アレはもう満身創痍。完全に黙らせられるまでもう少しのはずだった。


……」


 頭を押さえた指の間から赤い血が流れ、床に三滴のシミを作る。

 さっきの衝撃で怪我したのか、先日の傷口が開いたのかわからない。

 強く頭を打ったせいで吐き気すらする。


「おい」


 頭上から声がした。


「ターゲットは逃亡した。任務は、失敗だ」


「……失敗? あは、そんなわけないでしょ。アレを殺すまで任務は終わりませんよ」


 月夏の言葉に、鼻で笑い飛ばしながら翼は返した。

 だが月夏は、ふらふらと立ち上がる翼の腕を掴みながら首を横に振る。


「そんな体で何ができるんだよ。追いかけたところで殺されるだけだぞ」


「そんなの、やってみなきゃわかんないでしょ!」


 月夏を見上げて翼が吠えた。


「……なんで、お前らは」


 月夏は翼を見下ろす。――まるで、憐れなモノを見るように。


「人間は弱いのに、どうして戦うんだ。短い寿命で、戦闘に向いてない霊気で。お前らは戦う必要なんかないだろ」


 ――どうして。


 月夏の目は、その四文字を物語っていた。


「は、あは、……何ですか、そんな目で見ないでくださいよ」


 頭を打ったせいか、酷い眩暈に襲われる。立っていられないほど、視界が真っ黒になり――翼の意識は遠のいた。



 人間は弱い生き物だ。


 あらゆる感情に流される心も。

 容易く死に至る肉体も。


 だから、無駄なことをしないで大人しく暮らしていればよかったのに。


 それなのに、武器を持って戦い、死んでいく人間を月夏は飽きるほど見てきた。


 その生に悔い一つない、と語った者もいれば、心残りを嘆きながらこの世を去った者もいる。


 もっと幸せに生きられたんじゃないのか。


 死んでいく人間を見送りながら、もう届けられない言葉を奥歯で噛みしめていた。


 人間は弱いのに、どうして戦うんだ。


 昔、ある退魔士の男に問いかけたことがある。

 その男が返した言葉は――――


「僕が僕であるためだよ」


 清廉な微笑みの天女と見紛うほどのその男は、白い頬で笑っていた。

 その言葉の意味は今でもわからない。

 元からのらりくらりと、嘘か本当かわからないような言葉で話す男だった。


『死神』などと言う、その風貌からはかけ離れた呼ばれ方をしているその退魔士の男の言葉のせいで、月夏はますますわからなくなった。どうして、人間は戦うのか。


 それは三百年経った今でも同じだ。

 どうして人間は戦い続けるのか。答えはまだわからない。


『そんなの、私が退魔士だからですよ』


 箱崎翼はそう答えた。


 ――そんなの答えになってないだろ。


 三百年ぶりの問いに、三百年ぶりの苛立ち。

 ――やっぱり、人間なんて俺にはわからない。



 山添の息の根を止めたのは、朽那の持つ医療用メスだろう。投擲されたメスを特殊警棒ではたき落とした。


 相手の戦力は未知数。人間なのか鬼人種なのかすらまだわからない。


 鬼人種の厄介なところだ。発紅はっこうが起きない限り、身体的特徴が人間のそれと何も変わらないのだ。


 だが――叩いてみないことには何も始まらない。


 目の前の朽那に一歩、二歩と接近する。それを掃うように朽那が再びメスを投擲した。飛来したメスを再び特殊警棒で弾くと、朽那へ一気に接近した。


 特殊警棒を握りこんだ拳を朽那に叩き込む。


 遠距離からの投擲による牽制。自分の居場所を悟られたくないかのような行動。


 ――見たところ、接近戦はあんまり得意じゃなさそうだ。


 が。


「甘く見られたものだな」


 古賀の拳は朽那に届かなかった。

 拳を受け止めた朽那の手、指先に力が籠る。

 直後、古賀の視界がひっくり返る。一体どうやったのか――古賀には何もわからないが朽那は片手で古賀の態勢を崩した。


「くっ……!」


 背中が叩きつけられるより前に体を捻り、アスファルトに着地。弾みをつけて飛び上がり、上段後ろ蹴りで朽那の顎を蹴り上げた。


 手ごたえは有り。後方に飛び距離を取った。


 朽那は、舌か唇を噛んだのか口元に血が滲んでいた。


「甘く見てるのはどっちかな?」


「……フン、これだから退魔士は」


 ほくそ笑む古賀に、朽那は汚物を見るかのような顔で吐き捨てた。


「野蛮極まりない」


 一体どれだけの医療用メスを隠し持っているのか。白衣の内側から、再び医療用メスを取り出した。その瞳は紅い――鬼人種のものだった。


「不都合なものは力でねじ伏せ黙らせる。そうやって消された者たちがどれだけいるか知っているか?」


「いやいや、退魔士に消される連中なんて皆碌でもないでしょ。被害者ヅラする前にその武器下ろしてくんない?」


「断る」


 朽那がぴしゃりと発し、再びメスを投擲しようとした――そのときだった。


 上空から飛来した何かが、アスファルトを割りながら落下した。

 黒い霧のようなものを纏った修道服の少女。報告に聞いていた、笹原を殺した鬼人種だ。


「どうかしたか、椿」

「せ、先生……助けてください」


 胸から血を流し、椿と呼ばれたシスター鬼人種が朽那に助けを乞うた。


「……重大な負傷だな。すぐにでも手当しなくてはな」


 突如、医療用メスが飛来する。反射的に特殊警棒で弾いた。視界が奪われたその直後――周囲に煙が充満する。


「煙幕か」


 すでに朽那とシスター鬼人種は路地から消えていた。


「逃げられてしまったようですね」


「ほんとだよ。ていうか、何で加勢してくれなかったわけ?」


 不動九徹はずっと車のそばにいた、のだが、古賀と朽那の戦闘には一切手を出そうとしなかった。


「せっかくですし、ちょっと戦闘を観察しようかなと思いまして」


 片手をひらひらさせて、胡散臭い笑みを浮かべて不動が答えた。


「はぁ、呑気なもんだな……」

 自分のペースで好き勝手生きているのが鬼人種だ。

 正直、こういうところが苦手なんだよなぁ、と古賀がため息を吐いた。

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