第13話 全てがもう思うままだ――2
陽の落ちた東区の街に出る。
すでに大通りには屋台が並び、昼間とは違った彩りが街を包んでいた。
「張監視官とは会えたか?」
「会えましたよ。まだ眠ったままでしたけど」
翼の素っ気ない言葉に月夏は「そうか」と短く返した。
「さーて、例のシスター鬼人種とっとと尻尾を掴みたいところですけどね〜」
今のところ逃げられてばかりだ。あんな恐ろしいバケモノに街を好きに闊歩させ続けるわけにはいかない。
『あー、こちら「小鳩」。聞こえますか「蝙蝠」』
『小鳩』――恋のコードネームが翼のインカムに届いた。
「こちら『蝙蝠』。聞こえてまーす。どうぞー」
『那汰川付近に例のシスター鬼人種が出現してる。急行頼む』
「了解しました~」
無線を切ると、翼たちは指定された場所へと急いだ。
◇
世の中、金が全て。それが山添の考えだ。
人は金で動く。なぜなら人は金がないと何もできないからだ。
金銭的に追いつめられた人間に金をチラつかせれば、藁にも縋る思いで金を求めてくる。
そう言えば、以前事業に失敗したという男から金を巻き上げたことがあるが、彼は先日淀代の大通りで通り魔殺人として逮捕されたと聞いた。
しかもその様子はネットで配信されていたのだとか。無様に殺人者に堕ちたその顔を画面越しとは言え間近で見られたのはいい経験だ。
プライドも何もかもへし折られ、情けなく社会的地位を失うのを、山添は積み上げられた金の上から見下ろし、今夜もせせら笑う。
今夜も悩める子羊に地獄への片道切符を売りさばいたところだ。
『ブラッディ・ベリィ』と呼ばれる違法薬物。これを飲めば、尋常ならざる力を手に入れられる、とのことらしい。ただし辿るのは破滅の道。
「くっふふふ、人が破滅していく様を見るのは良い娯楽だ……」
狂気の世界こそ破滅に一番近しい。
笑みを零しながら、今夜も『エウロペ』へ向かう。
と――『エウロペ』に向かうその道中、見知らぬ二人の男が山添の前に立ちふさがる。
「そこのお兄さん、ちょっとお時間よろしいですか?」
黒い髪にセンターパートの黒い上着を着た男が、明らかに作った笑みで近付いてきた。
「なんだいそこのお兄さん。俺は今からお仕事なんだ。そこをどいてくれるかい?」
「僕も仕事なんでね。あと、お兄さんって言ってくれてありがと。ここ十年くらい『おじさん』って呼ばれ続けてきたから嬉しいよ」
――何言ってんだコイツ。
「戯れもそこまでです」隣りに立つ長髪の男が口を開く。「彼がその人物なのでしょう?」
「そうだね。早く口を割ってもらおうか」
二人の男が同時に歩み寄る。自分の身に降りかからんとする危機に山添は思わず背を向けてたが、それが仇となった。
即座に追いつかれ、アスファルトの上に組み敷かれる。
「さて、ちょっとお話ししようか」
高みから人の破滅を除いていた破綻者は、こうして自らの破滅に巻き込まれていくのであった。
◆
「それにしても例のシスター鬼人種、私が最初に会ったときもこの辺だったんですよね。それ以外の目撃情報も、大体那汰川付近でしたし。何か理由でもあるんですかね」
「この辺りは風俗街だ。神に仕える人間が来るような場所とは思えないな」
那汰川にかかる橋を渡りながら月夏が呟く。
「うーん、あれはとても神に仕えるシスターの姿には見えないですけどね……」
修道服から伸びる薄気味悪い触手を思い出す。
恋から告げられた目的地に近付く。
時刻は十九時を過ぎたころ。まだ街は本格的に夜の色をしていない。
『こちら「小鳩」。緊急事態発生』
「こちら『蝙蝠』。どうしました?」
恋からの緊急の通信。インカムの向こうの声は、いつも以上に切羽詰まっていた。
『川旗商店街に標的「イドラ」出現。警察にも協力してもらって避難と封鎖を開始してるけど、もうすでに何人も犠牲者が出てる。急いで。他の退魔士たちにも応援を要請してる』
「『蝙蝠』、了解です。監視官と共に現場に急行します」
月夏にアイコンタクトを送ると、翼は駆け出した。
川旗商店街は、那汰川近辺に展開するアーケードだ。
大通りから巨大商業施設の出入口に繋がる一本のアーケードで、周辺のオフィス街で働く人々や地元の人々など幅広く利用されている。
アーケード周辺道路はすでに警察によって封鎖されている。あちこちでサイレンが鳴り響き、数台のパトカーや救急車が集結し始めていた。
バリケード付近に集まる野次馬をかき分け、出入口を封鎖していた警察官に『宰都特殊警備』の証明書を見せると、バリケードの脇からアーケードに入った。
アーケードまで十数メートルの道路を急いで走り――ようやくその惨状を目の当たりにすることとなった。
「うおっ!!????」
突如、アーケードに顔を出した翼の頭上に、どこかの店先に置いてあった立て看板が飛んで来た。がしゃん! と大きな音を立てて壁の縁に当たって砕けたが、反射的に頭を引っ込めたため翼の頭に直撃することはなかった。
「なんですか今の!?」
「相当暴れているようだな。さっさと方を付けるぞ」
月夏が片手に吸血器を出現させ、アーケード内に侵入する。
「あ! 置いてかないでくださいよ!!」
翼も月夏の後に続く。
アーケードの入口そばに地下鉄のホームに続く階段がある。その影に身を潜め、一旦アーケード内を観察することにした。
アーケード内は血の海だった。
あちこちに食い散らかしたと思われる人間の欠片が転がり、立ち並ぶ店舗は破壊の限りを尽くされていた。
その奥で、戦っていた退魔士のうち一人が弾き飛ばされた。
喉から絞り出されたような声を上げて、『宰都特殊警備』のロゴを纏った上着の退魔士が放物線を描いてアーケードの床に叩きつけられた。まだ辛うじて息があるのが見て取れた。
「くっ……!」
倒れた退魔士に駆け寄ろうと、階段の影から飛び出す――が、月夏に肩を引き留められた。
「おい箱崎、何してんだよ」
「手を貸してください痣神監視官。まだ彼は間に合います」
月夏の手を振り払って翼は走り出した。
敵に見つからないように、アーケードの店先に置かれた看板やカートに身を隠しつつ倒れた退魔士に駆け寄る。
口の端から血を流し、辛うじて意識の残った退魔士を近くの店の中に引き込んだ。
翼より大柄な男の退魔士だ。引きずるのに少し骨が折れる。
「ぐんぬ……って、うわ!」
頭上に放物線を描いて何かが飛んで来る。どこかの店先に置かれた台車が残った商品を撒き散らしながら翼の方に落下しようとしていた。
このままでは二人ともあの台車に直撃する。かといって翼一人だけ逃げるわけにもいかない。
――どうしたら。
ばこん、と金属がへこむ音が空中で鳴り響く。黒い槍が台車を突き刺し、翼たちに届く前にアーケードのど真ん中に落下した。
「ちんたらするな。貸せ」
背後で吸血器を投擲した月夏が歩み寄り、翼の代わりに退魔士の男を店内に引きずり込んだ。
「ありがとうございます、痣神監視官。助かりました」
「礼はいらない。で、どうするんだ」
「どうって、えっと……」
負傷した退魔士を前に翼がしどろもどろになりながら手をこまねいた。
「まさか何も考えずに助けたのか?」
「いやだって仕方ないじゃないですか! あのまま放置するわけにもいかないですし」
戦闘員の翼に、応急処置の心得はあってもここまでの怪我人を救う術は知らない。
『宰都特殊警備』の医療班に連絡を取ろうと端末を取り出そうとしたときだった。
「お困りのようだね」
「その声は――!!」
見覚えのある白衣にほつれた三つ編み。気だるげにポケットに手を突っ込んだ酒殿恋が店先に立っていた。
「フッ……一回言ってみたかったんだよね、このセリフ」
「ずるいです恋さん! 私もそれ言いたいです!」
「何を呑気に……」
翼と恋の会話に月夏は呆れながら呟いた。
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