第6話 日日是厄日――1

 早く帰れると言っても、家に帰ったところでなにもすることがない。

 放課後、学校を出た翼はいつもと同じ時間に『宰都特殊警備』に着いた。


「あ、翼さん……お疲れ様です」

「あずささん! お疲れ様で~す」

 事務所に行くと、篠栗あずさが休憩していた。リクルートスーツの上から『宰都特殊警備』の上着を着て、自分のデスクに腰掛けていた。


「あれ……翼さん、今日は早いですね。最近は学校の用事があるからシフト短くなってたんじゃ……」

「あ~それが、色々あってしばらく用事なくなったんですよね~」

 退魔士はいつも人手不足だ。早く来れるなら早く来た方が助かるものらしい。

 どうやら翼の言葉に少し安堵したらしいあずさの表情が和らぐ。


 ――と、何かがあずさの机の下から這い出した。

「ぅわ、わひゃぁぁぁぁ!!??」

「あー……いたのね」


 寝ぼけまなこに眼鏡をかけ、三つ編みに編まれた長い髪はほつれている。丈の短いニットセーターの上から白衣を着た女が、気だるげに伸びをしながら立ち上がった。


「えっ、どっから出てきたんですかレンさん」

「どこって、私のラボだけど」

 あくびをしながら酒殿さかど恋があずさの机の下を見た。釣られて翼もそちらを見ると、人一人通れそうなほどの四角い扉が開いていた。


「この下が恋さんのラボなのは知ってましたけど、こんなところに出入口作ってたんですか!?」

「そ。一々ラボの外に出て階段使うのも面倒だし、直接梯子で登れるように改造した」

「でもなんであずささんの机の下に……」

「私の生活スペースの上を陣取ってるあずさが悪い」

 悪態をつきながら、恋があくびをした。


「で、何か用があってこっちに来た感じですよね」

 いつもラボに一人で引きこもっている恋だ。雑談するために表に出てくるような人ではない。彼女がこっちに来るのは大体、何かしらの用があるときだ。


「あ、そうだった。余計な話すると大事な用時があること忘れるんだよね」

「どんな脳みそしてるんですか」

 そう言いながら、白衣のポケットに手を突っ込んだ。


「昨日、翼が遭遇したっていう鬼人種。アレについての詳しい情報が欲しい」

「報告書なら昨日『情統局』側から送ってませんでしたか?」

「貰ったけど、もう少し情報が欲しい。そうじゃないとあんなよくわかんないバケモノ、対応しようがない」


 だから、と恋が白衣のポケットから小さな装置を取り出して二人に渡した。

「視覚的、霊気数値的情報が欲しいところだから、今日からこれを取り付けて任務にあたってほしい」

「これ、何です?」

「カメラ付きの霊気計測装置。上着の胸ポケットに取り付けるところあるから」


 恋は、『宰都特殊警備』所属の優秀な技術者だ。所属退魔士が着用している認識阻害の術が施された上着を始め、あらゆる装置を開発、管理しているのだ。彼女なしでは退魔士は立ち行かないほど重要な人物でもある。


「じゃあ、私は帰るから」

「お疲れ様で~す」

 軽く手を振ると、恋は再びあずさの机の下に消えて行った。

 あずさは「そこ出入口にされるのちょっと困るなぁ……」と言いたげな顔をしていた。


「あ……そういえば翼さん」

 おずおず、とあずさが翼の方を見上げた。

「担当の監視官の方、大丈夫なんですか?」

「あ、レインさんのことですか? 臨時の監視官がもう決まったんで、仕事には支障ないですよ~」

「え、あ……そっか。そうですか……」

 蚊の鳴くような、消え入りそうな声であずさが呟いた。



 いつもなら楽しみでならない仕事なのだが、今日はなかなか気が乗らなかった。

 何せ、一緒に組むのがあのいけ好かない鬼人種だからだ。


 事務所の外に出ると、もうすでに痣神月夏が待っていた。淀代高校の制服を地雷服に着替え、細い腕を組んで建物の壁にもたれ掛かっていた。

「やっと来たか」

 翼を見て、ため息交じりの月夏が腕を解く。


「お待たせして申し訳ありませんねぇ、監視官殿」

「申し訳ないと思うならもうちょい申し訳なさそうにしろよ」

 悪びれる様子のない翼に、月夏が鼻根に皺を寄せた。


「さっさと行きますよ。今日は特に通報とかありませんでしたから、那汰川を中心にパトロールです」

 上着のフードを被り、翼はさっさと歩を進めた。

 昨日遭遇した例の鬼人種に関する目撃情報はない。鬼人種に関する情報が欲しいという恋の頼みは叶えられないかもしれない。


 それにしたって淀代は治安があまりよろしくない。昨日のシスター鬼人種のような凶悪な鬼人種じゃなくとも、街に鬼人種が出現する場合がある。

 一部の強力な鬼人種は、部下の鬼人種を従えている場合がある。先週相手にしたコスプレ鬼人種も、複数のチンピラを従えていた。そういう連中が街をうろついている可能性だってある。


 昨日交戦したシスター鬼人種――『情統局』において『イドラ』と呼称されるあの存在は、翼と月夏からの攻撃によってかなり消耗していたように見えた。回復するまでしばらく街に現れない可能性もある。


「ていうか、どういうつもりなんですか」

「どういうつもりってなんだ」

「なんで急にうちの学校に転入してきたんですか。鬼人種ですよね? 学校でめちゃめちゃ目立ってましたよ」

「そりゃ顔がいいからな」

 ――なんか腹立つ。

 でも実際そうだから反論できない。


「ちょっとは自分がどう見られてるか考えてくださいよ。勝手に絡まれた私まで変に目立ったじゃないですか」

「光栄だろ?」

「全然!?」

 自分の美少女フェイスにどれだけの自信を持っているのか。顔はいいが中身は最悪なので微塵も惹かれない。


「わざわざ学校に転入して来る必要性ありましたかね? 昼間は拘束されますし、結構面倒じゃないですか?」

「支部長が明日お前が学校に行ってるって言うから、じゃあ学校に直接向かった方がいいと思って編入したんだよ。昼間はどうせお前も学校にいるんだから同じだろ」

「そのためだけに編入してきたんですか!?」

「あとはまぁ、淀高の制服着たかったのもあるんだけどな」

「さてはそっちの理由が本命ですね?」


 淀代高校の校風はこの辺りではかなり自由な方だ。可愛いと評判の制服に惹かれて入学する生徒も少なくない。

「つーか、淀高って男子が女子制服着ても別に問題ない学校だろ。確かに俺は顔がいいけど、そこまで目立つほどでもないだろ」

「服装関係なく身長が馬鹿デカい転校生ってだけでもう目立つんですよ。あと、女子の制服着てる男子は実際そんなにいませんから。うちの学年でもあなた含めて四人くらいですよ」

「一応俺以外にあと三人はいるのか」

 ふーん、と鼻を鳴らした。


「あとクラスの女子に『神からの恵みだ』とか『逸材が来た』とか文化祭がどうとか言われたんだが」

「あ、そう言えば四組って文化祭でアレやるんでしたね」

「アレってなんだ」

「女装メイド&男装執事喫茶です」

「なるほど。それなら確かに俺は逸材としてふさわしいな」

「その自信はどこから出てくるんですか」

 高身長美人女装メイドだ。学内外からマニアックな性癖を持った猛者たちが集まることだろう。ただでさえ悪い治安が地獄と化しそう。


「というか、その感じだと淀代に来たことあるんですか?」

「あるぞ。もう二十年ぶりかな」

「二十年前ですか」

 まだ自分が生まれる前のことだ。


「淀代で大規模な抗争が起きて、そこに俺たち『情統局』の日本担当局員が総動員されたんだよ」

「あぁ、二十年前にそういう抗争が起きたって話は聞いたことありますよ」

 色々と起こって大変だったらしい、くらいの認識は翼世代の退魔士でも知っている。


「また最近『情統局』の局員が淀代に集結してるんだよな」

「最近鬼人種関係の事件多いですからね。やっぱ、何か裏で起こってるんでしょうかね」

 那汰川付近に広がる繁華街には、夜の淀代を謳歌せんとする一般淀代市民が闊歩している。彼らは何も知らない者たちだ。何も知るべきでない、知る必要もない者たちだ。


「いつだって、何も起きてないわけがないんだよ。――俺たち鬼人種が存在している限りは」


『宰都特殊警備』より通報が入ったのは、その直後のことだった。

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