第7話 日日是厄日――2
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自分の親父は退魔士だった。
別に古くから代々続く退魔士の名家というわけでもない。傭兵として海外の戦場に赴いていた父は、あるとき日本に帰国した際淀代市東区の警備会社に転職した。
自分にも反抗期というものがあって、夜の東区で遊び惚けてた時期があった。
二十年近く前の淀代は治安も今より悪く――特にあの時期は抗争もあって最悪の時代だった。
各地でチンピラの集まりが喧嘩に明け暮れ、警察沙汰、殺傷沙汰が繰り返された。
同じチームの友達が殺されたこともあった。女友達がヤク漬けで見つかったこともあった。通っていた高校に火炎瓶が投げ込まれて死傷者が出たこともあった。
そんな、現代日本じゃあり得ないような次は自分が死ぬかもしれない環境で生きていた。
無論母は自分を咎める言葉をかけた。
危ないことをしないで。
もし死んでしまったらどうするの。
自分の安否を気遣うような言葉だった。
そして父は――こう言った。
『お前が人殺しになったら、どうするんだ』
近くで人が殺されるということは、自分も人を殺す日が来るかもしれないということだ。
その可能性に微塵も気が付けなかった自分は――そうだ。父親に酷い言葉を返してしまったのだ。
――自分の中の反抗心の根源は父親の変化にあった。
小学生や中坊というのは単純なもので、父親は外国で兵隊として戦っていると友達に言うと、まるでヒーローを目の当たりにしたかのようにはしゃぎまわる。
だから自分は父が誇らしかった。こうして友達に喜ばれるような存在だったから。
母は、そんな自分の様子を快く思わなかった。学校で父親を自慢したことを食卓で話せば眉間に皺を寄せて弱々しく「そう……」と返事をした。あるときは「いい加減にしなさい」と声を荒げた。
――どうしてお母さんはそんなに怒ってるんだろう。
その当時、父親がやっていることの意味も知らない子供の自分は、そんな風に思った。
だから、日本に帰って来て地元の警備員になんかなった父には絶望した。みんなから称えられるような父はもういない。
今まで自分がどれだけ父親の存在に縋って生きていたのか、それを思い知った中学時代。
まるで自分が英雄であるかのように称えられていた気がしていたが、称えられていたのは父の方。自分には何もないのだと、気が付いた。
だから居場所を求めた。夜の淀代に。
◆
通報を受け、到着した路地には一つの死体が転がっていた。
「あんたが通報したのか」
死体のそばに片膝を付いて月夏が死体の顔を確認して呟く。当然、返事はない。
「彼のこと、知っているんですか?」
「あぁ、『情統局』の監視官だ」
そう言って、彼の上着の内ポケットから身分証が取り出された。『鬼人種情報統制局』の文言が踊る運転免許所ほどの大きさのカードだ。
「例の鬼人種化した退魔士の担当監視官のようだな」
月夏がスマホ型の端末を操作しながら呟いた。
鬼人種が出現した、と通報があったのは五分前のこと。退魔士たちが連絡に使用するアプリケーション『レイライン』によると、その正体は五月の始めに行方不明となっていた退魔士の男だった。
名前は
現場は翼たちがパトロールしていた場所のすぐ近くだ。即座に現場に急行すると、『情統局』の鬼人種の亡骸があった、ということだ。
「鬼人種化した退魔士に接触しようとして殺されたってことか」
監視官の仕事は退魔士の監視だ。その退魔士がもし鬼人種に成ったのなら、その処分を下すのもまた監視官の仕事だ。
この監視官は鬼人種化した笹原を殺そうとした。しかし、逆に自分自身が殺されてしまい笹原を逃してしまった。
「退魔士はどこに行った? 鬼人種の力を手に入れて、往来で大量殺戮でもしでかしたら大変だな」
「まぁ……笹原さんに限ってそれはないと思いますよ」
何の心配もないかのように言う翼に、月夏は顔を上げて「どうしてそう言える?」と訊ねた。
「民間人の大量殺戮なんて真似するような人じゃないです」
「でもあの男、チンピラ上がりの退魔士だろ」
表向きは警備員として扱われる退魔士。代々退魔士の仕事を受け継ぐ一族が『特殊警備』に所属している場合もあるが、街のチンピラを退魔士として採用する場合もある。
古賀や笹原はそのパターンだ。多くの場合は業務委託という形でフリーの退魔士として『特殊警備』で働く場合もあるが、社員として雇用する場合もある。
そして大概、チンピラ上がりの退魔士は暴走しやすい。力や闘争を求めるあまり、無駄な犠牲を増やしたり自ら鬼人種化したりする。
――しかし何事にも例外は存在する。
「笹原さんは、なんか違ってたんですよね。戦うのが好きで闘争を求めてるっていうより、強迫観念というか盲信的なものがあって戦ってるっていう感じで」
「強迫観念?」
「……って言ったらいいのかなぁって感じですけども。まぁそう言うのは古賀さんの方が詳しいかもですけど」
「あの男か」
呟きながら月夏が立ち上がった。
「だとしたら、笹原はどこに向かったんだろうな」
「担当監視官との交戦後消耗してどこかに身を潜めているかもしれませんね。恋さんが街中にドローンを設置してるので、恋さんに聞いてみたらわかるかもしれませんね」
潜伏するとしたら、どこに潜んでいることだろうか。十中八九、淀代市東区北部の『放置区域』だろう。
◇
『放置区域』の廃ビル。解体されることなく放置されたその場所は、鬼人種やチンピラのたまり場だった。
笹原利久は、血と埃に塗れた廊下に腰を下ろしていた。
壁には飛び散った血液と、床には無残に引きちぎられた四肢。噎せ返るほどの血と死の匂いがビルを支配していた。
不意に、階下から階段を駆け上がる足音が静寂のビルに響く。
「はぁ!? なんだよこれ!!」
目の前の惨状に階段から現れた青年が素っ頓狂な声を上げた。
その身なりからして淀代のチンピラだろう。笹原は怪訝そうに青年に視線をやり、青年もまた自分を見上げる笹原の存在に気が付いた。
「おいオッサン、ここにいた連中どこに――――」
青年が笹原に向かって足を進め、その途中で何かが足にぶつかった。それが人の腕だと気が付いた瞬間青年が「ヒィッ!?」と悲鳴を上げて尻餅をついた。
「ここにいた連中集めたのお前か」
立ち上がって歩み寄る笹原の服は血に汚れていた。
あちこち散らばった死体。飛び散った血。そして一人だけ残された血まみれのニンゲン。
誰が何をしたのか、判断する材料は十分揃っていた。
「さっきまで別のヤツと殺し合っててな、消耗したからちょうどいい霊気補給になったよ」
尻餅をついた青年は、目の前の人殺しを前に青ざめた顔で荒い息を上げることしかできずにいた。
「大方、どこぞの鬼人種の餌にするために集めてたんだろ。勝手に横取りして悪かったな坊主。ところで何だが――」
青年の前にしゃがみ込み、顔を覗き込みながら笹原が言う。
「お前の主は強いか?」
「は……はぁ?」
「知り合いの鬼人種を一匹殺したんだが、思ったより手ごたえが無くてな。消化不良だったんだ。もっと強い鬼人種を殺したくてたまらないんだ。なぁ、どうだ?」
「なに言って……ひ、ヒィ!?」
青年の首にナイフが突きつけられ両手を上げて悲鳴を上げた。
「そう怯えるなよ。『はい』か『いいえ』で答えてくれたらいいんだよ。そうしたらお前は生きて帰れる」
青年は、目の前の男の変化に目を見開く。明らかに人ではありえない変化――両目が紅く発光していた。
異形の紅い視線に晒されて、青年は狂を発したかのように嗚咽交じりの呼吸を荒げた。
「あら、どうされましたか?」
そこにやって来たのは一人の修道女だった。
白と黒の修道服に身を包んでいるのは、十代半ばほどの年端もゆかぬ少女だった。
清廉。純血。
そんな言葉たちが修道服を着ているかのような無垢さと可憐さが同居したその姿は、放置された廃墟には大変似つかわしくない。
「お手を放してくださりますか? そちらの方は私の大切なご友人ですので」
「つ……椿さん……!!!」
床を這うように青年が笹原のナイフから逃れ、まるで救世主でも現れたかのように修道服の裾に縋りついた。
「ここにいた連中、いつの間にかいなくなってたんですよ!!! 多分、こいつが皆殺しにしたんすよ!!!!」
「あらあら、それは」
驚いた顔を笹原に向ける椿と呼ばれた修道女の少女。
「ですが――ならどうしてあなたは生き残っているのですか?」
「はぇ?」
「あなたのような非力な存在であれば、とっくにそちらの方に殺されていてもおかしくありませんよね? どうして生き残っているのですか?」
「そっ、それは……俺が便所に行ってる間に殺されてて、俺が戻って来たときにはもう殺されてて……」
「あら、それでは――あなたが悪いのではありませんか?」
表情一つ、声音一つ変えずに椿が青年に言葉をかける。青年はあんぐりと口を上げたまま椿の言葉を受け止めきれずにいた。
「私はあなたに命令しましたよね。『ちゃんと見張っているように』と」
「え、でも、俺ションベン行きたくて……」
「それとこれとは関係ありませんよね? 私の命令はちゃんと聞く。そう約束しましたよね?」
「は……ぇ……」
ぶわっ、と、窓のない廃墟に風が吹く。霊気の動きを肌で感じた笹原は咄嗟に後方に飛んで距離を取った。
直後――笹原はこの世ならざる狂気を目の当たりにする。
椿の修道服が膨らむ。かと思うとその直後、スカートの裾から名状しがたきシルエットが伸びた。
「私の命令を聞けないとは、残念です。あなたには然るべきお仕置きが必要ですね」
にゅっ、とスカートの裾から伸びたそれは太い触手だった。
暗いビルの中ではその具体的な姿を捉えることはできない。だが、人間では敵わない異形であることだけは笹原もわかっていた。
「兄さん、悪い子は地獄に連れて行きましょうね」
椿の触手が強張った顔の青年を捉えると、悲鳴を上げる暇もなく青年は椿の修道服に引きずり込まれた。
ごり、ごり、ぐちゃ、ばき、と、何の音か想像に難くない音がビルの中に響く。そうしている間にも、椿は穏やかな面持ちで指を組んで祈りを捧げていた。
その姿に、笹原は――恐怖を浮かべるでもなく、崇高な聖女を見たかのように恍惚の表情を浮かべていた。
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