第3話 『放置区域』――3
青あざと切り傷まみれの顔面を、涙と鼻水と鼻血で汚したチンピラは、手足を縄でぐるぐる巻にされた状態で薬局の床に転がされていた。
「さーて、お喋りのお時間ですよ〜」
刀をチラつかせながら翼が楽しそうに笑う。
「最近、愚かにも淀代に遊びに来た観光客の皆さんが行方不明になってるそうです。でもこの頃、彼らは鬼人種になって発見されてるんですよ。これってどういうことなんでしょうね?」
「し……知らな、ギャァァァッ!!!」
チンピラの足が翼の刀に刺し貫かれる。
「知らないってことはないんじゃないんですかねぇ? あなただって鬼人種なんですし。それとも本当に何にも知らない下っ端さんですか?」
尋ねながら翼は、男の右手を掴む。年相応の、柔らかさと熱を持った少女の手だというのに、死神に首を掴まれたように、男の顔は恐怖で強張る。
「ま、あんなにあっさり死んじゃうヒトがリーダーやってるような連中ですからね~本当に何にも知らない下っ端さんの可能性は大ですよね~あれだけ息巻いてたのに一瞬で殺される
「……まれ」
「え? なんですか?」
「黙れ……! お前みたいなガキに俺たちの何がわかるってんだよ!!!」
「おーっと判で押したようなセリフ」
翼の煽りは無視して、チンピラは続ける。
「俺たちみたいなはみだしモンにはこの世界じゃ居場所なんかねぇ……!! それをアイツは――
ざくっ、と、嫌な音がする。
翼がチンピラの小指を切り落とした音だ。
「居場所ですかぁ。地獄とかお似合いなんじゃないですか?」
冷たい声と表情で、翼はチンピラの小指をポイっと投げ捨てた。
「居場所がないんじゃなくて、現実から逃げ出しただけですよね?」
「……ッ、うるせぇ……!」
反抗するチンピラに、翼は「はっ」と薄笑いで吐き捨てた。
「さぞ心地よかったでしょうね~『ありのままの自分』とやらを受け入れてくれた環境は」
「黙れ……黙れ……!!!」
自分自身を、そして自分の環境を馬鹿にされた男は激昂する。
そうでしか生きられなかった自分の全てを否定されて、喉が張り裂けるほど声を荒げた。
――その直後。
「……ん?」
翼の背後で物音がした。
ごそごそと音を立てながら起き上がるのは、この薬局で2番目に殺したチンピラだ。
胸から血を流し、その命の灯火は残りわずかとわかる。その最期の力を振り絞り、眼の前の『
「死ねぇええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!!!!」
血の混じった唾を飛ばしながらメリケンサックのチンピラが翼に迫った。
「な――」
咄嗟のことに反応が遅れる。相打ち覚悟で刀を構えたその時。
チンピラの肉体が、白い光に刺し貫かれた。
まるで光そのものが質量を得たかのような巨大な槍が、チンピラの胸を今度こそ間違いなく貫いていた。
光の槍が霧のように霧散し、チンピラが床に倒れ伏した。その向こう側、薬局の出入り口に立っていたのは――肩で息をする、紅い瞳の張・レインだった。
「翼さん! 大丈夫ですか!?」
「大丈夫ですよ〜おかげで助かりましたぁ」
「もう、そんな呑気にしないでくださいよ!!」
店内に転がった死体を飛び越えてレインが翼に駆け寄った。
「えっと、こちらの方は……」
「最後の生き残りの下っ端さんです。今、お話してる最中でして」
「お話……ですか」
「そうですそうです。なんか、さっき私が殺したリーダーに対して『居場所のなかった俺らに居場所を与えてくれたんだぞ~! 俺をお前~!』みたいな感じで喚いておりまして」
「はぁ……」
レインが哀れみを込めた視線を送る。翼に。
「え、何で私にその視線を送るんですか」
「翼さんが何を言ったのかわかりませんが、とりあえず彼があんまりなことになっていることはわかりました」
レインはそう言うと、床に転がった青年の元に片膝を突く。
「あなたの事情は私にはわかりません。ですが、あなたがあなたの意志で鬼人種になる道を選んだのであれば、あなたは間違っています」
「じゃあ――じゃあ俺たちはどうすればよかったんだよ!! 親にも学校にも出来損ない扱いされて、俺たちに真っ当に生きていく未来なんかどこにもなかったんだよ!!!!」
「過去は、変えられません。どうすればよかったか、なんて私が偉そうに言える筋合いはありません。――人間が鬼人種に成ることは禁忌です。あなたはもう二度と人間には戻れない。真っ当な道を進むことはもうできないでしょう」
淡々と、だが、憂いを滲ませた声でレインが語る。
「厳しい言葉ですが、あなたの未来を狭めたのはあなた自身の選択です。真っ当に生きられない自分を受け入れず、現実と戦わなかったことに対する当然の報いです。ですが――私はあなたに救いの手を差し伸べたい」
「はぁ……? 救い……?」
息も絶え絶え、青年が言葉を零した。
「私たちに協力してください。どうやって鬼人種になったのか、背後に誰がいるのか、それを教えてくれるだけでいいんです」
「教えなかったら……どうなるんだよ」
「相応の報いを受けるだけです。もし教えてくだされば、我々があなたを保護し、生きるべき道を指し示します」
「っ……」
青年は、息を飲む。
「本当に……全部言ったらいいのか?」
「そうです」
「それだけでいいのか? そうすれば俺は……」
「はい。全てあなた次第です」レインが、暖かな笑みを浮かべる。「ほら、簡単なことでしょう? 選択一つで未来は変わる。いい方にも悪い方にも」
「……わかった。全部話す」
頭を垂れる青年を前に、レインは安堵したように笑みを浮かべた。
「ふぅん、巧みな話術ですねぇレインさん。これなら全世界の犯罪者みんな更生できそうですね~」
「思ってもないこと言わないでください」
唇を尖らせる翼をレインはぴしゃりと咎めた。
「まぁいいです。尋問って結構苦手なんで」
「あの、口出ししないで下さいね? 余計なこと言って全部台無しにされたら本当に困るので」
きっちりと釘を刺された翼は「はいは~い」と言いながら後ろに下がった。
――が、その直後。
「ぐ……!? ぎゃっ!!? ガ」
青年が突如苦しみだした。血走った目を見開き、痛みにのたうち回っている。
「なっ……! ちょっと翼さん! 彼に何をしたんですか!?」
「え、足刺して小指斬った以外何もしてませんけど?」
確かにそれらは激痛を伴う。だがこの痛がり方は少し違う。断続的に痛みを与え続けているかのような痛がり方だ。
「ぁがっ……!!」
わけのわからない痛みに青年が声を上げた。
「しに……死にたく、ない……」
何かを悟ったのか、切れ切れと言葉を漏らした直後――青年の頭が大きな破裂音を伴って爆ぜた。中身を周囲に撒き散らし、見るも無惨に青年は死亡した。
突然の青年の死に二人は呆然とする。だが、即座にこれが異常事態であると断じて行動に移した。
「頭が爆発して死ぬ鬼人種なんて聞いたことないですよ」
「私もそうです。『情統局』の
レインが困惑してたじろいだ。
不測の事態。だが、情報を漏らそうとする裏切り者を始末する手段としては考えられる手法だった。
「これ以上は何もわかりませんので、解析班に任せることにしましょう」
「そうですね。……はぁ、今回はただの雑魚狩りでしたね。もうちょっと手ごたえのある相手と戦いたいんですけど」
ため息を吐きながら、退屈そうにドラックストアを出た。
「ちょっと翼さん、勝手に飛び出した上にそんな我儘言わないでくださいよ!」
文句を言う翼を追いかける。
月明りだけが頼りの『放置区域』。チンピラを下しはしたが、まだどこかに鬼人種が潜んでいるかもしれない。
二人は足早に大通りの方へと急ぐ。
「はぁ……もうこんなことはしないでください。戦闘時は監視官である私の目の届く範囲でお願いしますよ」
「はいはい。レインさんってほんっとーに真面目ですよね。――鬼人種なのに」
張・レインは人間ではない。
そもそも――『鬼人種情報統制局』に所属する局員の全てが、人間ではないのだ。
その組織は、構成員が全て鬼人種だ。
人の血肉を食らって生きる怪物、鬼人種。
その存在は表の歴史には存在しないバケモノだ。
鬼人種が人食いのバケモノであることは事実だが、彼らが持つ思想は決して一枚岩ではない。
『鬼人種情報統制局』の目的は、鬼人種に関する情報の抹消だ。
人々の営みを脅かすバケモノの存在は、表側にバレてはいけない。
それらの痕跡を全て消し去ることが、『情統局』に課せられた使命なのだ。
「あのね翼ちゃん。勝手に出ていかれると怒られるんだよ、僕が」
『宰都特殊警備』の事務所で、パイプ椅子に座った翼は古賀から説教を受けていた。
「なんでですか。鬼人種は速やかに処分するのが退魔士の役目じゃないですか」
「それでも『情統局』の監視官が見張ってなきゃいけないのが彼らとの約束なんだよ」
「鬼人種を討伐すること」を目的とした退魔士。
「鬼人種の存在を隠匿すること」を目的とした『鬼人種情報統制局』。
似て非なる目的を持つ二つの組織は、長い間抗争を続けていた。彼らが手を結んだのは最後の世界大戦が終結した約80年前の話だ。
しかし、手を結んだと言っても完全に和解したとも言えない状態なのが現状だ。
鬼人種を討伐する者たち――退魔士は、表向きは存在しない職業だ。鬼人種という存在が表向きには隠匿されているものだから、それを狩る仕事だって隠匿されて当たり前だ。
一応、建前として「警備員」ということにして日本各地に『退魔特殊警備』が設置されている。
『宰都特殊警備』は、F県に設置された『退魔特殊警備』の支部の一つだ。
『情統局』は、退魔士たちが表側に出るような過激な交戦をしないように、監視担当の局員が退魔士たちを監視している。レインが翼についているように。
「まぁ……こういうことは以後気をつけてね。翼ちゃんも明日から学校なんだし、今日はもう帰ろうか」
「はぁ……明日から学校ですかぁ……結局どこにも遊びに行けませんでしたよ。華のJKがGWに労働三昧って、どうかしてますよ」
「あれ、不満だった? 勉強とか遊びとか、大変だもんね。シフト減らしておこうか?」
「いや平気です! そもそもよく考えてみたら鬼人種が殺せないことに比べて、休めないことなんて些細な問題でした!」
「そんなに殺したいんだねぇ……」
爛々と目を輝かせてそんなことを語る翼に、古賀は苦笑を返すのだった。
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