最終話 少女に在るもの
結論から言って、昨晩逃した女鬼人種は少し離れた路地で死体となって発見された。
それと同時刻、古賀たちが逃した別の鬼人種が渡井通りで通り魔殺人を起こしたそうだが、無事逮捕されたのだという。
『宰都特殊警備』側、『情統局』側共に大きな損傷はなし。民間人に犠牲者は出たものの、我々の使命は果たされた。
しかし――本番はこれからだ。
行方不明の観光客が鬼人種化するという怪事件の裏には『救世の会』と呼ばれる新興宗教が絡んでいるらしい。彼らとの抗争が始まるか否か。翼には知り得ない話だ。
「翼おはよ〜」
気だるげな挨拶をしながら明奈が翼の後ろの席に座った。
「おはよ明奈。体調はもう大丈夫?」
「体調は大丈夫、体調は……ねー昨日の英語のノート見せて〜」
「いいよ。古田は前日休んでいようと容赦なく当ててくるからね」
鞄から英語のノートを取り出して手渡すと、「ありがと〜」と明奈が礼を言った。
五月九日。
鬼人種の事件に巻き込まれた明奈も無事に帰ってきた。
もちろん、彼女にそのときの記憶はない。日常生活に支障をきたさぬように、そして、鬼人種の存在を誰の記憶にも残さぬように、その全てを抹消したのだ。
鬼人種に関する情報は一切残さない。退魔士などの一部の人間だけがその情報を持つことを許される。
例えば、鬼人種に関する情報を載せた動画をサイトに載せたりでもすれば、速攻で消去される。それでも消去する前の情報を目にした者が少なからずいる。その場合は特別処置――カバープロトコルを施すことになる。
そう言えば例の動画投稿者も、実は最後に動画を投稿しようとして消去されたのだとか。消去される寸前の動画をネット見たというネットユーザーの情報をさらってみると、どうやら『救世の会』の裏に鬼人種がいるのだという内容の動画だったそうだ。そりゃ消されて当然だ。
そんなわけでいつもの淀代の平和は保たれる。血に塗れた闘争を、善良な一般市民が知る必要性はないのだ。
明奈が一生懸命課題をやってるそばで、翼は一人の女子生徒が教室にやって来るのを見ると席を立った。
「おはようございます、水城さん」
「あ、箱崎さんおはよー」
箱崎さんから挨拶してくれるなんて珍しいね、と在果は笑った。
「水城さん、昨日誘ってもらった文化祭の実行委員の件なんですけど」
「え?」
「よかったら私、引き受けますよ」
「いいの!? やったぁ! ありがと箱崎さん……!」
在果は翼の手を取って大喜びした。
「アルバイトの方は大丈夫なの?」
「そっちの方は都合をつけてもらったので、心配いりませんよ」
せっかくの高校の文化祭――今しかできないことだ。思い出を作るんだと思ってやってみようと、翼は思ったのだ。
◆
夕刻。
淀代市中央区。『鬼人種情報統制局 日本第3支部』にて。
「それで……彼女は一体何者なんですか?」
張・レインは、目の前でコーヒーを傾ける不動に問いかけた。
「『彼女』――とはつまり、箱崎翼のことですか?」
「はい。昨日、標的の鬼人種を一撃で沈黙させた件についてなんですが」
「高い霊気のせいで、どれだけ攻撃を加えようとも蘇って来たんですよね?」
「はい。……でも、翼さんが一撃で仕留めました」
◇
「昨日はお疲れ様。わざわざ『アラクネー』にとどめを刺してあげてくれて」
淀代市東区『放置区画』。
廃墟となったビルのワンフロアに、自分が持ち込んだ折り畳み式のアウトドアチェアに腰を下ろした在果がスマホを弄りながら来客をねぎらった。
「ここ、一体何の空間なの」
「私のプライベートスペースだよ。仲良くなりたい鬼のヒトを招待したり一人になりたいときここに来るの」
怪訝そうに、四つの壁に囲まれた部屋を見渡す。
在果が座るアウトドアチェア、壁に置かれたスチール棚には漫画や古い雑誌が雑多に並ぶ。
部屋の片隅には、折りたたまれたアウトドアチェアが立てかけられていた。
「あ、せっかくだしくつろいで行きなよ~あの椅子も使っていいよ~」
「わざわざ持ち込んだの? これ」
「うん、あ、その椅子は『アラクネー』が持って来たものだよ。もう死んじゃったし使うヒトいないから、真白さん使っちゃってよ」
「……そう」
答えながら真白は壁に立てかけられた椅子を引き寄せて、椅子を設置する。
◆
「箱崎翼、彼女が何者かであるかについては――申し訳ありませんが、あなたにはお伝えすることができません」
「え……?」
コーヒーカップをソーサーに置くと、手を組んでテーブルに肘をつく。
「彼女についての情報は、退魔協会特別三級機密事項です。我々情統局員は、一級以上の階級がなくては知りえることができません」
「い、一級、ですか!?」
その情報の秘匿レベルに、レインは思わず声を上げた。
情統局員には、四級、三級、二級、一級、と等級が与えられており、それに応じて給料や与えられる権限、開示される情報が異なる。
レインの等級は、一番下の四級だ。開示される情報も一番少ない。
「……不動監視官は、ご存じなんですか?」
「ええ、全て知っていますよ」
目を細めて、不動は笑いながら言った。
「本来ならお教えすることはできませんが――担当の退魔士ということですし、お伝えできる範囲でお伝えしましょう」
「は……はい」
◇
「それにしても、昨日の『アラクネー』はどうもおかしかった」
コンビニで購入したコーヒーを傾けながら、真白は呟いた。
「霊気の気配がほとんど感じられなかった。あれだけ精神的に熱心で霊気も高かったのに」
「あ~『アレ』のせいだね」
「『アレ』、って?」
◆
「――彼女の中に在るのは、我々の敵です」
「我々……の? というのは、『情統局』の……ですか?」
「いいえ、もっと広い意味です」
「……」
『情統局』より広い意味の「我々」というのであれば――「鬼人種」が該当するのだろうか。
鬼人種の敵。
例えば退魔士自体は鬼人種の敵だ。だが、『情統局』の敵ではない。
それは、もっと根本的に鬼人種と相容れないモノ――なのだろうか。
◇
「まぁ、いつかきっと『彼女』とも会うことになるだろうし、教えておくに越したことはないかな、中園真白さん――いや、『救世の会』の
◆
見た目はただの少女退魔士。年相応に溌溂としている彼女が見せた、虚ろな表情。
まるで別の人間が乗り移ったかのような表情だった。
彼女の中に在る、という言い方も気になる。それは生きているのか、生きていないのか、それすらわからない。
箱崎翼の中に在るというソレが何なのか、レインが知ることになるのは、まだ先の話だ。
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