第1話 『放置区域』――1

 最近、F県淀代市東区を中心に観光客の失踪が相次いでいる。


 淀代市東区と言えば、日本でも有数の指定治安地区――犯罪が頻発する指定された市町村のことを指す――だ。F県民も安易に近寄ろうとはしないが、そのアングラな雰囲気が一部では話題となっており、観光気分で踏み込む怖いもの知らずが大量にいる。


 ――のだが、ここ一週間、行方不明になったはずの観光客の目撃情報が報告されている。


「行方不明になった観光客がどこに行ったのかと思えば、鬼人種に成っていたとは」

 車の後部座席に座りスマホ画面を親指でスクロールする少女――箱崎翼が、口元に笑みを浮かべながら言った。


 白いシャツに黒いネクタイを締め、緩い黒のスラックスの足元は同じく黒いブーツで包まれている。羽織った黒いウィンドブレーカーの左肩には、梅の花をモチーフにしたエンブレムと《宰都特殊警備》の文字が並んでいた。

 黒く長い髪は一つに束ねられ、邪魔にならないように上着の中にしまわれている。白い肌に猫のような黒い瞳の、あどけない少女らしい美貌を備えている。


「はい。目撃情報を元に我々『鬼人種情報統制局』が調査したところ、観光客として外部から訪れた人々は鬼人種として淀代市民を殺害しているようです」

 翼の隣に座る金髪の少女が神妙な顔つきで手元のタブレットを操作しながら言った。


 張・レイン。切りそろえられた透き通るような金髪に大きな眼鏡。その小さな体躯は白いブラウスと黒いスカートに包まれ、胸元にはリボンが踊っている。

 どこかの令嬢のような風貌だが、レンズの奥のアクアマリンの瞳は、丸く幼さがありながらも、人ならざる雰囲気を纏っていた。


 後部座席に二人を乗せた車は、夜の淀代市東区の大通りを駆け抜けていく。両側に巨大な百貨店を抱え、六車線の大きな通りには私鉄が運営するバスが列を成し、それより多くの自動車が行き交う。


「古賀さーん。現場まであと何分くらいで到着ですか?」

「うーん、この感じだと、あと十五分はかかるかなぁ」

 古賀さん、と呼ばれた男が困ったように笑いながら言う。センターパートの黒髪に整えた髭とウェリントン型の眼鏡をかけた男。ジャケットを羽織り、その上から翼と同じ黒のウィンドブレーカーを着ている。見た目こそ三十歳前半にも見えるが、実年齢は四十一歳である。

「えぇ~! 十五分もかかるんですかぁ!?」

「まぁ、この混み具合だし仕方ないよ。だからちょっと我慢して? ね?」

「むぅ」

 そこまで渋滞しているわけではないものの、車はのろのろと進んでいる。


 ――こんなのだったらむしろ、歩いて行った方が近いんじゃないですかね……?


 まるで亀の歩幅かと錯覚するほどのスピードで進む車内の窓から外を睨みつけ、翼はため息を吐いた。

「レインさん、目的地どこでしたっけ?」

「えっと、不浄通りにある『放置区域』です。廃墟となった店を隠れ家として使用しているんだとか」

「あっ、レインちゃん、それはちょっとまずい」

「え、なんですか?」


 レインがきょとんとするそばで、扉ががちゃりと開く音がした。そっちの方を見るも手遅れ。翼はとっくに車から出ていた。

「ちょっ、えっ、翼さん!?」

 窓越しに満面の笑みの翼が手を振りながらどこかへ去って行った。




 車から飛び出した翼は、フードを深くかぶって繁華街を行く。

 黒いウィンドブレーカーを着た翼の手には、鞘に収まった日本刀が握られていた。例え、世界最優の法治国家に中指を立てるような治安を誇る淀代市東区と言えども、大通りを日本刀を片手に歩く行為はどう見たって不審だ。しかし、たくさんいる通行人の誰もが翼のことを見ていない。見ないようにしているのではなく、彼女の存在にすら気付いていないようだった。


 翼の着ているこのウィンドブレーカー――『宰都特殊警備』のウィンドブレーカーには、視覚による認識の阻害を促す術式がかけられている。

 フードを頭に被ることで民間人から認識されることなく、武器を持ったまま街を移動できる。『宰都特殊警備』に所属するとあるマッドサイエンティスト……否、ありがたき技術者の賜物だ。


『あーあー。こちら「雨傘」。「蝙蝠」、聞こえてますか?』

 耳に付けたインカムからレインの声がした。

「もしもし、こちら『蝙蝠』。聞こえてますよー」

『ちょっと! なんで勝手にどっか行っちゃうんですか!?』


 インカムの向こうでレインが息を上げながら叫んでいる。恐らく、翼を追いかけるために車を降りて走っているのだろう。

「事は一刻を争うんですよ。私はいち早く、一匹でも多くの鬼人種をぶち殺すんですから。なので古賀大虬さんと一緒に車で待機しててくださ〜い」

『もう! そういう風に退魔士の方が暴走しないために私達が監視してるって言うのに!』

 耳に付けたインカムをぽん、と指で叩くと小うるさいレインの声が途切れた。

「あはは~相変わらずレインさんは真面目ですね~殺しちゃえば全部関係ありませんのにね~」


 五月六日。ゴールデンウィーク最終日。気温も少しずつ上がって来た春。

 生温い夜風に、服の下がわずかに汗ばんでいた。フードが脱げないように抑えながら、翼はにこやかに走る。

「私が全力疾走すれば、レインさんの足じゃ追いつけないですよね~」

 できれば現場まで体力は温存しておきたいところだが、レインからのお説教だけは勘弁願いたい。


 自動車のヘッドライトや屋台の明かりで彩られていた繁華街からやや離れ、街灯も少なくなってきた路地裏。

 それまでぽつぽつとあった人影は路地裏を進むごとに無くなって行き、やがて街灯すらない寂れた通りに出た。


 不浄通りの『放置区域』。

 この辺り一帯はかつて、F県のとある企業が所有していた区域だ。しかし、不景気、その他諸々の事情が重なり企業は倒産した。

 この辺りの土地の買い手もつかず、無論建物を解体する予算もなく、結果ここら一帯は放置されることとなった。

 現在、放置された区域は淀代に根を張るが根城として占拠している。


 関係者以外立ち入り禁止のバリケードを越え、通りの真ん中で翼は足を止めた。

 暗闇の中で、翼の鼻が死臭を捉える。頭に被ったフードを脱ぐと、その臭いがする方向に視線を向けた。


 シャッターの降りた軒先に、何か、両手で抱えられる程度の大きさのモノがいくつか転がっている。

 ゴミのように打ち捨てられた「ソレ」に歩み寄り、膝を付いて見下ろす。


 それは人の腕だった。

 それは人の足だった。

 それは人の耳。それは人の指。それは人の――――


 きっとその最期は尊厳などないものだったのだろう。

 抵抗も叶わず、助けなど来ず、無残に、骨と肉を引きちぎられ、食い散らかされ、ここに捨てられた。

 これほどまでに陰惨な様にその最期を想い、さすがの翼の顔からも笑顔が消える。


 背後から足音がした。一人ではない。鉄がアスファルトに擦れるような音と共に、足音は近付く。

「おい、アンタ」

 背後から嘲笑を含んだ男の声がする。翼は立ち上がり、ゆるりと振り返った。

 街灯のない路地裏に、チンピラたちが立っていた。数は――七。


 ある者は金属バットを、ある者は鉄パイプを片手にぶら下げ、ある者は素手で指関節を鳴らし、ある者はナイフを舌で舐め上げる。

 二日月が見下ろす闇夜の中で、十四の紅い光が怪しく浮かんでいた。


 にやりと笑みを浮かべながら、翼は刀の柄に手をかける。

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