第11話 僕はまだ――2
「一体どういうつもりですの?」
『宰都特殊警備』の事務所が入った『淀代第一ビル』。その非常階段に立つ黑の頬を、夜風が撫でる。
神宮司依玲奈監視官はその独特の瞳を吊り上げて、黑の燕尾服の胸倉を掴んでいた。
「何の話だ」
「彼女に言った言葉でしてよ。あんな一方的な言葉、冷たいとは思いませんの?」
「……お前が言ったんだろう? 僕が櫻子様に向き合うべきだって」
以前、散々言ってくれたのを黑は忘れていない。そしてもちろん、依玲奈もそれを忘れてはいないようだった。
「言いましたわ。えぇ確かに。――それで、あなたはアレで自分の主と向き合ったと思っておいでですの?」
「な――」
「あんなのは違う。向き合ってなどいませんわ。ただ一方的に、自分の意見を述べただけ。あなたは、あなたの主の気持ちなんて一切考えてない」
鋭い目つきで依玲奈が言い放った。
風と車の音が入り交じって耳に届く。
「……だったらどうすればよかったんだ」
依玲奈の手を掴み返し、黑が視線を床に落とした。
「僕は櫻子様に尽くすと誓った。ただ執事として、あの方に仕えた。僕は道具だ。櫻子様のために尽くす――道具……。だから僕は、櫻子様の気持ちなんて一つもわからない」
福間家は、代々宮地嶽家に仕える分家の一族だ。
幼少時代より、黑は宮地嶽家の執事となるべき育てられた。
我々は道具だ。
来るべきとき、感情を排して主の身に降りかかる火の粉を払うのが、我らの役目。
そう教え込まれて、黑は育った。
教えられた通りに黑は櫻子の執事を全うしていた――そのはずだった。
今になって、黑は壁にぶつかっている。
自分の執事としての在り方が、仕えるべき主の心が、何もかもわからなくなっていた。
「教えてくれ。僕には、何が足りてないんだ?」
黑は縋るように視線を上げた。
だが――そこにあるのは、蔑むような依玲奈の冷たい視線だった。
「わたくしの口からは言うことは一つもありませんわ。そこまでのことをやれるほど、お節介ではありませんの」
黑の手を振り払い、依玲奈は非常階段を出た。
一人残された黑は、力なく手すりにもたれかかった。
依玲奈を追いかける気力すらない。ただただ、自分の無力感に苛まれながら非常階段の床に視線を落とすだけだった。
更衣室で服を着替え、事務所に出ると恋が窓際のテーブルで飲み物を飲んでいた。
「あ、櫻子お疲れ、」
出て来た櫻子に気付いた恋は顔を上げる。
「お疲れ様です、恋さん」
「……なんか元気ないね」
「そう、でしょうか」
弱弱しい櫻子の声に「見ればわかるよ」と恋は答える。
「悩みとかあれば私が訊くけど」
「悩みだなんて、そんな……」
「遠慮しないで。櫻子、家の人たちとはあんまりうまく行ってる感じにも見えないし、相談とかできる人いないでしょ」
「それは……はい」
宮地嶽家の人々とは、櫻子自身の立場からしてあまり踏み込んだ話はできない。年下の翼にするような質問でもない。それに、黑は――黑は執事だ。ずっと昔から一緒にいるけど、彼女との関係性は主従なのだ。上にいる自分が下にいる黑に、そんな甘え方は許されない。
「だからまぁ、年上の私にでも甘えたらいいでしょ。家のゴタゴタとも関係ない人間なんだし」
「それもそう……ですよね」
ここ座りなよ、とテーブルの対面の椅子に促されて櫻子は腰掛けた。
「それで、悩みって何?」
「私が退魔士を続ける理由が、よくわからなくなったんです」
「続ける理由? 櫻子は宮地嶽出身って理由があるでしょ」
「でも」櫻子は、なんとか言葉を探しながら紡ぐ。「私の退魔士としての役目は、他の人でも変わりが効くんです」
宮地嶽家と『宰都特殊警備』の橋渡し。櫻子以外に適任の人物がいれば、その人物に任されるのが当然だろう。
「もし私の代わりにこの務めを果たす退魔士が出てきたら、そのときの私にはもう退魔士を続ける理由がないんです。だからそれが……ちょっとモチベーションの低下になってるのかも、って思って」
「なるほど。自分の代わりがいるから、もう続ける理由はないってことか」
恋は視線をテーブルに落として櫻子の言葉に反芻した。
「でも理由なんていらないんじゃない? ただその流れに身を任せてみるのもアリかもしれないのに」
「……実は、黑と神宮司監視官の会話を聞いてしまったんです」
『彼女はもう、やめるべきですわ』
『あなたの主は所詮スペアでしょう? 当主が当主の役目を全うできなくなったときのための備品の一つ。それは彼女以外にもいるのだから、彼女一人いなくなった程度、何の問題もなくて?』
依玲奈が黑に言い放ったあの言葉を、櫻子は扉越しに聞いていた。
櫻子が聞いたという会話の詳細を神妙な面持ちで聞いていた。
「……ふぅん。まぁ、神宮寺監視官ってそういうところあるからさ。別に櫻子は気にしなくてもいいんじゃない?」
「それは、そうかもしれません。でも、監視官の言葉を聞いてどこかで安心してる自分がいたんです。多分、心のどこかで私は退魔士に向いてないなって思っていて、彼女がそれを言葉にしてくれた、って感じで」
「……」
「黑は反論してくれたけど――してくれたからこそ、後ろめたいんです。彼女はずっと私と一緒にいてくれたのに、私が退魔士をやめるっていうのは、彼女の思いを裏切ることになるから」
「……自分の気持ちと黑くんの気持ちの板挟みってところか。それは気まずいかもね」
「黑の気持ちをないがしろにはしたくない。けど、これ以上自分を騙しながら続けるのも、多分良いことではないと思うんです。だから、私はこれから先どうしたら良いのかわからないんです」
櫻子の言葉に、恋は「そうだね」と挟んで言葉を紡ぐ。
「少なくとも、私から櫻子に言える言葉はない。私よりも言葉を与えるべき人間がいるから」
「え……?」
櫻子の疑問符に答えることなく、恋が席を立つ。
「一つ、これはあんまり今回のことに関係ない話だけど」
そう前置きして、恋は櫻子に背を向けたまま続ける。
「戦う理由を選べるって、私は結構な贅沢だと思うんだ」
それだけ残して、恋は事務所を出て行った。
残された櫻子は、静寂に包まれた事務所でしばらく腰掛けていた。
――私に言葉を与えるべき人。
あぁ、きっと。心当たりはある。
だから、やっぱりちゃんと話して、気持ちを伝えなくちゃいけないんだ。
櫻子は席を立つ。きっと黑を待たせてしまっているから、支度を済ませないと。
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