第4話 監視官たちの事情――1

《コード『イドラ』に関する聴取》


202X年5月10日

●東 櫂人(男性/21歳/大学生)

 昨日……学校の帰りにサークルの先輩と飲みに行ったんです。最初に西通りの居酒屋に行って……明日休みだし飲み直そうってことで、那汰川近くのバーに行こうとしてたんですよ。

 そこに……そこに、いたんです。ただの女の子だと思ってたんです。なんか、あの、シスター? って言うんですか? そういう恰好をした女の子だったんです。

 令和ですよ? この時代にそんな恰好して、で、しかも夜も遅かったんで、なんか、そういう、パパ活とかやってるコスプレの子かなぁって、思ってたんですけど……

 あ、あの、俺はやめようって言ったんですよ……! 先輩がなんか、おかしいこと言いだして……! せっかくだしあの子誘って飲もうぜなんて言い出すんですよ!!! でも明らかに怪しいし、俺は声すらかけるのもやめておこうって感じだったんですよ!! だけど先輩、声かけに言って……それで……よくわかんないうちに、先輩が、……あ……あの、これ以上話さなくちゃいけないですか……? 俺、もう帰りたいんですけど。

 ……あぁもう!! 知りません! あんなの!! 俺には関係ないですから!!! もういいですよね!? ていうかアンタらは一体何なんですか!? 警察ですか!? 違いますよね!!?


※以降、対象が錯乱状態となってしまったため記憶処理を施して帰宅させた。



202X年5月11日

●坂本 恵美香(女性/45歳/主婦)

 私、ボランティア活動で夜間の夜回りをしているんです。

 東区って結構、パパ活している女の子が多くいるじゃないですか。それに、不法なスカウトなんかも横行していたりしますから、私たち夜回りが周辺を歩いていればある程度の抑止力になると考えて、週に三回ほど東区の那汰川周辺を他のメンバーと一緒に歩いているんです。

 それで、一人怪しい女の子がいたんです。

 修道女の恰好をした女の子なんですけど……大名町には教会とかありますけど、あの辺りからそこそこ離れていますし、夜遅くにあんな路地裏をシスターが一人で出歩くなんて、ちょっと考えられませんし……

 だから、コスプレして出歩いている子かと思って声をかけたんです、私たち。

 そしたら……彼女の足元に……ぅ、お、


※以降、対象が嘔吐を繰り返し、聴取が困難になったため中止。対象に記憶処理を施して帰宅させた。



 レインは重傷を負い、未だ淀代市中央区『情統局』内の施設で昏睡状態だ。

 かく言う翼も、ついさっき目を覚ましたばかりだ。

 出血の激しい頭部はすでに処置がなされており、すでに出歩いても問題ない状態だった。


 時刻は二十二時半。眠っていたのは二時間程度らしい。

「おや、元気そうで何よりです」


 レインが眠る部屋の外のベンチに腰かけていた翼のもとに、見知った顔の二人の男がやって来た。

 一人は不動九徹特別監視官。それと、ついさっき助太刀に入った地雷服の女装鬼人種。


 ――背ェでっか。不動監視官よりデカくないですか……?

 一目一番、出てきた感想がそれであった。


「どーもこんばんは不動監視官。頭痛、脳震盪、発狂、その他諸々やっちゃいましたけど元気ですよ~」

「まだ発狂してんでしょ、アンタ」

 空元気で返した返事に、女装鬼人種が呆れながら呟いた。


「あ、さっきはありがとうございます。危うく死ぬところでしたよ~」

 軽く手を振りながら、女装鬼人種の方へと礼を言った――が、件の鬼人種は白けた顔で舌打ちした。


「最近の退魔士ってこんなレベルなのか? こんなガキが前線出なきゃならんほど、まともな退魔士はいないのかよ」

「不動監視官かんしか~ん、『情統局』ってもっとマシな鬼人種いないんですか~? なんでみんなこんなに小言多いんですか~?」

 文句を垂れる翼を、まぁまぁ、と不動はたしなめる。


「申し訳ありません。彼はちょっと舌に毒があるといいますか。仕事は真面目にこなしますので、目を瞑っていただければ」

「目を瞑っても瞼貫通してくるんですがねぇ……」


 すらりと長い手足。巻いた銀髪は肩より少し長く、薄いピンク色のリボンでサイドが編み込まれている。

 白いブラウスは喉元を隠す程度の高さの襟に、黒いリボンと黒いスカート。袖口は手の甲を隠すほどの長さで、足元は底の薄いブーツを履いている。

 男性であることが信じられないほど、芸能人顔負けなその美貌は少女のように儚い。それでいて身長が高いのだから脳がバグる。


「彼は痣神あざがみ月夏ツクナ戦闘員。特別監視官のライセンスも所持していますが、基本的には単独での任務遂行をしている局員です」


 紹介されている本人はというと、退屈そうに自分の黒く塗られた爪先を見ていた。

「俺帰っていい?」

「はい、ご帰宅はお好きに」

 あそ、と、二文字を残して痣神月夏は帰って行った。


 ――嫌なヤツでしたね、顔以外。

 遠ざかって行く月夏の背中を眺めながら、半眼で翼は苦笑いした。


「さて、少し話を伺いたいのですが、よろしいですか?」

「例のシスター鬼人種のことですか? いいですよ。あなた方の認識、色々と間違ってる可能性がありますから」


 翼は、自分が対峙した敵について詳しく語った。

「レインさんはアレが認識阻害系の術を使ってるって言ってましたけど、多分違います」

「つまり――単純に発狂していたためその状況を口にすることができなかった、ということですか?」

 どこか納得していない風に口元に手を添える不動に、翼は「そうです」と首肯した。


「人間っていうのは、心も体も脆いんです。だから、精神の方は壊れる前に自己防衛機構が働いて思い出したくない記憶は引き出さず、奥底にしまってしまうものなんですよ」

「なるほど。しかし、あなたは受け答えが随分としっかりしているようですが」

「私はこういう状況に慣れているからですよ。偶然アレを見てしまった憐れな目撃者の皆さんは善良な一般市民ですから、あんなもの見て正気なんて一ミリも保っていられませんよ」


 現に翼も――様々な要因が絡みあいながらも――一時的に発狂していた。次に対峙したときにちゃんと正気を保てるか不安だ。

「まぁ、当たり前ですけど、だからと言って警戒を緩めるわけにはいきませんし。どっからどう見ても真っ当な生き物じゃないのは確かですし」


 夜も遅い。明日も学校だし、さっさと家に帰ろう。


「それにしても、明日からどうしましょうか」

 立ち上がった翼のそばで、不動が呟いた。

「明日から、ですか?」

「えぇ。張監視官は動けないですから、翼さんの監視役がいなくなるんですよねぇ」


 監視役がいない。それが何を意味するのか。

『情統局』の監視官が付いていない退魔士は、戦闘行為が禁止されている。

 それはつまり、レインが復帰できない限り翼は退魔士としての仕事ができない、ということだ。


「臨時で付けといてくださいよ。どうせ私、しばらく学校の用事でシフト減ってますから」

「おや、そうなんですか」

「ていうか、監視役ってそんなに必要なんですか? まぁそちらの言い分もわかりますけど。でもこっちだって鬼人種の存在が世間一般に知られたらまずいのはわかってますし、隠匿のための技術だってあるんですよ?」

 不貞腐れながら翼が訊いた。正直以前から、この監視官の制度について窮屈に思っていた。


「そういう『取引』だったからだよ、翼ちゃん」

「あ、古賀さん」

 翼を迎えに来た古賀が歩み寄って来る。

「僕ら退魔士と『情統局』は手を組んだけど、別に仲良しこよしで手を繋いでるわけじゃないんだ。本来退魔士と鬼人種は相容れないものなんだ。それは翼ちゃんもわかってるよね?」


 退魔士が何のために存在しているか。それは鬼人種を殺すためだ。それくらい翼も知っている。


「そんな天敵同士がタダで手を組めるわけがないじゃん。だからお互いに条件を出し合った。退魔士側は戦力の提供ということで『情統局』員を各地に配備させ、『情統局』側は退魔士が暴走しないか監視することを条件にしたんだよ」

 慣れたように、優しく柔和に古賀が翼を諭した。


「ふぅん。要は大人の事情ってわけですね」

「そうそう。頼むよ、勝手に一人で戦いに出るようなことが繰り返されたら、結構冗談じゃない状況になり得るからね?」

「わかってますよ。結構冗談じゃない状況ってアレですよね? 『情統局』と決裂して昔の対立してた時代に逆戻りってヤツですよね?」

 昔はどうだったか知らないが、鬼人種の助けなしに鬼人種と戦うなんて考えられない。


「そういうわけだからさ、不動監視官」

 古賀が不動に視線をやった。

「翼ちゃんが暴走する前に代わりの監視官つけてやってね」

 満面の笑みで言う古賀に、不動は苦笑いを浮かべて「かしこまりました」と返した。

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