第5話 怪しいバイトにご注意を(前編)――2

 淀代市中央区のビジネス街の一画に、『鬼人種情報統制局 日本第3支部』の事務所が入ったビルがある。


『宮地嶽ビル』。

 淀代を古くから守護する退魔士――宮地嶽みやじだけ家の所有するビルであり、そのほとんどのフロアが宮地嶽家の経営する会社のものや退魔協会関係のものとなっている。

 淀代駅前から伸びる大通りに面し、ガラス張りの壁面は青々と空を反射している。

『情統局』は、そんな宮地嶽のビルの一部のフロアを借りている状態だ。


「お疲れ様です。張四級監視官」

 事務所にてタブレットを操作する張・レインのもとに一人の男がやってくる。

「あ、お疲れ様です不動特別監視官」


 レインが頭を下げると、男――不動九徹くてつはにこやかに笑みを返す。

 ミルクティーベージュの長い髪をうなじの上あたりで結び、銀縁の眼鏡をかけた姿。白いスタンドカラーシャツにグレーのジャケットを着ており、すらりと伸びた長い足は黒いスラックスに包まれている。

 その名前の物々しさとは裏腹に、人の良さそうな柔和な好青年に思える。


「こちらに赴任してそろそろ一か月でしょうか? 淀代には慣れましたか? 確か、担当は箱崎翼だったかと」

「はい……翼さんは若い退魔士の方で実力もあるんですが……なんていうか、すごく奔放な方……と言いますか……」


『情統局』の使命は、鬼人種の存在が世間一般に露呈することを防ぐことにある。

 鬼人種が起こした事件の隠匿、鬼人種が起こそうとする事件の阻止。事と場合によっては該当鬼人種の殺害も行う。


 鬼人種を討伐することが目的の退魔士たちとは理念が異なっているのだ。その理念の違いが、長年の二組織間での抗争を産んだ。

 約八十年前、二度目の世界大戦が終結したのち、二つの組織はようやく手を結ぶこととなった。無論、何の条件もなしに手を組んだわけではない。


『退魔協会』の退魔士たちも、鬼人種と同じくその存在を隠匿すべき者たちだ。彼らの存在もまた、『情統局』によって隠匿されるべきなのだ。


 退魔士が暴走しないように、『情統局』の監視官は退魔士の動向をそばで監視する、という条件の元、『情統局』は退魔士の活動を許容している。


 ――のだが、レインが淀代に赴任して一か月。監視担当の退魔士である箱崎翼は、そんな監視を振り切って一人で鬼人種の討伐に向かってしまった。

「私が新人の監視官だから、甘く見られているのでしょうか……?」

 鬼人種としても、『情統局』の局員としても若いレインは、その見た目も十代前半に見えるほど幼い。


「いえ、前任の監視官に対しても自由奔放な方でしたよ」

「えっ……私の前任者って……」

凶喝キョウカツ殿ですね」

「あの凶喝さんですよね!? 逆らったら少なくとも五年は社会復帰不可能って言われてるあの……!?」

「はい。凶喝殿は三か月で匙を投げました」

「う、嘘ですよね……?」

本当マジです。もう何人もの監視官がダメになってます」

 不動の言葉にレインは顔を引きつらせる。


「えっと……なら、どうして私がそんな問題児の担当になったのでしょうか……? 支部長は一体何をお考えで……」

 悶々とするレインを前に、不動は笑みを浮かべる。

の采配でしょうねぇ。あの方の考えてることは、ワタシにはわかりかねますね」

 日本第3支部の山田沙羅双樹しゃらそうじゅ支部長のにんまり顔を思い浮かべながら、不動はにこやかに佇んでいた。


「ところで、昨晩の鬼人種について何かわかったことはありますか?」

「はい、解析班からの報告なのですが――」

 そう言ってレインはタブレットを操作する。


「鬼人種の首にこれが埋め込まれていたようです」

 鬼人種の死体から検出された五ミリほどのカプセルが表示されたタブレットを不動に見せた。


「術式がかけられた起爆装置のようです。下級鬼人種を口封じのために埋め込まれたものと考えるのが自然です。翼さんが殺した他の鬼人種たちからも、これと同じものが検出されました」

「術式ですか。具体的には?」

「それが……『情統局』のアーカイブからは検索できなくてですね……」

「なるほど」


 ――こちらに情報がないのであれば。

 不動は顎に指を当てて考える。


「張監視官。そちらの検出された術式に関する情報をワタシに共有していただけますか?」

「はい。こちらです」

 タブレットを操作して、情報がまとめられたフォルダを不動の端末に転送した。


「ありがとうございます」

「これで、どうなさるつもりですか?」

「我々が知り得ない情報なのであれば、聞くべき対象は一つしかありませんでしょう?」


 情報を受け取った端末を掲げて、不動は片目を閉じて言った。



 昼休みの淀代高校。暖かな日差しが差し込む中庭で、翼は小さくくしゃみをした。


「わ、翼、大丈夫?」

「大丈夫……なんか私のこと噂されてる気がする」


 それか単純に陽が暖かいせいだろうか。それにしてもどうして日が照っているとくしゃみが出るんだろう。


 翼は売店で買った総菜パンを、明奈は家から持って来た弁当を開けて、中庭のベンチで昼食を摂っているところだった。

 中庭に設置されたベンチやテーブルは、たくさんの生徒たちが昼食や課題をやるのに利用されている。翼と明奈は、そんな淀代高校のありふれた光景の中に溶け込んでいた。


「てゆーか翼、よくそんなハイカロリーで体型保てるよね」

 翼が頬張っているのは焼きそばパン。膝の上には、翼の顔と同じくらいのピザパンが入っていた袋が二つと、焼きそばパンを食べたあとに食べる予定のマヨネーズたっぷりのコーンパンが乗っている。

 育ち盛りの食べ盛りとは言え、これだけの量を食すのは気が引けるのが普通だ。


「まあね……でも私、バイトで結構体動かすから、これくらいでちょうどいいくらいんだよね~」

「マジ? てかそれだけの量消費できるバイトとか、超ハードワークじゃない?」

「ハードワーク、だねぇ……」


 それでも楽しいと感じられる瞬間は多くある仕事なので不満はない。当然だ。


 ――と、そのとき明奈のスマホが鳴った。

「あ、ごめん。電話だ」

 弁当を置いて、一言断りを入れると明奈はベンチから離れて電話に出た。


 一人残された翼は、一人静かに焼きそばパンを齧る。

 と、そのとき、隣のベンチに座る女子生徒たちの会話が耳に届いた。

「え~? ぱる子の動画、まだ更新されてないんだけど?」

 二人組の女子生徒がスマホを弄りながら落胆の声を上げていた。どうやら、好きな動画投稿者の動画がしばらく投稿されていないらしい。


「ぱる子」という動画投稿者は、翼も知っていた。

 都市伝説やオカルト系の解説動画を投稿している女性動画投稿者だ。顔出しをしていて、金髪におしゃれな服を着たギャルのような姿をしながら、オカルトやサブカルチャー、アングラな趣味を持つというギャップに惹かれた視聴者が多数いる。


 F県に暮らしているらしく、最近淀代の新興宗教に潜入しているとかなんとか言っていたような気がする。

 正直に言うと――闘争と縁のない、平和な人生を享受し続けられる人間が、自ら危険に足を踏み入れる理由が翼にはわからなかった。


 ――わざわざそんな危険なことしなくても数字取れてるんだから、今まで通りにしていればいいのにね。


 焼きそばパンの最後の一口を放り込むと、コーンパンの袋に手をかけた。

 と、向こうから明奈が戻って来る。


「ごめんごめーん! なんかバイト先からだった!」

「え、明奈バイトしてたの?」

「うん! ちょい前からね」


 それは初耳だ。淀代高校はバイトが禁止されているわけでもないため、バイトをしている生徒も少なくない。


「でさ、なんかバ先の先輩から手伝いできる人呼んでもらえるー? って言われちゃってさ……あ、でもすぐ終わるって! あと報酬も出るらしいから、翼、来てもらえる?」

「え~? それって買い物行けないってこと~?」

「そうなる……ごめん! また今度埋め合わせするから~!」

「そっかぁ。じゃ、しょうがない。手伝ってあげるわ」


 友達が困っているのだから、手を差し伸べるのは当然のことだ。

 翼の言葉に明奈は顔を綻ばせて「よかった~!」と声を上げたのだった。

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