第5話 フリルの憂鬱――2
櫻子の自宅、宮地嶽家は淀代市中央区のビジネス街から少し外れたところにある。
車に揺られ自宅に到着した。数年前に改築した和式の豪邸は白い壁に囲まれており、正門からやや離れた場所に全く雰囲気の異なるシャッターの付いたガレージで車を降りる。
黑が玄関を開けて櫻子が入ると、まさにちょうど見知った顔が玄関に降りて来たときだった。
「あれ、櫻子ちゃんに黑ちゃん。ちょうど帰りだったんだ」
「お疲れ様です、古賀さん」
靴を履き終えた古賀有親が玄関に立っていた。
「今日は会合だったんですか?」
「あぁうん。件の『イドラ』や『バースト』の対策について君のところのお父さんやお兄さんたちと会議してたんだ」
そう言って笑うが、古賀のどこか引きつった表情からしてあまり有意義な会議にはならなかったのは明白だ。
「随分と遅い時間まで話し合っていたのですね」
時刻は21時だ。腕時計を見ながら黑が言う。
「会議っていうのは、その大半が無駄話だよ。ある程度話がまとまった段階で不動監視官も帰っちゃったし」
「そうですか……」
「まぁ、詳しいことは明日以降みんなに共有するけど、蓮太郎くんや藤耶くんたちもしばらくの間『特殊警備』に協力することになったから」
「兄さんたちが、ですか」
目を丸くして櫻子は言う。『特殊警備』とは距離を置いている彼らがこちらに来るのは珍しいことだった。
「いつまで無駄話をしている、古賀有親」
「おっと」
背後から降って来た声に、古賀が苦笑いしながら振り返る。
櫻子も、古賀の肩越しに自分の兄の顔をおずおずと見上げた。
「あぁ、ごめんね蓮太郎くん。僕はもう帰るから」
「そのつもりならさっさと帰れ」
冷たく言う蓮太郎に「はいはい」と苦笑しながら古賀は玄関を後にした。
玄関に残された櫻子は、訪れた沈黙の中靴を脱いで上がった。
「おかえり櫻子。飯はどうするか?」
「まだだけど、夕食は少しでいいわ。もう遅いし」
時刻は21時だ。明日の大学の準備をしたり風呂に入ったりしなくちゃいけない。
「いや、ちゃんと飯を食え。仕事で消耗したんだから」
「本当に大丈夫だから」
「……最近、ちゃんと飯食べてるか? 朝食だってほとんど食べてないし」
「まぁ、……季節の変わり目で体調が崩れやすいだけよ」
言い返す櫻子。
黑が彼女の肩に手を置いた。
「蓮太郎様。櫻子様の食事は拙の方で準備いたします」
「黑、そうは言うがお前――」
「拙は櫻子様の執事です。櫻子様の体調や予定は拙が把握しています。あとはお任せください」
「……そうか」
黑の言葉に蓮太郎が引っ込む。
櫻子と黑は屋敷に上がると櫻子の部屋へ向かった。
襖を開け、デスクとベッド、姿見と服のかかったハンガーラックがあるだけの簡素な櫻子の部屋に入った。
「櫻子様。本日の夕餉を準備します」
櫻子の荷物を置き、黑が言った。
「ありがとう、黑。でもそんなに食欲ないから、軽くでいいよ」
「雑炊でよろしいでしょうか」
「うん、じゃあそれで」
櫻子が言うと、黑は「失礼します」と言って部屋を出た。
動きやすい部屋着に着替え、ベッドに背を預けた。天井を見上げると、丸いシーリングライトに視界が照らされる。
さっきの鬼人種は一体誰だったのだろう。どこかで見たことがある気がするが、どうも思い出せない。
それにしても疲れた。このまま瞼を閉じると眠ってしまいそうだった。
黑がこれから雑炊を作ってくれるのに、このまま寝落ちするわけにもいかない。――のだが、睡魔には勝てなかった。
重たい瞼が降り、いつの間にか櫻子のは夢の中に落ちて行った。
初めて翼と会ったのは、櫻子が中学二年生のときだった。
『淀代市児童誘拐事件』の生き残りにして、両親を鬼人種に殺害された当時10歳の少女――箱崎翼が、宮地嶽家に預けられた。
二つの凄惨な事件の被害者とあって、彼女は悲しみに暮れていることだろうと思った。――が、彼女の目は、10歳のソレとは思えないほどに復讐の心に燃えていた。
「どうやったら、私のお父さんとお母さんを殺したヤツらを殺せますか?」
そう語る翼は笑顔だった。
笑顔だったが、彼女の目の奥は、親を殺された怒りと鬼人種を殺せる期待の歓喜がない交ぜになっていた。
彼女はとっくに狂っている。例え誰が抑えても、今にも鬼人種を探し出して殺しに行かんばかりの勢いだ。子供ゆえの無知と純粋さが、彼女に「踏みとどまる」という選択肢を与えなかった。
翼の考えていることのすべては、そのときの櫻子には何もわからなかった。
あのときの翼は、十歳の少女にしてはどこか超然としていたから。
それでも櫻子は、自分に妹ができたと思って翼の面倒を見た。
訓練も一緒にこなし、休みの日には一緒に遊んだりした。
末妹の自分を「さく
翼はメキメキと力を付けて、自分なんてあっという間に追い越して行った。
それから七年が経とうとしている。
翼は自分のずっと前を走っている。
こんなに距離が開いたのも、わかっている。
彼女には理由がある。戦うための、強くなるための理由が。
櫻子にはそれがない。宮地嶽という退魔士の家に産まれたこと以上の戦う理由がないのだ。
ただ漠然と、大学に通いながら退魔士をやっている。
『彼女はもう、やめるべきですわ』
担当監視官の言葉を、更衣室の扉越しに櫻子は聞いていた。
退魔士に向いてない、とも
櫻子が退魔士としての自分と向き合ってないというのもまた、自覚はあった。
何も考えず、ただただ流れに身を任せ続けるのは怠惰だ。いつかどこかで自分自身で舵を取らないといけない。櫻子は、そのチャンスをみすみす逃してばかりの人生だった。
薄く開いた瞼の隙間から、電灯の灯りが差し込んだ。
随分体が重いが、壁にかけられた時計を見ると部屋に帰って来てから20分ほどしか経っていなかった。
黑が雑炊を作ってくれてるんだった、と思い出し、櫻子はベッドから身を起こす。
さっきまで見ていた夢は、翼と初めて会った日のことだ。
妹ができたように可愛がっていた彼女は、とっくに櫻子から遠く離れてしまっていた。
――私にも、彼女のように――
その先は、思っていても言葉にはできなかった。
戦う理由が欲しい、だなんて。
理由があればどんなに楽か。
でも、それは短絡的だ。
戦う理由の裏側には、相応の悲劇が積み重なっている。
戦う理由を求めるとはすなわち、そういうことなのだ。
思考を全て放棄し再びベッドに身を委ねたくなる気持ちを堪え、櫻子はベッドを降りた。
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