第16話 インターネット最高!!!――4

 思いのほか、あっさりと男は死んだ。

 ボールペンは眼球を貫き、脳にまで到達した。

 目を見開いたまま、だらしなく垂れ下がった両手と開きっぱなしの口。

 不自然にびくん、びくんと痙攣を繰り返すその肉体を前に、ぱる子は呆然と立ち尽くしていた。


 ――どうしよう。

 じわじわと不安が襲って来る。


 ――この死体、どこに仕舞えばいいんだろう。

 幸いにも、現場を見た人は誰もいない。だが、このままここに放置してもすぐに犯人は突き止められることだろう。


 ――どうしよう。どうしたら、いいんだろう。

 指先が冷える。不格好な呼吸はなかなか整わない。


 と――そのとき、共有スペースの扉が開かれた。

「あ」

 入って来たその人物が、声を上げた。


 死体ともう一人、生きている人間。それが揃っていれば、これがどういう状況なのかはすぐにわかることだ。


「ねぇ、あなた」

 扉を開けてスペースに入って来たその女性は、ぱる子の方へと早足に歩み寄る。

「この前呼び出された『使徒候補』だよね?」

「え……は、はい」


 ぱる子の方にも、彼女には見覚えがあった。

 一緒に聖堂に呼び出された信者の女性だ。


 つとめて冷静に、女性は死体を見つめる。

「私のつてで、死体を隠蔽できるけど、する?」

「い、隠蔽!?」

 思わず大きな声を上げてしまい、女性が人差し指を立てて「しっ!」と声を上げた。


「とにかく、私が話を着けておくからここでこのまま待ってて」

 そう言って女性はスペースを出て行った。

 入り口を封鎖し、即座に教団の人間と思しき者がやって来て、男の死体をあっという間に片付けてどこかへ行ってしまった。



 共有スペースには、赤で修正された台本と意気消沈したぱる子だけが残されていた。


「落ち着きましたか?」

「あ……ありがとうございます」

 女性から手渡された温かいコーヒーを受け取った。紙コップ越しに伝わる熱のおかげか、少しずつ落ち着いてきた。


「あの、もしかしてですけど……」

 机の上に置かれた台本とぱる子とを交互に見ながら、女性が口を開いた。

「動画投稿者のぱる子さんですか?」

 爛々とした瞳で女性が言う。


「は、はい」

「私、ぱる子さんの動画よく見てるんです! たまたまちょっと前から『救世の会』に入信したんですけど、偶然ぱる子さんの動画で『救世の会』に潜入するって聞いてびっくりしちゃいましたよ!!」

「え、見てくれてるんですか?」

「はい! 知ったのは最近なんですけど、前に上げてた歌とかダンスのも見ました! あれ、なんでやめちゃったんですか?」

「あ……えっと」

 矢継ぎ早の言葉に、思わずぱる子は怖気づいた。


 これまでも何度か声をかけられたことはある。だが、動画で見せるぱる子のキャラクターは彼女自身が作り出したキャラクターだ。本来のぱる子は人見知りだし口数も少ない。本当はこういう対応はものすごく苦手なのだ。


「あー、もしかして言いづらい話でしたかね……?」

「……あの、実は」


 思い切って、全てを打ち明けることにした。元凶になった男も死んだことだし、もうぱる子を縛るものはない。

 歌うのも踊るのもやめたのは、突然声をかけてきたコンサルの男にそう言われたからということ。そしてその男もさっき殺してしまったこと。

 ネットで活動することにした経緯も全て話した。かつての夢がアイドルであったことも。

『使徒』になれたら、そのときは最初の夢である「アイドルになること」を叶えてもらうことも。すべて話した。


「そっか……ぱる子さん、裏でそんな大変なことになってたんですね」

「いいえ……こういうことはあんまり表に出すべきじゃないと思いますし……ごめんなさい、こういうのは甘えですよね」


 あくまでも動画に出る自分は、誰かに見てもらうための自分だ。素の自分を視聴者である彼女に晒すだなんて、そんなの本来はあってはならないことだ。


「す……すごいです」

「え?」


「裏側は絶対に動画内に出さないってことですよね? それってすごいプロ意識だなぁって思いまして……! さすがアイドルを志してただけあるなぁ~って、私感動しちゃいましたよ!」


 ずいっ、と身を乗り出し、ぱる子の手を取って彼女が言った。

「私、応援します! ぱる子さんが今度こそアイドルになれるのを!」

「あ、……ありがとうございます」


 本当に心から嬉しかった。自分のことを見てくれている人がいて、心から応援してくれる人がいるということが。

 その事実だけで有頂天になれそうだった。


「あ、自己紹介が遅れました! 私、中園真白ましろっていいます! これから『使徒候補』同士、頑張りましょうね!」



 夜の淀代。

 自分を縛るものはもう何もなくなって、昔から好きだったコスプレも再びするようになった。


 でも、彼女が立つのは憧れの舞台ではなく。

 その手に持つのもマイクではなく。

 浴びるのは歓声ではなく。

 込み上がる表情に笑顔はなく。

 それもまた全ては願いのためだと、込み上げる渇きを真っ赤な命で癒した。


「やっぱり手を組むのが一番のようですね。あなたのおかげで大量の霊気が手に入りましたよ『アラクネー』」

 隣で満足そうな男が、転がった死体を前に屈んでほくそ笑んだ。


「今晩は急に呼び出されて何事かと思いましたが――じゃ、また明日狩りと行きましょうか」

 それじゃ、さよなら、と『アラクネー』を背に手を振りながら男が去って行く。次の標的を探しに、『アラクネー』は男と反対側に足を運ぶ。


 ――決して人に見つかるな。もし見つかれば、貴様らを殺す『死神』がやって来る。


『救世の会』の幹部が語っていた『死神』の正体には最近気が付いた。


『退魔士』と『鬼人種情報統制局』。


 片や、人の身でありながら鬼と渡り合う戦闘のエキスパート。

 片や、鬼の身でありながら人の味方をする日和見集団――それも、人が鬼を差別する際に使う「鬼人種」を名乗る。


 彼らに見つかってしまえば戦闘は避けられない。あの狂戦士共を避けるためにも、人通りの少ない道を狙って歩く。


 霊気は満たされている。だが、まだ足りない、まだ足りないと、次の獲物を探していた。


 遠くから足音と声。槍の穂先をざりざりとアスファルトに擦らせて、口の片端を吊り上げて笑みを浮かべる。進む足の速度は加速度的に速まる。


 ――全員殺して、全て糧にしてやる。


 目的までの距離が近づくにつれて心臓の音が大きく、早くなっていく。

 気が付けば駆け出していた。足が軽い。体も軽い。頭の中には欲望だけが渦巻いていた。


 直後――――


 ガキンッッ!!!!!!!


 反射的に槍を振るった。同時に、金属音と共に火花が散った。

 突如目の前に現れたのは、日本刀を持った黒衣の退魔士だ。その顔に見覚えがある。昨日会ったあの女子高生だ。


「見つけました、昨日のコスプレ鬼人種……!!」

 不敵に笑みを浮かべた『死神』が、待ち構えていた。



 ――聞いてない。聞いてないぞ……!!


 アスファルトを蹴って、鬼人種の男が逃げる。


 ――あんな強い退魔士がいるだなんて、聞いてないですよ……!!!!!


「逃げられるとお思いで?」

「ッ!!!!????????」


 路地の脇から出てきたのは、その身長より遥かに長い槍を携えた眼鏡の男だった。


「クソッ、……クソがぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」

 短刀ほどの大きさの吸血器を出現させ、それを眼鏡の男めがけて投擲。男がそれを槍で弾くのと同時にアスファルトを蹴って、同じサイズの吸血器を出現させる。

 男の懐に向かって、黒いナイフを突き立てる。

 殺す。殺さないとダメだ。


 肉が擦れるような感触が、柄を握る掌に伝わる。仕留めた――と、思ったのは最初の一瞬だけ。刃は、男の腹に届いてなどいなかった。


「視界を潰して不意打ちにかけるとは。半狂乱な癖にいっちょ前にクレバーなのは厄介ですね」

 吸血器の刃を素手で掴んだ男の指の間から血が滴っていた。


 男を見下ろす瞳は、真っ紅に発光していた。

「じょ……情報をくれてやりますよ!! 『救世の会』の!!!」

 死にたくない、と、頭の中に警告音が轟いた。


「アンタは爆破しないの? 頭」

「はッ!?」


 背後からの声に、男は振り返る。黒い上着を着た別の男だ。特殊警棒を片手に、悠々と歩み寄って来る。

「おや、ようやく追いつきましたか。さて、貴重な情報源です。殺さないでくださいね」

「そうだね。翼ちゃんがこいつに当たらなくてよかった」

「彼女なら真っ先に殺してたでしょうしね」

 がっしりと腕を掴まれ、逃げられない男を前に退魔士と鬼の男がそんな雑談を繰り広げていた。


 ――舐めやがって。

 こうも簡単に捕まってしまったことに対する屈辱に、男は歯軋りをする。男は、空いた左手に霊気を集中させる。


「あ」

 男の左手から伸びた黒い刃が、眼鏡の男の腹に突き刺さった。

「おい」

 背後の男の声を背に、男を押しのけて逃げた。


「はッ、油断したなこの野郎」

 息を切らして大通りの方へと駆け抜けた。



「大丈夫?」

「蚊に刺されてた程度ですよ」

 腹部に刺さっていた吸血器は霧散し、不動の腹部からは絶えず血液が流れて

――いなかった。


「この程度で死んでいるようでは『不動』の名が廃りますよ。血中の霊気を凝固させて止血しました。応急処置ですので、念のためにあとで縫合してもらいますよ」

「なぁんだ。心配させないでよ」

「お優しいですね。心配してくれてたんですか?」


 胡散臭い笑みを浮かべる不動に、眉間に皺を寄せながら口元をひきつらせた。

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