第9話 怪しいバイトにご注意を(後編)――3

 翼が白パーカーと交戦していたのと同刻。

 櫻子はコスプレ女と対峙していた。


「クッソ、ふざけんなよマジで……!!!」

 女が叫ぶと自分の親指を噛みちぎった。自暴自棄になったわけではない。それはれっきとした戦闘の合図。櫻子は大太刀を構える。


 親指から赤い血があふれ出し、やがて液体のそれは形を得る。

 飾り気のない、赤黒い槍。血液による武器の生成は鬼人種の持つ特殊能力の一つだ。

 その武器は『吸血器ヴァンパーム』と呼ばれ、高い能力を持つ鬼人種の証だ。


「汚らわしい。そのような鉄臭い武器を櫻子様に向けるな、不届き物」

 鼻根に皺を寄せ、黑が吐き捨てる。


「黑、わかっていると思うけど、手出しは無用よ。この鬼人種の首は私が落とす」

 小柄な櫻子は、一薙ぎで首をも跳ね飛ばせそうなほどの大太刀を悠々と構えた。


「はっ、そんなちっさい腕で何ができるって言うのよ、おチビ」

「言いたいだけ言えばいいわ。首だけになれば、どれだけ饒舌な者であっても寡黙になるのだから」

 言い終わると同時に、櫻子がアスファルトを蹴る。構えた大太刀が振り下ろされるのを、コスプレ女は口元を歪めてほくそ笑む。


 ――どうせ小柄な人間の腕。弱っちい攻撃なんて防ぐのも朝飯前だろ。

 振り下ろされる白刃。槍でその一撃を防ぐ――――はずが。


「――は?」

 砕け散る槍の破片が宙を舞う。目の前に迫り来る刃が、スローモーションに見えた。


「ぐっ……!?」

 このままでは頭をかち割られる。自分の頭蓋がぐしゃぐしゃになる様を想像し――背筋を凍らせながら横に体を捻って攻撃を回避した、つもりだった。


「このっ……!」

 もう一度自分の血液を凝固されて吸血器ヴァンパームを生成する。槍を両手で持とうとして――気が付いた。右腕がない。


「あら残念。外してしまったようね」

 ゴスロリの大太刀使いは、にこりともせず、悔しそうな顔もせず、コスプレ女に視線をやった。


「な、……! あ、あたしの、っ、あたしの腕ぇ……!!!!」

 耳をつんざく金切り声が路地裏に響き渡った。


「……ふぅん、吸血器ヴァンパームを所持しているから、結構長く鬼人種をやっているのかと思っていたけれど」大太刀を担ぎ、櫻子がコスプレ女に歩み寄る。「片腕を吹き飛ばされた程度で狼狽えるだなんて、鬼人種に成ってまだ日が浅いようね」

 膝をついたコスプレ女の手から、吸血器ヴァンパームが霧のように霧散する。彼女の戦意が喪失したのを見ると、櫻子は無慈悲に刀を振り下ろそうとした。

 ――――が。


「櫻子様!!!!!!」


 黑のドスの利いた声。足音と気配は、櫻子の背後からだった。

 反射的に、櫻子は振り返った。白いパーカーを着、フードと黒マスクで顔を隠した何者かが黒いナイフを構えて櫻子に迫っていた。


 白パーカーの刃が櫻子の喉に伸びる――が、刃は寸前で止まる。黑の指から伸びたワイヤーが、白パーカーの右腕を絡めとっていた。


「……」

 一瞬の逡巡を見せたのち、白パーカーは左手に黒い刃を出現させる。右手に持ったものより大きな、少し小さな鉈のようなものだ。血と白パーカーの持つ霊気の色が混ざり合ったような赤黒いそれで――躊躇いなく囚われた右腕を切り落とした。


「なっ」

 呻き声一つ上げないその行いに、黑は感嘆する。


「躊躇の一つもないとは、それでこそ鬼人種よね」

「感心している場合ではありません櫻子様――!」

 ワイヤーに絡めとられた右腕だけを残し、白パーカーは櫻子を押しのけてコスプレ女の方へと向かった。項垂れる女を抱えると、その重量をも感じさせないスピードで隣接するビルの壁面を駆け上って行った。


「逃してしまったわね」

 ため息交じりに櫻子が言った。

「申し訳ございません。せつがあの者をきちんと捕らえられていれば――」

 黑が頭を垂れ、謝罪の言葉を紡ぐ。


「いやいや~黑くんは悪くありませんよ~あんなイカレ選択肢採る方が悪いんですって」

 黑の後ろからやってきた翼が飄々とした声で言う。


「……箱崎翼、櫻子様のお手を煩わせた上に僕に軽口を叩くとは、死ぬ覚悟はできているようだな?」

「ひえっ、怖っ」

 執事の眼光に思わず翼は肩をすくめた。


 コスプレ女も途中で乱入した白パーカーも消えた。翼と対峙していたオールバックの男もどこかへ逃走したようだ。


「誰が悪いだの論じてもキリなんてないわ、黑。そろそろ迎えの車を呼ぶから、急ぎましょう」櫻子が柔和に笑みを浮かべながら、それと、と視線を移す。「とも、お話ししたいことがあるわけだし」


 未だワイヤーに囚われたままのチンピラたちに視線をやりながら、櫻子が言った。


「休みだったのにご苦労様だったわね、翼」

「大丈夫ですよ、さく姉~助けてくれてありがとうございます」

 翼がとある事件を経て退魔士になる道を選んだ幼少期、預けられた宮地嶽家で櫻子とは仲良くしていた。

 時を経て、退魔士として学生アルバイトをしている今でも櫻子のことは姉のように慕っている。


「すごいわね、翼。刀を使わずとも鬼人種と渡り合えるだなんて」

「まぁギリギリでしたけどね! さく姉が来てくれなかったら私は死んでましたよ」

「でも、刃物を持った鬼人種に果敢に立ち向かえるのは素晴らしいことよ」


 やがて三台の車が現場に到着した。

 櫻子を迎えに来た宮地嶽家の車、捕虜チンピラを詰め込むための『情統局』の車、それと、古賀の運転する翼たちへの迎えの車だ。


「お疲れ様だね、翼ちゃん。お休みなのにこんなことに巻き込まれて大変だったでしょ」

「古賀さ~ん。お疲れ様で~す。私は別に大丈夫ですよ~ワイヤーだけで戦う実戦もできましたし!」

 ただ、と、別の退魔士が運ぶ友人の方を見る。


「明奈を巻き込んでしまったことは……私の責任です。洗脳されていたとしても、すっごく怖い思いをさせてしまったんですから」

「……そっか」落ち込む翼に、古賀はかける言葉を探す。「翼ちゃんは友達想いなんだね」


 捕虜は『情統局』が引き受けることとなった。詳しい情報を、あのチンピラたちから引き出せるだけ引き出すつもりとのこと。


 宮地嶽家の車に揺られながら、宮地嶽家六女、櫻子は頬杖を突いて淀代の夜の街を眺めていた。


「櫻子様」

 凛とした声。だが、どこか覇気のなさを感じさせるトーンだった。


「本当に、申し訳ございませんでした」

「何が?」

 こちらを振り向きもせず、かといって醒めたわけでもない声音で、櫻子が返した。


「拙が、敵を始末しきれなかったことです。あのままとどめを刺せていれば、あのコスプレ女もまとめて処分できたはずです」

「過ぎたことを悔いてもしかたがないわ、黑」


 それに、と、櫻子が続ける。

「私だって黑に謝りたいの」

「櫻子様が……ですか?」

「えぇ。――私はあのとき――不覚にも背後を取られたとき、振り返ってしまった」

 窓ガラスに映る櫻子の顔は、黑の側からは見えない。


「黑――あなたを信じて、あなたに背中を任せていれば、目の前の敵の首を打ち落とせていたのに」

「櫻子様……」


「悪いわね、黑。あなたの主がこんなに弱腰で」

 櫻子は、最後までこちらを向かなかった。



 ――ずっと昔から、可愛い妹分だった。

 末っ子の自分は彼女の世話を喜んで引き受けた。

 一緒に鍛錬をして、一緒に強くなった。――けれど、


 ――いつの間にか、あの子も大きくなってしまった。

 ――翼。

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