第8話 怪しいバイトにご注意を(後編)――2

「な、なんだ……?」


 フリルを見上げるチンピラが困惑の声を上げる。

 無理もない。突如空から降ってきたのだ。それも、首を落とせそうなほどに頑強な大太刀と、それと不釣り合いなフリルを纏った少女。誰だって目を疑いたくもなる。


 黒とピンクのフリルに『宰都特殊警備』のエンブレムがついたゴアティックスの黒いマウンテンパーカー。彼女の着る袖の広がったゴスロリ衣装に合わせて、上着の袖口は大きなスリットが入った特殊な加工となっている。

 ピンクのメッシュが入った栗色の髪は長く、前髪、もみあげと真っ直ぐに切りそろえられた、所謂「姫カット」だ。

 宮地嶽櫻子。古くからF県の退魔士をまとめ上げる名家の六女だ。


「ちょ、……っ、ちょっと! 配信中なんだけど!? スマホどうしてくれんのよ!! 弁償しろよこの地雷女!!!」

 地雷女はどっちだよ、と翼は苦笑した。


「もういい、そいつ殺せ!!」

 女のがなり声を合図に、チンピラたちが一斉に飛び出す――が、チンピラたちの体がまるで走っている場面を写真に撮ったかのように不自然に停止する。


「――櫻子様を傷付けるつもりなら、容赦はしない」

 少年のような声が、路地裏に凛と響く。

 周囲に張り巡らされたワイヤーが、チンピラの手足を絡め取る。それらは全て、声の主の両手の指から伸びていた。


 烏のような黒髪に燕尾服。スクエア型眼鏡の奥の瞳は幼さを孕み。纏うのは上着ではなく『宰都特殊警備』の文字が走る腕章。

 翼よりやや高い長身はスラリと細く――乳はやたらデカい。

 福間クロ。宮地嶽家に代々仕える福間一族の娘だ。


「翼さん! 大丈夫ですか!?」

 背後の声に翼は身を起こした。金髪にアクアマンの瞳が心配に駆け寄って来た。


「あ、レインさんお疲れ様で〜す。めっちゃ殴られたんですけど、まぁ大丈夫ですよ~」

「ほんとですか? あの、一応検査受けてくださいね? 人間の方は内臓とか破裂したら本当に危険なので……」

 レインに手を引かれながら翼は立ち上がった。殴られた腹はまだ痛むが、助けに来てくれた3人の顔を見ると少しばかりマシになった気がした。


「うちの妹分が随分と世話になったわね」

 黑の手を借りながらアスファルトに着地した櫻子が、大太刀を引き抜いて悠々と歩み寄る。

 ――それを見ていたオールバックの男は、後退りをしてその場から逃げようとしていた。


「どこに行くつもりですか〜? おにーさん」


「ヒィィ!!?」

 背後に立つその声の主に、男は振り向きざまに情けなく悲鳴を上げて尻餅をつく。


「痛かったなぁ~思いっきり殴るんだから、今日のお昼ご飯全部吐いちゃうところでしたよ〜」

 お腹をさすりながらやれやれ、と翼は頭を振る。


「ふ、ふっ、ふはははは!!」

 さっきまでの威勢を取り戻したのか、はたまた単なる虚勢か。男が笑い声を上げた。


「これが淀代の退魔士共ですかぁ!! いいでしょう私が貴様らを殺すその最初の一人と――――ひでぶっ!?」

「ごめんなさいね~おにーさぁん」

 男の顔面を蹴り飛ばした翼が屈んで、仰向けに倒れた男の襟首を掴んで起こした。


「おにーさんもすっごい面白い人だなーって思うけど、私の友達を傷付けた以上はただで帰すわけには行かないんですよね~」

 男の背後に回った翼は右腕のワイヤーを引き出すと男の首にかけた。


「ぐげっ……がっ、は……」

 ワイヤーが男の首を圧迫し、気道が塞がれる。男が口の端から泡を吹いて白目を剥き始める。

 ――闘争を求めた男の末路は、じわじわと絞め殺される。そんなあっけのない最期――かと、思われた。


「翼さん! 上です!!」


 レインの声が路地裏に響く。

 弾かれたように頭上を見上げた。


 白いパーカーを纏った何かが、黒光りする刃を翼の脳天めがけて振り下ろそうと空から降って来た。


 とっさにワイヤーを手放し、後方へと飛び退く。酷く大きな音を立てて白パーカーがアスファルトに着地した。

 ……さっきまで翼に首を絞められていた男はというと、とっさに身を翻して白パーカーの刺突を回避した。


「みんな上から降ってくるのが好きですねぇ!!」

 頭の上は死角になりやすいのは事実だ。確実に仕留めるのなら、現実的かどうかという点を除けば頭上から攻めるのが一番だ。


 白パーカーが黒いナイフを振りかぶって迫りくる。翼は繰り出されるナイフの剣戟を構えたワイヤーでいなす。

 一手一手が速く、重い。殺意の籠もった一撃。


 考えながら捌いていては遅い。頭を切り替え、考えるのをやめる。繰り出される刃を反射だけで防ぎ、受け流す。

 研ぎ澄まされた勘と反射神経で白パーカーの攻撃を受けているうち、翼の脳は一つの事実を浮かび上がらせる。


 ――例え自分が完全な武装をしていたとしても、こいつを殺すことはできない、と。


 純粋な強さだけではない。今の白パーカーは、碌な武器も持たない翼に対して臆することなく攻撃を繰り出している。きっと翼が日本刀で武装していたとしても同じように迫りくることだろう。

 死をも恐れぬ戦士ほど怖いものはない。その首に刃が届いたとしても、翼の命は刈り取られることだろう。


 命が奪われるかもしれない瀬戸際。足を踏み外せば二度と戻れない奈落に落ちる可能性があるというのに――翼の口元には笑みが浮かんでいた。


 このまま防戦一方でも仕方がない。ワイヤーで白パーカーのナイフの柄を引っかけて叩き落とした。これで敵の戦力を削いだ――と一息つく間もなかった。

「っ!!」

 白パーカーの蹴りが飛んでくる。咄嗟に両腕を体の前でクロスした。


「うぐっ!?」

「翼さんっ!!」

 蹴り飛ばされてアスファルトに叩きつけられる前に、誰かが翼の体を受け止めた。


「怪我はありませんか!?」

「あ……レインさん、ありがとうございます」

 蹴られる直前に後ろに飛んで勢いを殺したのだが、それでもかなりの衝撃があった。蹴りを受け止めた両腕が未だにビリビリと痺れる。骨は折れてはいないようで一先ず安心した。


「あっ、あれ」

 翼が顔を上げ、ハッと息を飲んだ。

 先ほどまで翼と対峙していた白パーカーが消えていた。

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