第7話 怪しいバイトにご注意を(後編)――1

【西日本報道オンライン】

二〇一X年九月二十八日掲載

『行方不明児童 遺体で発見』


 今月初頭より行方不明となっていた淀代市内の小学校に通う児童複数命が遺体で発見されました。

 警察からの発表によりますと、今月一日に淀代西小学校に通う高本優斗くん(9)が家に帰ってきていないという通報を受け、翌日捜索願が受理されましたが、今月二十八日、優斗くんを含めた十八人の児童が遺体で発見されたとのことです。


 また、淀代市内の小学校に通う女子児童(10)が一名保護され、命に別状はないとのことです。



 夕方五時の東区、渡井通り。

 淀代名物の屋台が営業準備を始めるころ合い。

 燦々と輝いていた太陽は沈み、夕焼けと白色電球のオレンジ色が通りを染め始める。


 東区は次第に、夜の顔へと変貌する。

 それでも通りは、学生や務め人など大勢の通行人が通い賑わっていた。

 百貨店のネオンや飲食店の明かりは、まだまだ眠るには早い、と言っているかのようだった。


 翼と明奈は渡井通りに面する私鉄ターミナル駅、南淀代駅の改札を抜け、賑わう大通りへと出た。


「そう言えばバイト先ってどの辺にあるの?」

「んーっとね、永浜公園の辺りなんだけど~」

 東区の北部に位置する公園だ。


「あの辺治安悪いけど、ほんとにそのバイト大丈夫?」

「大丈夫大丈夫! ただのビラ配りだから! あ、うちらは荷物運ぶの手伝うだけらしいから、そんなに身構えなくていいよ~」

「ビラ配りか……まぁ、大丈夫かな」


 東区でバイト、とだけならこの辺りの飲食店や百貨店でのバイトと思われるが、東区北部で得体の知れないバイト、となれば闇バイトなんかを疑ってしまう。


 渡井通りからほど離れ、辺りは暗くなり始める。陽の光が失せ始めたからじゃない。街灯も屋台の明かりも、自動車のヘッドライトも周囲からなくなり、人通りの少ない道へと入って行く。

『放置区域』の手前。辛うじてまだ人の手が入っている区域だ。


「あ……明奈、本当に大丈夫?」

 明奈の足取りは確かなものだった。

 真っ直ぐ、疑いなく通りを突き進む。本当にこっちにバイト先があるんだろうか。


「ねぇ、明奈……!」

 進み続ける明奈の肩を掴んで引き留めた。


「ほんとに、本気? 本当にこの辺りにバイト先があるの?」

 明奈の肩を掴んで振り向かせた。

 その表情に、翼は息を飲む。口元に微笑みを浮かべたまま、瞳には光がない。振り向いたときに揺れた髪が唇にかかっているのに、微塵も邪魔そうにしていない。


 ――洗脳。


 その二文字が脳裏をよぎる。

 何らかの精神攻撃をされている。

 一体いつ――? 思考を巡らせるもそんなのわからない。


「明奈、帰るよ」

 洗脳を解く暇はない。というか、退魔士として前線に立って戦うことしかできない翼に洗脳の解き方など知らない。とにかく、なんだっていい。今はここから離れるのが先決――――


「あ、見つけました原田さん。そちらはお手伝いのご友人の方ですね?」

 と、背後から足音と共に声が降ってくる。


 振り返ると、少ない電灯のうちの一本に照らされた男の顔があった。

 黒い髪をオールバックにし、スーツをきっちり着こなした大人。

 ぱっと見、真面目な勤め人に見えるが、翼の警戒レベルはレッドラインを超えている。


 こんな時間、こんなところにいる大人が健全なわけない、という理由もあるが、翼の直感がこの男は危険だ、と信号を発している。


「明奈、あれ、バイト先の人?」

「うんそーだよー。なんかねーお金いっぱいもらえるバイトがあるらしくてねー応募しちゃったんだ〜」

 笑い声混じりに明奈が答える。

「そっか。次からは怪し気なバイトにホイホイ応募しちゃダメだよ」

 明奈を背後にしながら、翼は眼の前のスーツの男と対峙した。


「あー! 明奈のバイト先の上司さんでしたか。すみません明奈ちょっと体調悪いみたいでして、今日は早退させてもよろしいでしょうか?」

「ははっ、そう警戒なさらないでくださいよ、学生さん。殺気が隠せてないですよ」

 言葉を飲む。警戒心と殺意を剥き出しにするのは悪い癖だよ、と、古賀に散々注意されているのに。翼は歯噛みした。


 しかし――少なくともこの男が堅気ではないことはわかった。翼はカバンのポケットからスマホを取り出すと、とある簡単な操作をした。このままこの場所を離れよう。ゆっくり後ろに下がり始めたその直後――


「ねぇ。あーしの出番まだ?」

 背後から刺すような女の声。複数の足音。

 振り向くと明奈の肩越しに一人の女と五人の男が立っていた。


 この辺りでは見たことのないワンピースタイプのセーラー服と街灯に照らされた奇抜なツインテールは青色だ。

 数年前に流行ったアニメキャラのコスプレであると、翼は即座に気が付いた。

 背後の男たちは、この街の喧嘩好きなチンピラたちであろう。


「先走らないでください『アラクネー』。はちゃんと用意していますので」

 撮れ高……? と、首を捻る翼が女の方を見ると、その手には、スマホが握られていることに気付く。


「あーしの視聴者が待ってるんだからさ。もうみんな焦らして視聴者数稼ぐ時間はとっくに過ぎてんの」

 こん、と、ローファーを鳴らしながらコスプレ女が苛立ちを露わにする。


「視聴者……? 配信でもやってるんですかね」

 どこのプラットフォームだか知らないが、こういう喧嘩や犯罪の現場をネットに上げて承認欲求を満たそうとする連中や、それを見たいと群がって来る野次馬はたくさんいる。


「いやはや、申し訳ありませんね。数は少ないですが、お好きに使ってください」

 いつの間にか背後に忍び寄ってたオールバックの男が、翼と明奈の背中を強く押した。

 翼はなんとか転ばずに済んだものの、意識がふわふわしたままの明奈はアスファルトに倒れ込んだ。咄嗟に膝をついて明奈の容態を確認する。頭でも打ってしまったのか、気を失っている。


「……どういうつもりですか? これ、バイトらしいですけど、一体どういうバイトで?」

「えぇ、とても大事なアルバイトですよ。報酬のお支払いは出来かねますがねぇ……!」

 両手を広げて後ろに下がり、オールバックの男が細めて笑う目は、あかだった。


 鬼人種。翼は、口の端を吊り上げる。

「ははぁ、現しましたね、正体――――!!」

 制服のカーディガンの下、右腕に巻かれたシルバーのブレスレットに手を伸ばし、ワイヤーを引き延ばす。刀を持ち歩けない代わりに、こうしてコンパクトかつ目立たないサブの武装を常に持ち歩いている。


 正体を見せたのなら後はこっちのモノだ。

 オールバック男の首を絞めようと、烈火のごとくアスファルトを蹴った。

「真っ直ぐ向かって来るとは――愚か愚か!!」

 カッ、と見開いた瞳で男が高笑いした。構わず駆け続ける。

 フェイントをかけて背後を取る――それが翼の選択した進路だった、が。

「ごばっ――――!?」

 腹に男の拳が突き刺さった。肺の中の空気が寝こそぎ奪われる。せり上がりそうになった胃の中のモノを、ぐっと飲みこんだ。


「あなた程度のクソガキの考えることなど、わかりきっておりますよ。もっと立派な大人になってから出直してきなさい。まぁ――そうなる前にあなたは死ぬんですけどねぇ」

「は――、か弱いJKの腹殴んのが、立派な大人のすることなんですかぁ?」

 起き上がろうとする翼の肩をローファーが踏みつける。


「茶番うざ。さっさと殺させろよ」

「ころ、す?」

 視線を横にずらすと、気を失った明奈をチンピラたちが抱えてどこかに運ぼうとしていた。


 見慣れたはずの路地裏だというのに、その光景はいつもと違っていた。

 横倒しの視界。星のない空は、いつもより遥か遠く感じた。


 使い慣れた得物がないためか、相手の攻撃に対して出遅れた。

 思い切り殴られた腹が痛い。最初の数秒、呼吸が不可能だったが次第に酸素が喉を通過するようになる。


 起き上がろうと手をつくが、即座に足で踏みつけられて再びアスファルトに頬を擦る。


 プライベート用のスマホから救援要請を出して3分。このくらいならなんとか持ちこたえられるかと思ったが――思いの外キツイかもしれない。


「結構粘るじゃん。ただのヒトガキの癖にさぁ」

 頭上から降る声の主の女は、コスプレ衣装を身にまとっていた。

「明奈……っ」

 路地裏の向こう側で、明奈が気を失っている。

 自分がいながら、なんとも不注意だった。


 紅い瞳の嘲笑が、暗い路地裏にこだました。


 どうして気付けなかったんだ。どうしてもっと早く、明奈の違和感に気付けなかったんだろう。

 もしそうであったら、彼女を引き留めて今頃平和に買い物でもしてたって言うのに。


「あ? 何してんの」

 ワイヤーを手に取り、なんとかして両腕を持ち上げる。ワイヤーはぎちっ、と音を立ててコスプレ女の足に巻き付く。


「諦め悪ぃなぁ」

 嘲笑交じりに女が翼を見下ろす。

「諦められるわけ、ないでしょ……!」

 ギッ、とワイヤーが締まる。


「友達がピンチになってるなら、アンタの足引きちぎってでも立ち上がるもんですよ……!」


「……はっ、うざ」

 翼の手を振りほどくと、その足で翼の腹を蹴りとばした。


「所詮は人間なんだからさぁ、諦めてあーしらの養分になれよ、な?」

 言葉を発するも困難な翼の顔を見下ろしながら、女がせせら笑った。


「姉さーん、そろそろ始めません?」

 チンピラの呼ぶ声に、女は「あー始めよっかー」とセルカ棒を片手に明奈を囲むチンピラの方へと歩み寄った。


「ま……待て……」

 翼が起き上がろうとする。刀がないだけでこのザマとは、何が退魔士だ。

 唾を吐きたくなる気持ちのまま顔を上げる。


 その直後――コスプレ女の持つスマホが粉砕した。


「は――?」


 呆気にとられた女の目の前には、大太刀が突き刺さっていた。白銀に煌めくその刃が、女の持つスマホを破壊していた。


「……はは、やっと到着ですかぁ」

 音もなく、アスファルトに突き刺さった大太刀の柄頭に立つ、纏ったフリルを見上げながら翼は笑った。

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