第11話 人と鬼――2
『鬼人種情報統制局 日本第3支部』にて。
目の前の惨状に古賀有親は開いた口が塞がらなかった。
椅子に拘束された捕虜は、目、鼻から大量の血液を流し、だらしなく開いた口からは大量の涎を垂らしていた。糞尿も垂れ流されたままのその男はとっくに死亡しているのは明白だった。
「少々手間取りましたが、彼らのバックにいる存在の情報が掴めました」
そんな惨状などまるでなんでもないことであるかのように、不動は笑みを浮かべていた。
「あの、不動特別監視官」おずおずと部屋の扉から張・レインが顔を覗かせる。「せめて綺麗なお部屋でお話されてはどうでしょうか?」
夕刻、昨晩捕えた捕虜から情報を得たという連絡を受けた古賀は、中央区の情統局の支部に向かった。
――そこで古賀を待ち受けていたのは、目の覆いたくなるような惨状だった。
案内されたのは小さな会議室。
白い壁に囲まれ、4人がけの机と椅子が用意されたその場所は先程まで古賀たちがいた地下と打って変わって清潔感のある一室だった。
「彼らを尋問して、彼らがどこから力を得ているのかを突き止めようと考えました。彼らのうち1人目を尋問したのですが――彼の頭は弾けてしまいました。
レインが淹れてくれた紅茶を一口飲み、不動は続ける。
「自白しようとすると件のカプセルは起爆する。自白せずとも、答えてしまおう、と思うだけでもトリガーになってしまう。これは大変厄介なことになりました。情報を引き出したいのに情報を吐かせようとすると捕虜は死んでしまう。このジレンマを一体どうやって解消しようか――我々は困り果てました」
嫌味のない柔和な笑みで。同時に感情的な起伏を排し、淡々と事実を並べていく。
「ですが、どんなものにも穴はある。幸いにも捕虜はその時点で七人残っていましたので」
「……一つ一つ方法を試したの?」
「えぇ。あらゆる方法を試しましたが――それらの説明は割愛しましょう。あなたが知りたいのはそこではないでしょうし。――彼らの脳のカプセルには、特定の情報を吐こうとすることで起爆する仕組みが施されていることはこちらも把握しております。これはどうやっても避けては通れぬ壁です。外科手術をすれば可能性はありますが――そんなことをしている暇はありませんしそのような技術を持つ医師を連れてくるのも手間ですからね。情報を口にすることはできない。しかし、情報は間違いなく存在している。――彼らの頭の中に」
不動の言葉に、古賀は鼻根に皺を寄せた。
「捕虜の脳から情報を吸い上げたのか」
「えぇ。よくご存知ですね」
「伊達にこの業界で食ってないもんでね。アンタらの持つ技術くらい知ってる」
嫌気が差す、とばかりに吐き捨てた。
人の脳に刻まれた記憶や記録を引き抜き、情報を得る能力。鬼人種の中には、そんな芸当が可能な者がいくらかいる。
万能な能力ではあるが、情報を吸い上げられた脳には大量の負荷がかかり、脳の持ち主は死亡、運が良ければ廃人化という未来が待っている。
情報を吸い上げた方の鬼人種の脳にも負荷はかかるも、彼らの肉体や臓器の耐久力は人間のそれと比較にもならないほど強い。
人間と鬼人種の絶対的な埋まらない身体的スペック差。
だが――人間と鬼人種の間にある隔たりは、それだけではない。
「捕虜が複数いて助かりましたよ。一人や二人では試行回数が足りませんでしたから」
必要とあらば、当たり前のように命を奪える。
同族の鬼人種相手だろうと、同盟を結んだ人間相手だろうと関係ない。
人も鬼も、駒としか考えられない。
――しかし、まぁ。
そんな人との隔たりも、長く生きた鬼人種だけが持つものだ。
鬼人種に成って日の浅い元人間の鬼人種たちは、残酷であり感情的であり、そこには悪意がある。
だが、長い年月を生きた鬼人種は違う。
残酷で冷酷で――そこに悪意がない。
言うなれば彼らは「歯車」だ。「部品」だ。悪意もなければ善意もない。「そういうものだ」として、あらゆる
目の前にいるのは、そんな怪物だ。
「さて、お聞きしたかったあの状況の説明は以上になりますが、不明点はございますか?」
「いいや、何も」
古賀は、あの尋問による惨状について不動に問い詰めた。一体何をしたらこんな状況が生まれるのか。
気になる点は一つあったが、答えはなんとなくわかっている。
「ですか。では、本題の方に入りましょう」
不動はにこりと笑みを浮かべる。
――そうだ。本来はこっちの話を聞きに来たのだ。必要であったが、酷い回り道をしてしまった。
「まず――彼らに力を与えていた者たちの存在についてです。彼らの背後にいたのは、淀代を根城とする『救世の会』です」
「『救世の会』……? あんなのただの新興宗教じゃないの?」
「うまく隠れ蓑にしていた様子です」
『救世の会』。1年前、突如淀代に開かれた新興宗教。
信者数もそれなりに多く、F県内外から入信希望者が淀代にやって来る、という話くらいは古賀も聞いたことがあった。
ネット上で黒い噂も広まっているが、陰謀論者がでっち上げた眉唾か、事実だとしても鬼人種の絡んだものではないだろうと高を括っていた。
「情報を得たのが下っ端の戦闘員であったため、あまり踏み込んだ情報は得られませんでしたが――『救世の会』はどうやら、戦闘部隊を作ろうとしているようですね」
「戦闘部隊? 淀代のチンピラたちをかき集めて戦争でも始めようってことかな」
他の宗教団体。淀代のヤクザ。はたまた――国をひっくり返そうとしている、とか。
「戦闘部隊の隊員にするのは街のチンピラではないようです。『救世の会』の信徒から選ばれた者たち。情報を引き抜いた捕虜の記憶によれば――うん、何と呼ぶのでしょうか。奇抜な格好をした女性の鬼人種がそれに該当するようですね」
「まだ不明瞭な点が多すぎるけど、これからどうするつもり?」
「一先ず、『救世の会』にこちらの人員を潜り込ませましょうかね」
「やめといた方がいいよ。アンタら鬼人種にに神を信じる人間の真似事なんてできないよ」
手っ取り早いのは潜入調査だ。しかし万が一バレた場合のリスクが大きすぎる。
「信者や元信者に詳しい話を聞きながら様子見するよ。潜入調査は、ある程度情報が出揃ってからその是非を決める」
「ふむ。『救世の会』の調査についてはそちらにお任せしましょう」
そう言って、不動はティーカップを傾ける。空になったカップをソーサーに置くと、おや、と一口分も減っていない古賀のティーカップを見た。
「一口も飲んでいないようですが。紅茶はお気に召しませんでした?」
「僕は退魔士だ。鬼人種を信用してると思うか?」
古賀の言葉に「なるほど」と笑みを含みながら不動が眼鏡のブリッジを押し上げた。
◆
昼休みも残りわずか。生徒たちは足早に教室へと戻って行く。
翼はそんな生徒たちの流れに逆らうように、教室棟とは反対方向へと急いだ。
保健室に到着すると、急いでベッドの方へと在果を連れて行く。
「もう大丈夫ですか? どっか悪いところとかありませんか?」
「うん、ちょっと楽になったかな」
ベッドに腰掛けた在果が弱々しく笑みを浮かべた。
「貧血かなぁ。でももう平気だし、教室戻るよ」
「いやダメです。ふらついて倒れて怪我でもしたら大変ですし、顔色もすごい悪いですよ。授業だって集中して聞けないと思いますから次の授業は休んでください。先生には私から言っておきますんで」
起き上がる在果を何とかして寝かせた。在果は未だ不満げのようだが。
「困ったなぁ~次の日本史、板書だけ写してもちゃんと理解できないヤツかもしれないしな〜」
「私がちゃんとノート取っておきますから。日本史の遠賀川先生が言ったことも一言一句メモっておきますから!」
「あっはは〜それは至れり尽くせりだなぁ。悪いなぁ」
「別に問題ありませんから。早く寝てください。あ、飲み物とか欲しかったら保健の先生にちゃんと言ってくださいね。最近気温も上がってますから、熱中症なんかには気を付けてくださいよ? ……何笑ってるんですか」
「ううん、箱崎さんって優しいんだなって思ったの。ありがとう、授業ギリギリに付き合わせちゃって」
「えっ、と、……それは……って、ああ!! 授業! もうすぐ始まる!!!!」
保健室の時計は授業開始2分前を指していた。
「じゃあ私、教室に戻りますので!!」
失礼しました! と保健室を出て行った。
誰もいない廊下に出ると、極力走らぬようにしつつも早足で教室まで戻る。急げ急げと足を進た。
『箱崎さんって優しいんだなって思ったの。ありがとう』
頭の中で反芻する在果の言葉。
「……優しいって思ってくれてたんだ」
足早に進む学校指定のスリッパの音にかき消されるほどの声量で呟く。
翼は自分自身が、誰に対しても優しい人間になれるような器ではないとわかっていた。
それでも、人として正しいことができるようにと心がけて生きていた。
困っている人がいれば手を差し伸べるし、間違っていることがあれば正す。だけど誰かの、何かの奴隷になるわけでもなく自分の意思ははっきり伝える。
そうして翼は、冷たい心を弾けたテンションで覆い隠して生きてきた。
優しい人間にはなれない、と思っていた。
だけど、翼の中に優しさを見出してくれた人がいた。
「それも、あの水城さんが……えへ」
「何か愉快なことでもあったのか? 箱崎」
突然声をかけられて、思わず翼は「わぁっ!?」と肩をびくつかせた。
「あ、遠賀川先生」
担任の遠賀川が教材を抱えてこちらを見ていた。
「授業、もう始まるぞ」
白髪交じりの、いかにも「厳格」という言葉が似合いそうな眼鏡の中年男性教諭が無感情に言った。
「すみませ~ん、急いで教室に戻ります~」
そろそろと足を進めようとして――翼は一つのことを思い出す。
「先生、水城さんなんですけど、ちょっと貧血起こしちゃったみたいで今保健室で休んでます」
「貧血か」
「はい。まー最近気温も上がってますからねー体調悪くしちゃう人も結構増えてるんだと思いますよ」
「そうだろうな」
ぽつり、と遠賀川は短く返した。
「……箱崎」
「はい、なんですか?」
「箱崎は大丈夫か?」
「え、何ですか? 体調ですか? まぁ、私は別に平気ですけど」
急に言われて、たじろぎながら翼は返した。
あの堅物な遠賀川先生が生徒の体調を心配するなんて――と思ったが、一応この方、自分のクラスの担任の先生だった。教師なら生徒の体調に気をかけるのは当たり前のことであった。
「もうじき文化祭だが、水城から何か話を聞いてないか?」
「実行委員に勧誘されたんですけど、私バイトで忙しいので断っちゃいました」
「そうか。水城は知らないのだったな、――箱崎が一人暮らしをしていることを」
「……え?」
思わず、短く声を漏らした。
「あの、水城さん、私が一人暮らししてるってこと、遠賀川先生から聞いたって言ってましたけど……」
翼の疑問に遠賀川は訝しんだ。
「生徒の個人情報を他の生徒に話すわけがないだろう」
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