第10話

 スケープゴート事務所にて、新人研修が始まった。

 場所は小会議室と呼ばれるほどの三十人ほどの人間が収容できるほどの広さだった。会議室前方の壁には黒板の代わりにホワイトボードが設置され、その目の前には中学校や高校で見た教壇が一つ置かれていた。そしてさらに教壇から見下ろすかたちで長机と椅子がたくさん並べられていた。

 新人研修には自分の他にどんな人がいるんだろうと、少し楽しみにしていた奏太だが、この日、この会議室にいるのは奏太と研修を担当する先輩社員の二人だけだった。まあ、改めて考えると自分は中途で採用された身だから、同じ時期に採用された人間が自分一人であることも納得できた。

 社会人経験がない奏太が昨夜事前にインターネットで調べたところ、新人研修の内容は一般的にどこの企業も同じ。社会人とは?という社会人としての心構え的なところを理解するところから始まって、ビジネスマナーや各企業の理念について学んでいくといった流れで行われるようだ。それが終わると配属先に合わせた職種別の研修があり、その先は実務を通して働きながら色々なことを学び、一社会人として自立していくらしい。

 スケープゴートの新人研修もそんなものだろうと奏太は予想していたが、そんなことはなかった。

「裁縫、ですか……?」


 奏太の前の机には、色とりどりのフェルトに大小様々なサイズのビーズ、それに裁縫セットと綿わたが置かれていた。

「そうだ。お前にはこれから形代かたしろを作ってもらう」

 声の主はそう言って机の上に何かを置く。それは虎のかたちをした人形だった。手のひらサイズのその人形は全体的に古ぼけており、虎の頭の方には赤黒い汚れのようなものが付いている。

 汚さが目立つものの、しかし、それは作りがとても精巧だった。手芸に疎い奏太が評価するのも気が引けるが、とにかく一瞬見ただけで虎だと分かる出来栄えをしていた。ふわふわした毛に至るところに刻まれている黒いすじ模様、そして澄んだ黄色い瞳のすべてが虎としての美しさを際立たせている。しかし、それは決して獰猛には見えず、かといって虎としての強強しさが損なわれているわけでもなかった。何となく親しみがあるというか、そこはあくまでも人形だということなのだろうか。

 奏太はじっくりと人形を観察した後、ある言葉に注目する。

「形代? それは一体……」

「形代とは依代よりしろの一種で、人間の身代わりとして穢れや厄災を受けるもののことをいう。分かりやすく説明すると、実は桃の節句で飾る雛人形も形代だ。女の子が無事に成長するまで、その間に降りかかる厄災を代わりに受けるのが本来の雛人形の役目だ」

 知らなかった。雛人形も形代だったなんて。

 あまりその手の知識には疎い感じに見えたけど、実はそうではなかったみたいだ。奏太は新人研修の教育担当である先輩社員・天見あまみの顔を改めてまじまじと観察する。

 寝癖かもともとの髪質の問題か分からないが、抑えのきかない茶髪を上手い具合に流し、それが耳元の金色のピアスと相まって、それが今時の若者のオシャレ感を出している。一筋縄ではいかなそうなつり目と何となくあどけなさの感じられる鼻や仕草が、カッコいいと一言で片付け辛い独特の雰囲気をかもし出している。

 見た感じ、年齢は奏太と変わらないか少し上くらいだろうか。眉間に皺を寄せつつも、相手に分かりやすく説明してくれるあたり、見た目に反して意外と世話好きなところがあるのかもしれない。

 そんなことを考えていたところで、突然ジッと鋭い視線を向けられたのを鋭く察知した奏太は、天見の説明を受けて感じた違和感口に出す。

「あれ? ちょっと待ってください。俺は恋人の身代わりになるためにスケープゴートに入社しました。形代を作ったら、俺がいる意味あるんでしょうか……?」

「意味はある。形代の使い方については後で説明するつもりだが……とりあえず、形代だけでは身代わりとしての機能を十分に果たせない、だから俺たち生きた人間が必要になるってことだけ理解しておいてくれ」

 つまり、身代わりになるためには、形代と身代わりになる人間という二つの要素が必須ということか。

 奏太はひとまずここまでの理解にとどめ、首を縦に振る。

 次いで天見は先ほどの虎の人形を改めて示す。

「……これはお前よりも前にここで新人研修を受けた先輩が作った形代の人形だ」

「これ、手作りだったんですか? てっきり売り物だと思ってました……」

 最初、どこかおもちゃ屋さんかなかで買ったものかと思ったが、そうではなかったようだ。これを作った先輩は、相当器用で裁縫が得意な人物だったに違いない。

 そして形代を作るのにこんな高い完成度を求められることを知った奏太は愕然とする。こんなレベルの高い人形、裁縫のさの字も知らない奏太が作れるわけがない。

(でも形代を作れなければ、身代わりとして千影を守ることができない。一体どうすれば……)

 奏太が頭を抱えていると、奏太の頭にチョップが落とされる。

「っ!!」

「おい! 聞いてんのか?」

「いたたた……。す、すみません。聞いてませんでした」

「ったく、先輩の話は最後までちゃんと聞け。……これはあくまでも見本だ。形代は人形としてのかたちが保たれれば、出来栄えが悪かろうと何だろうと問題ない」

「ということは、こんなに上手に作れなくてもいいってことですか?」

「当たり前だろ? こんなの、俺だって不可能だ。……あいつがたまたまとてつもなく器用だっただけだ」

 天見は奏太から視線を外し、窓際からの景色へ向かう。

 ポケットに手を突っ込んだ後ろ姿から表情はうかがえないものの、いつもの天見に似合わない、何だか寂しそうな空気を感じた。

(あいつ、ということは、この虎の形代を作った先輩は、天見先輩の仕事仲間だったのだろうか?)

 天見とその先輩の関係が気になったが、天見の様子や自分の置かれている状況をかえりみて、あえなく詮索を諦める。そして、形代作りへ気持ちを切り替える。

「天見先輩、形代って動物以外でもいいんですか? 例えばアニメのキャラクターとか何かの模様とか」

 奏太は自然な調子で天見の背中に声を掛ける。

「基本的には動物だ。しかも干支になぞらえたものと決まりがある。つまり、ねずみ、牛、虎、うさぎ、龍、ヘビ、馬、羊、猿、鳥、犬、猪の12種類の動物から形代とするモデルを選ぶ必要がある」

「どうして十二支じゃなきゃいけないんですか?」

「十二支は古くから陰陽五行説とも深く関連のある存在だ。そのため、形代の題材にするのにも相性が良く、身代わりとなる人間とも繋がりやすい力を秘めている。だから、色々な意味で十二支の形代である方が身代わりサービスの実施に都合が良いっていう理由がある」

 なんだか身代わりサービスには、何か目に見えない世界が関係しているようだ。オカルトチックな話に肌寒さを覚えた奏太は、苦手な話にこれ以上踏み込みたくなかったので、天見が早くも話題を次に移したことに内心で感謝する。

「ちなみに形代だが……笑顔でほっぺたが赤く、怖い雰囲気を一切感じさせないものであればなお良いとされている」

「どうして笑顔でほっぺたが赤くなきゃいけない……」

「それは俺にも分からないから聞くな」

(やっぱりみんなこの辺のこと気になるよな……)

 これまでの先輩社員も奏太と同じ質問を投げかけていたことが、天見の即答からもうかがうことができた。

 天見は困ったような表情を浮かべながら、さっきの言葉を言い直す。

「まあ、正確には、一般社員には話せない事情がある、と言った方が適切だな」

「一般社員には話せない事情……」

「ある意味、企業秘密ってやつさ。それも、ある程度の役職についてる奴じゃないと知ることが許されない極秘事項」

 笑顔でほっぺたが赤くて怖い雰囲気を感じさせない形代を作ることに極秘事項に関わるほどの理由が隠されているなんて……。

 奏太の驚きを見透かしてか、天見は奏太の肩をポンポンと叩く。

「まあ、これ以上の詮索は諦めろ。身代わりになって生き残れる人間はいない。もし生き残ったとしたら、身代わりが失敗したってことだ。そんなことがないように、色々と説明してやっから、さっきみたいにボーッとしてんじゃねぇぞ」

「は、はい!」

(ある程度の役職に就かないとしれないって、一体どんな秘密なんだろう? そもそも一般社員として入社した後はみんな身代わりサービスの身代わりとして使われて殉職することになるのに、どうやって一般社員よりも上の役職に就くなんてことできるんだろう? あれ? でも天見先輩は俺たち新入社員の教育係を担当しているから、少なくとも一般社員ではないってことだよな? 一般社員以外で入社する方法がスケープゴートにはあるということか? でもそれってコネとかそういう手段を使ってるってことか? うーん……)

 スケープゴートの仕組みはまだまだよく分からない。そしてきっと会社のことをよく分からないうちに殉職することになるんだろうなぁ、と奏太は少し寂しさを感じた。

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