第一章 幸せの呪縛

出会い

第1話

千影ちかげさんの余命は、もってあと1ヶ月ほどでしょう。いつでも覚悟はしておいてください」

 医師から告げられた言葉は、またた奏太そうたの目の前を真っ黒く塗りつぶしていった。

 これが、余命宣告と呼ばれるものなのか。

 残酷という言葉を通り越して、この世のあらゆる暴言や悪口よりも、深く相手を傷つける、いや、相手の心臓をえぐり取るような鋭さを持った凶器の言葉。

 宣告されるはずの人間でなくても、その存在が間近に迫ったことを知っただけで、絶望の淵に突き落とされた感覚がぬぐえない。

 千影の命はあと一ヶ月——。

 あと一ヶ月で、本当に千影は冷たく、動かなくなってしまうというのか?

 今でも千影の手はこんなにも温かいのに、このぬくもりが一切感じられなくなってしまう日が来るというのか?

 そんなの信じられない……。信じたくもない……!

 突然突きつけられた絶望に、ぎゅっとつぶった目から涙が溢れてくる。

「……奏太?」

 不意に白く細い手が奏太の頬を伝う涙を静かにぬぐう。

 突然聞こえた力無いか細い声ではなく、触れられた手の冷たさに驚いた奏太は、はじかれたように目の前に横たわる人物に目を向ける。

「千影……! 悪い、起こしちゃったか?」

 無理やり起こそうとしている相手の体を支えようと、咄嗟とっさに手が伸びる。千影の細い腰と小さな頭を支えてやりながら、ゆっくりとベッドに寄り掛からせる。

「ありがとう、奏太」

「こんなの、別に大したことじゃないよ。……他にやってもらいたいことある? 何か買ってこようか?」

「ううん、大丈夫。ありがとう」

 随分痩せた。頬は痩せこけ、顔色も青白い。腕にはたくさんの管が繋がり、鼻にも管が通っている。

 目を背けたくなるような痛々しい光景。だが、自分がそんなことをするわけにはいかない。

 無表情な彼女から贈られた「ありがとう」という言葉に、奏太は満面の笑みで応える。

 自分の向けた微笑みに、千影の目尻が若干下がったような気がした。奏太はその愛おしい目と目の間にそっと口付けた。

 千影は俺の全て。失うわけにはいかない。

 千影の骨ばった体を抱き寄せる。目に見えない嵐から今にも消えそうな灯火を守るように、ぎゅっとその手に力を込めた。



 

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