第22話
「幸香、おはよう!」
「おはよう、綾華」
「どうしたの!? その目!」
綾華の叫び声が、朝の通学路に響き渡る。
前を歩く同じ制服に身を包んだ生徒たちがちらっとこちらに視線を向けるのが見えた。
幸香は手の甲で腫れぼったい目を軽くこする。
「ちょっと夕べ、綾華から借りっぱなしになってたあの映画のDVD見たら、また感動して涙が止まらなくなっちゃって……」
「ああ、あの映画ね! 生き別れになったお母さんとエミリオが再会する場面、ホント何度見ても感動するよね~! そして何よりも、エミリオ演じるヨハン・ルッツ様のあの色香の香る演技力! きゃ~!! 思い出しただけで即答しそう!」
綾華は瞳にハートを浮かべながら、早くも妄想の世界を構築している。
朝からテンションの高い綾華とは対照的に、幸香の心は沈んだままだった。
今日これから自分の教室に足を運ぶのが恐い。
最近はアキラと教室で話すことはとんとなくなったが、どうしても同じクラスである以上、目が合うというようなことも少なくない。
昨日のことを思い出すだけで、自分のとった浅慮な行動が激しく後悔するものであることをまざまざと感じる。
そんなことを考えつつ、綾華と中身のない会話をしていたら、いつの間にか学校に着いていた。
教室の前で綾華と別れ、自クラスに足を踏み入れたところで、後方に何やら人だかりができているのに気づく。
「どうしたの? 何かあったの?」
幸香は人だかりの中にいる一人の女子生徒に話しかける。声をかけられた女子生徒は、青い顔をしながら幸香の方を振り返る。
「あ、幸香ちゃん。それが……」
幸香は女子生徒が視線を向けた方を見て、思わず手で口を押さえる。
「何、あれ……」
人だかりの中心は、アキラの机だった。机の表面にはカッターや彫刻刀のような鋭利な刃物を立てて刻んだような無数の傷が並んでいた。そしてさらにその上には、無残に切り裂かれた体操着や上履きが積み上げられていた。
そして幸香はその中に見覚えのある水色の生地を見つけると近づき、それが昨日アキラの顔や髪を拭いた幸香のハンカチであることに気づく。ハンカチはハサミのようなものを入れられ、ところどころ切れ込みが入っていた。
昨日はアキラから離れることに必死で、ハンカチをどこかに落としたことは家に帰ってから気づいたのだが、まさか自分のハンカチが昨日の今日でこんな無残な姿になっていようとは思いもよらなかった。幸香は水色の切れ端をつかみ、それを胸の前に寄せ心の中で謝る。
(ごめん、お母さん……。せっかく誕生日にプレゼントしてくれたものだったのに……)
幸香のために母が一生懸命心を込めて選んでくれたことを思うと、やるせなさで胸が一杯になる。
そして同じような面持ちで男子生徒が二人、幸香の隣に並ぶようにして、破れた体育着と上履きをそれぞれ手に取る。
「これ、俺のだ……」
「くそっ! 誰がこんなことしたんだよ!」
男子生徒たちがそれぞれ衝撃と怒りがこもった声を上げる。
「教えてやろうか? 犯人」
突如現れた三人の不良たちに、クラスメイトたちの多くが息を飲む音が聞こえる。
さっきまでざわめいていた空気があっという間に静かになる。
クラスの雰囲気が変わったことには目もくれずに、不良の代表格の一人が笑いながら口を開く。
「逃げようとするところを俺たちが捕まえといたぜ。なあ? アキラくん?」
不良のリーダーが身体を横にどけると、両腕を羽交い締めにされ頭をがくっと垂らした状態のアキラの姿が現れた。
「おい! こら、さっさと起きやがれ!」
「う゛……」
髪を鷲掴みにされたアキラからは苦しそうなうめき声が上がる。髪を引っ張られたことによりあらわにされたアキラの頬は真っ赤に腫れていた。
そしてさらに、アキラを羽交い締めにしていた不良が、アキラの背中を思いっきり蹴り、アキラは前方に勢いよく倒れ込む。次の瞬間には、アキラの頭がリーダー格の不良の足に踏みつけられていた。
「いつまで黙ってやがんだ! さっさとみんなに土下座しろ!」
四つん這いになったアキラは震える声で謝罪の言葉を口にする。
「ご、ごめん、なさい……ゆるして、ください……」
「ゆるすわけねぇだろ! バーカ! ハハハハハッ!」
不良たちのアキラに対する攻撃は、一時限目が始まるまで続いた。
そのたった十分にも満たない短い時間が、幸香たちには何時間という恐怖の時間として映った。
クラスメイトたちは分かっていた。幸香たちの持ち物を切り刻んだ犯人が不良たちであることに。そしてその目的がひとえにアキラへの報復であること以外に他ならないことに。
しかし、誰も何も言わなかった。言えなかった。
力という恐怖に抗う術は、ただ抗わないことしかないことを、みんな無意識のうちに理解していた。
幸香の瞳は、もはやボロボロのアキラの姿も、笑いながら非行を繰り返す不良たちも、何もせずただ状況を傍観しているだけのクラスメイトたちの姿も、何も映していなかった。
さらさらと何かがこぼれ落ちていく感覚がする。
手で受け皿を作っても、指の間からそれは絶えず流れていく。
もう、元には戻らない。元には戻せない。
粉々になった心の欠片が、そこにあった。
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