第23話

 アキラとの一番の思い出は、小学四年生の時、クラスの課外授業で行った遠足だった。

 遠足といっても小学校からほど近い、都会にしては緑溢れる自然公園が今回の目的地だ。緑が多く日陰も多いため子どもたちだけで遊びに行くような場所ではないが、四季折々の花々やリス等の動物が見られる散歩コースとして、地元ではちょっとした観光スポットでもある。

 課外授業は、身近にある自然に触れたりよく観察した上で、その中で見られた動物や植物、景色をスケッチするというものだった。いわば、写生会のような、そんな内容の授業だった。 課外授業は、三人一組でグループを作り、グループごとに行動するルールで実施された。グループは事前に決まっており、幸香は幼馴染の綾華とアキラと一緒のグループだった。

 公園に到着し、先生から簡単な説明があった後、すぐにグループごとの行動時間となった。他のグループが次々と散り散りになっていくのにあわせて、幸香たちもどこえゆくともなくとりあえずその場から出発する。

「ねえねえ、どこに向かおっか?」

「うーん、どうしよう。アキラくん、何か観察したいものある?」

「じゃあ、あっちの方、行ってみようぜ」

 アキラが示した先は、木が鬱蒼と茂り他のところよりも暗く陰っていた。綾華はどことなく恐そうな雰囲気を感じ身を震わせる。

「えー、なんか暗くて恐そう……。佳奈ちゃんたちのグループと同じく、あっちの『リスの森』の方行こうよ。私、リス見たい!」

「だったらなおさらこっちの道に進むべきだ。今日『リスの森』に行ってもリスには会えないと思う」

「どうしてアキラにそんなことが分かるのよ!」

「だって、今日は写生会で人がたくさんいるから……。リスたちは『リスの森』とは別の場所に移動してると思う」

「あ、そっか!」

 幸香はアキラの的を射た分析に感嘆の声を上げる。対する綾華はアキラの発言に納得がいっていないようだ。足で小石を蹴りながらぶつぶつと言葉を口にする。

「でも、こっちの道は暗いし……」

「じゃあ、綾華ちゃん。一緒に手つないで行こう?」

 幸香は綾華に片手を差し出す。綾華は少し迷った後、差し出された幸香の手の上に自分の手を重ねる。

「……うん」

「よし、じゃあ、先頭は俺が行くから。二人は後ろから付いてきて」

 アキラは幸香と綾華の前に出て、二人を森の中へ先導する。

 しばらく無言が続いた。三人は黙々と歩き続けた。

 しかし、歩いても歩いても鬱蒼とした木々が三人を迎え続けた。

(リスにも会えないし他のグループの人にも会えないし……。本当にこの道でよかったのかな……)

 幸香が心でそんな不安を抱え始めた頃、隣から大きな声が聞こえた。

「あ! リス!」

 綾華が指さした方向に目を向けると、少し離れたところにリスが1匹、草むらにうずもれるようにして毛繕いしていた。茶色くてふわふわした毛並みが愛らしく、すぐにでも触りたい衝動に駆られるほど艶があった。くりくりした大きな黒い瞳は、周囲を注意深く警戒するためか、しきりに小刻みに揺れていた。そして何よりも、くしくしくしくしと、頭や身体を手で撫でていく様子がとても可愛らしかった。

 綾華がリスに近づいて行こうとするのを、アキラが片手で制した。

「何よ!?」

「しっ、静かに」

「止めないで」

「これ以上近づくとリスが逃げる」

「えー。触ってみたかったのにー」

「綾華ちゃん、アキラくんの言うとおり、ここからスケッチしよう? 逃げちゃったら大変だし」

「……わかった、ここからスケッチする」

 幸香が綾華にそうやんわり伝えると、綾華は少し残念そうな表情を浮かべながらも、スケッチブックと鉛筆を用意しスケッチを始める。幸香とアキラもスケッチブックを取り出し、相変わらず熱心に毛繕いしているリスの様子を絵におさめていく。

 幸香は絵が得意というわけでもなく苦手というわけでもなかった。それに絵を描くこと自体も嫌いではないので、筆が止まることはなかった。大体こんな感じでいいかと、スケッチブックを少し離して遠目から問題ないことを確認する。よし、可愛く描けてる。

 幸香は綾華やアキラの様子はどうなっているだろうと、二人の姿を探す。綾華はまだスケッチブックとリスに交互に目を向けていた。綾華は絵を描くことがあまり好きではないが、可愛いリスを描くため、今日はいつも以上の集中力を発揮してスケッチに取り組んでいるみたいだ。幸香は綾華の集中力を切らさないために、そっとしておくことにする。

 アキラの方をみると、もうすでに鉛筆を置いていた。幸香はアキラの持つスケッチブックの中をのぞき込み目を丸くする。

「すごーい……!」

 そこには本物と見紛うほど精巧に描かれたリスがいた。毛一本一本に動きがあり、毛の向きに関しても体の部位ごとに違った向きで描かれていた。今にもこちらを振り向いてきそうな無垢な瞳に、幸香は目を輝かせる。

「本物みたい! アキラくん、絵、上手だね」

「まあな」

「これ、どうやって描いたの?」

「よく見て描けば、このくらい誰でも描けるよ」

「えー、だって私もよく見て描いたよ?」

「きっと見るのが足りなかったんだよ。もっとよく見ないとダメだよ」

 アキラは得意げに胸を張る。

 幸香はアキラの描いたリスを見て、母が作った虎のぬいぐるみを思い出す。虎のぬいぐるみもこのリスのように本物みたいの出来映えであることに、幸香は改めて感動する。

(もっとじっくりよく見れば、お母さんやアキラくんみたいなすごいものを作ったり描けたりできるようになるのかな……?)

 幸香がそんなことを考えていると、突然、大きな声が森の中に響く。

「キャー!!」

 綾華の声だ。幸香はアキラと目配せして、地面に座り込む綾華の元へ二人して駆けつける。「綾華、どうした!?」

「綾華ちゃん、大丈夫!?」

「あ、あれ……」

 綾華が人差し指を向けた方向には、幸香たちの身長の半分ほどの長さを持つ生き物がとぐろを巻き地面に這いつくばるようにして、こちらに顔を向けていた。見たことのない長さと刺すような鋭い視線に、幸香も綾華の隣に腰を抜かして座り込む。

「ヘビ……!」

 焦げ茶色の縞模様と口から伸びる長い舌に、教科書や図鑑で見たヘビには感じなかった生々しさと嫌悪感に立つこともままならない。

 幸香はなんとか座ったまま身体を動かし、綾華の前に身体を置く。幸香の服の裾をひっぱる綾華の手は小刻みに震えていた。幸香はその手を自分の手でぎゅっと握る。

 恐い気持ちに涙が出そうになったとき、不意に幸香の視界が陰る。幸香が顔を上げると、目の前にアキラの大きな背中が見えた。アキラはいつの間にかどこかから拾ってきた長い木の枝を手に、幸香と綾華を守るようにしてヘビの前に立ちはだかっていた。

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