ハンカチ
第21話
次の日の放課後、幸香は学級委員として、今後行われる課外活動や地域ボランティアに関する活動の企画や運営について、担任の先生や他クラスの先生・学級委員たちとの話し合いに参加していた。
話し合いの場は大いに盛り上がり、気づいた時にはすでに日が傾いていた。
幸香は急いで帰る準備をし、足早に学校を後にした。
幸香の自宅と学校のちょうど中間地点にこじんまりとした児童公園がある。公園からはいつも楽しそうに走り回る子どもたちの姿が見られるのだが、今日のこの時間は誰もいない、もの寂しい風景が広がっていた。
幸香は幼いときからこの地域に住んでおり、学校には徒歩で通学しているため、この児童公園は幸香にとって毎日の通学路でもある。また、小さい頃は幸香もよく友達と遊んでいた思い出の公園でもあり、昔と変わらない遊具を見るたびに、懐かしい日々が思い出された。
幸香はもうすぐ夕日が沈みそうな時だけに見ることができる、夕方と夜が交わった幻想的な光景が好きだった。正反対の性質を持つオレンジと青が不思議と綺麗に溶け合っていくところを見ると、ざわざわしていた心がなぜかとても落ち着いていくような、そんな感覚がした。
幸香はその風景を誰もいない公園で独り占めしようと、二つあるブランコのうちの一つに腰掛ける。不安定な足下をゆらゆらさせながら、空を見上げる。藍色の空には、すでにいくつかの煌めきが踊っているのが見えた。
気持ちよい風を感じながら自然の芸術を堪能していると、不意にバシャバシャという水がはねるような音が聞こえてきた。
音の方向に目を向けると、水飲み場で顔を洗っている先客がいることに気づく。
幸香は気にせず続けて景色を堪能しようと水飲み場から目を離そうとした瞬間、その先客と目が合い仰天する。
「ア、アキラくん……!」
「幸香……!」
アキラは驚いたような目をこちらに向けていた。
幸香は久しぶりに見る傷だらけの幼馴染の姿に、思わず両手で口を覆う。
赤く腫れた頬やシャツをまくった腕からのぞく青紫色のアザは、見るだけで震えが走るほど痛々しい。制服も泥や汗で汚れており、ボタンが取れていたり破れたりしているところも見受けられた。
「ア、アキラくん、あの……」
「……!」
アキラは近づいてこようとする幸香から逃げるように、急いで荷物をまとめ始める。
幸香はいてもたってもいられず、通学鞄から水色のハンカチを取り出す。そして、しゃがんで荷物の整理をしていたアキラの水の滴る頬に、そっと自分のハンカチを当てる。顔や髪についている水滴を拭おうと、次々とハンカチを動かしていく。
しかし、突然、伸ばしていた腕を捕まれる。幸香は反射的にアキラの顔を見上げた。
思ったよりも近い距離にアキラの顔があったことに驚く。そこには、幸香が知っているやんちゃな男の子らしい雰囲気を残しながらも、少しずつ大人の階段を上っている青年の姿があった。
色素の明るい栗色っぽいした猫っ毛には、昔と変わらず寝癖がしっかりついていた。ぱっちり二重まぶただった目は少し切れ長の大人っぽい雰囲気を帯び、ほどよく通った鼻筋と相まって、少し前に見たときよりも少年っぽさがなくなってきているような感じがする。
アキラは一瞬たじろんだように見えたが、すぐに鋭い視線を幸香に向けて言い放つ。
「……っ、俺に触るな!」
「……!」
強い語調とともに、はじかれた幸香の手からハンカチがひらひらと舞い落ちる。
アキラの瞳の中にはっきりとした拒絶の色が混じっているのを感じ取った幸香ははっとする。
(ああ、私はいまさら何様のつもりでこんなことを……)
幸香の目から涙がこぼれる。
「ごめんなさい……本当に、ごめんなさい……」
嗚咽が混じった掠れた声が、少しずつ闇に染まっていく空間に落とされる。
アキラを見捨てた自分が涙を流すなんて間違ってると思いながらも、頬を伝う涙を止めることができない。
幸香はぐちゃぐちゃになった顔のまま、その場から急ぐように駆け出す。
公園が見えなくなり、周りの風景が自宅近くの商店街に変わったことにも目を向けず、幸香は自宅まで一気に走り通した。
荒々しく玄関に駆け込み、靴もそろえずに、自室に飛び込む。
扉を閉めた幸香は、ベッドに倒れ込んだ。
泣き疲れて眠ったところを起こされるまで、幸香はシーツを濡らし続けた。
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