第8話
奏太は一度、深呼吸をする。大きく息を吸って、吸った息をゆっくりと吐く。
三回ほど繰り返し、やっと何かを考えられる余裕が生まれた。
人は誰しも、命を一つしか持っていない。人はその大切な命を守るために日々を生きている。
そして、自分はそれに
しかし、それにはちゃんと理由がある。
そして、その理由に、自分は十分納得している。
だったら、迷う必要はない。
後悔が残らない人生ほど、幸せになれる人生はない。
奏太は神屋敷のまっすぐに見つめ、はっきりと決意を伝える。
「はい、覚悟はできてます」
千影のためなら、奏太は、自分の命をかけることなんて
強い光を帯びた瞳を向ける青年に、神屋敷の表情がさっきまでの親しみやすい優しい雰囲気に変わる。
「わかりました。夏川さんの意志、確かに伝わりました」
張り詰めていた空気が緩まり、肩の力が抜けていく。
人生の中で一番答えるのに勇気がいる質問を受けた奏太の心はクタクタだったが、改めて決意をはっきり口にしたことで、前よりも身が引き締まったような感覚がした。
「最後に、何か夏川さんの方から聞きたいことはありますか?」
何気に面接はもう終盤を迎えているようだ。神屋敷の問いに奏太はそういえばと気になったことを質問する。
「身代わりサービスで殉職した後、自分の遺体はどうなるのでしょうか?」
スケープゴートの公式サイトには、死んだ後のことは書かれていなかった。死んだらそのままにされて、事件性を疑われたりカラスや虫のエサになっても嫌なので、そのあたりも問題なく対処してくれるのかどうか気になった。
「我々が責任を持って、遺体の回収にあたらせて頂きます。なので、変死体として警察に持って行かれたり動物や昆虫に食べられたりすることはありませんので、ご安心ください」
「……よかったです、ありがとうございます」
奏太の心配はすべて神屋敷に見透かされていたようだ。すらすらと回答が得られたことからも、この手の質問にはそれなりに答えてきた経験がある感じがした。
早くも死後のことについて考えるあたり、自分の思考は、早くからお葬式やお墓の準備を進めている両親と似ているなと思った。
家族、か……。奏太の顔が寂しげに歪められる。
奏太には弟がおり、父親と母親と合わせて四人暮らし。これまで大して大きな喧嘩もなく、長期休暇には国内旅行に行ったりもして、他の家庭よりは随分仲睦まじく幸せに過ごしてきたと思う。大学進学を機に一人暮らしを始め、今は家族よりも千景と一緒にいることの方が多いが、定期的に電話をしたり食事に出かけたりと、家族と過ごす時間を大切にしている。
そんな奏太にとって大切な家族に、今回のことはまだ何も話していない。
話したら猛反発を受けるからというわけではなく、話したら家族を悲しませることになるのではないかということを恐れてのことだった。
そしてそれは千影に対しても同じだった。
これは自分が千影を一方的に守りたいと思って動いていること。自分が千影の身代わりとして死んだ後、残された千影はその事実を知ってどれほど苦しむのか、奏太は想像したくなかった。かといって、事前に千影に知らせるべきことでもないと思った。
どちらにしろ、奏太の選ぶ道は家族も千影も悲しませることになってしまうかもしれない。奏太の願いとは反対方向に、運命が転がっていってしまうかもしれない。
それでも、今、大切な人が苦しんでいるこの瞬間を、自分が何もしないわけにはいかなかった。
ここで何もしないことは、それこそ死んでいるのと同じ。
自分はまだ生きている。
生きているから、生きている人間にしかできないことをするまで。
それが自分が選んだ人生であり、自分へのけじめ。
「……他に、何か聞きたいことはありますか? 質問以外でも大歓迎です。心配事とか悩み事とか」
案の定、こちらの事情を察してくれている神屋敷に感心しながらも、せっかくの申し出を断る。
「特にはありません。本日はお忙しいところありがとうございました」
奏太は頭を下げる。形式的なかたちではなく、こんな短い間にも奏太のことを深く理解し親身に接してくれた神屋敷に、最大限感謝の気持ちを込めて。
神屋敷は初めて会った時と同じく柔らかな笑みを浮かべる。
「こちらこそ今日はありがとうございました。面接関係なく、夏川さんとお話しできたこと、とても嬉しくおもます。合否に関しましては一週間以内にご連絡させて頂きますので、それまでお待ちくださいませ」
神屋敷に見送られ、スケープゴートの事務所を出る。
奏太はふぅと、少し長めの息を吐いた後、空を見上げる。
空は雲一つなく、晴れ渡っていた。そよ風が顔を優しく撫でていく感覚が気持ちいい。
遠くの空が少しオレンジ色に染まっていた。もうすぐ夕暮れ時だ。
面接はたった一時間という時間であったが、その短時間でこれまでにないほど色々なことを考えたような気がする。
非常に濃い時間を過ごし、流石に精神的にも肉体的にもクタクタだった。
しかし、気持ちはそんなこともなかった。
自分の素直な気持ちを素直に言葉で伝えることが出来たことに、奏太は満足感を覚えていた。
奏太はネクタイを緩めることなく、颯爽とその場を後にした。
それから一週間後、奏太は無事、株式会社スケープゴートの採用面接に合格し、晴れて社会人の仲間入りを果たすことになった。
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