第14話
そして、その時は突然やってきた。
「千影! 千影! しっかりしろ!」
「そう、た……」
千影はナースコールに手を伸ばそうとするも、身に起きた異変に
「ナース、コールを……」
千影の必死の呼びかけも虚しく、奏太は千影の側を微動だにしない。
「そう、た……、どうして……?」
千影の瞳に絶望の色が浮かぶのが分かる。
奏太は心苦しさを必死に抑え込みながら、あえて冷たく言い放つ。
「千影、君は死ななければならない。幸せはもう目の前だ。俺はもう、君が苦しむ姿は見たくない」
「そう……た……」
奏太に伸ばされていた手が力なく
気を失った千影の頬についた涙の筋を人差し指で拭ってやる。
そして新たに千影の頬に落ちた
「ごめん、千影……。一緒に幸せになろうって約束、守れなくて……。でも千影がいない未来なんて、俺には耐えられない。だから、生きてほしい。生きて俺の分まで幸せになってほしい。そのためにも、君は俺を憎まなければならない。そして運命の相手を見つけて幸せになれ。君の新しい人生に、俺という存在はなくていい。どうか俺を忘れてくれ……。俺を忘れて幸せになってくれ。それが、俺の願いだ……」
次から次へと溢れてくる涙が止まらない。
これは自分が選んだこと。
千影のために決意して、自分が後悔しないために選んだことなのに、どうしてこんなにも苦しいのか。
もうすぐ願いが叶うというのに、どうしてこんなに悲しいのか。
考える間もなく、次の瞬間、心臓がどくんと大きく波打つ。
「ゔっ……」
奏太は胸を抑え、床に膝をつく。
死が、近づいている。
千影の
奏太は千影が横たわるベッドの側にある棚に座るうさぎを見上げる。
——身代わりとなる人間と
奏太は力を振り絞り、這いずりながら病室の外を目指す。
やっとのことで病室を出た奏太は、ゆっくりと閉まった扉に背中を預け、その場に座り込む。もう動くことすら出来なかった。
これが、死ぬということ。
俺の大切な人は、ずっとこんな思いを抱えながら生きてきたのか。
ずっと一緒にいて、そんなことすら分からなかった自分が恨めしい。
それと同時に、そんなどうしようもない自分を愛してくれた千影の存在が、どうしようもなく愛おしい。
次第に胸の鼓動が鈍くなっていくことを感じながらも、奏太は楽しかった千影との日々に思いを馳せる。
病室で二人でおしゃべりしたり、出ないと思っていた外出許可がおりて、一緒に遊園地へ行ったり、千影の誕生日を一緒に祝ったり……。
もっと、もっと、千影と一緒にいたかった……。
ずっと一緒に、生きていきたかった……。
奏太は何かを掴むように、ゆっくりと手を伸ばす。
「千影……俺は、お前を、ずっと……愛し、て……」
掴み損ねた腕が、諦めたように力なくだらんと落ちる。
それが、夏川奏太の最期だった。
次第に明るみ出した遠くの空から、
そしてその柔らかな光は、寂しい病院の廊下の窓をすり抜け、奏太の
病室の窓からのぞく朝日の力強い輝きに、思わず目をすがめる。
「あ、さ……?」
千影は驚いたように起き上がり、自分の身体を確認する。
これまで体内に巣食っていた病魔を誰かが取り払ってくれたように、身体が軽くなっていることに気づく。何よりも、昨日まであった痛みや苦しみが一切感じられない。
「私……生きてるの?」
ドラマやアニメでよく見るように、自分の頬を手で引っ張ってみる。
「痛い……」
赤くなった頬をさすりながら、実感する。
私、生きてる。
昨日、私は死んだはずだった。あの感覚は、確かに『死』そのもの。
でも、私は生きている。
「どうして……?」
ふと、ベッドの脇にある棚の上を見やる。奏太からもらったうさぎの人形がない。
千影は慌てて、ベッドの下や布団の中、カーテンの裏などを探すが、目当てのものは見つからない。
「ない……一体どこに……?」
そして病室の扉の近くまで来た時、誰かに呼ばれたような気がした。
気になった千影は扉を開こうとするが、何故か扉が思うように開かない。
できる限りの力を込めてやっと扉を開けると、どさりと何かが倒れる音がした。
音の正体を確かめようと扉の外に出た瞬間、目の前の光景に目を見開く。
「奏太……!」
千影は、力なく横たわる奏太に駆けつける。
身体を自分に引き寄せると、奏太の顔にもはや正気がないことに気づく。
常に死と隣り合わせにあった千影には、奏太がもうこの世の人間ではないことがすぐに分かった。
「奏太! どうして……! どうしてこんな……」
奏太の身体が冷たい。
さすってもさすっても、温かくならない。
この痛みは何だろう?
この目から出てくる水滴は、一体何?
怖い、悲しい、辛い、苦しい……。
私には、分からない。
感情が分からない私には分からない。
奏太に教えてもらわないと、分からない。
だから、教えてよ。
もう一度、目を開けてよ。
「お願い、奏太……!」
病室の
異変を嗅ぎつけた看護師たちが、駆けつけてくる足音が聞こえてくる。
奏太の瞳が開かれることは、二度となかった。
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