別れ
第13話
「じゃーん!! 千影、ハッピーバースデー!!」
病室に勢いよく足を踏み入れた奏太が、千影の目の前に大きな花束を差し出す。ベッドに半身を起こした千影は、奏太から色とりどりのガーベラの花で埋め尽くされた花束に顔を近づけ、嬉しそうな笑みを浮かべる。
「綺麗……。それにとても良い香りがする。……ありがとう、奏太」
「千影、もっとよく見てみて」
「え?」
千影はガーベラの花束の中を先ほどよりもじっくり観察してみる。すると、花々の間に何か小さな人形みたいなものが挟まっていることに気づく。千影はガーベラの花が散らないように、そこからゆっくりと人形をつまみ出す。そして、摘み上げたそれを見て目を丸くする。
「これって……もしかして、あの時のうさぎ? ほら、動物園に行った時の」
「当たり。よく分かったね!」
「だって、私が話しかけてたうさぎに顔がそっくりだもの。奏太が作ったの?」
「うん。どうしても千影に渡したくて……。できればもっと綺麗に仕上げたかったんだけど、まだそこまでの技術は俺にはなかった」
それはうさぎをかたどったマスコットサイズの小さな人形だった。
「これ、もらってもいいんだよね?」
「……もらってくれるの?」
「当たり前でしょ。これから毎日一緒にいるってもう決めたんだから。大切にするね」
よろしくね、うさぎちゃん。千影がうさぎに頬擦りしながら声をかける。
(よかった、気に入ってくれたみたいで)
本当は形代であることを伏せたまま、なんとか千影にうさぎの人形を手渡すことに成功したことで、奏太は内心ほっと胸を撫で下ろす。
それから少し楽しくおしゃべりしたところで、奏太は今日一番の、いや、人生一番の大勝負へと行動を移した。
「それと、今日はまだ、もう一つプレゼントがあるんだ」
「本当? 今日は楽しみがいっぱいね!」
奏太は軽く咳払いをした後、おもむろにその場に膝を折った。奏太の行動が読めない千影は、首を傾げながら奏太の続く行動を見守る。
奏太はズボンのポケットから小さな箱を取り出すと千影の前に差し出し、箱の蓋をゆっくりと開ける。
「千影、俺と結婚してくれませんか?」
箱の中にはキラキラ光る指輪が収められていた。千影は目を見開き、奏太の目をじっと見つめる。千影の瞳は揺れていた。
「……本当に、私でいいの?」
千影は震える声を必死に整えながら、振り絞るように言葉を紡ぐ。
「私はあとどれくらい生きられるか……」
「千影がいいんだ」
奏太の言葉が千影の続く言葉を遮る。そんなこと、千影が考えるべきことじゃない。
「千影、俺は千影がほしい。……俺の気持ち、受け入れてくれるか?」
心臓が激しく早鐘を打つ。多分、自分は今、酒を飲んでいる時よりも赤い顔をしているに違いない。自分が言った言葉で生まれてしまった沈黙が逆に恥ずかしすぎて、思わず顔を覆いたくなるような衝動に駆られる。
だが、千影の頬を伝う涙を見た途端、そんな思いは簡単に消し飛んだ。
奏太は慌てて千影の元に駆け寄る。
「ど、どうした? 千影。どこか具合でも……」
千影の体調を気遣う奏太の手を、千影が両手で優しく包み込む。
「こんな幸せな誕生日は初めてよ。本当に……本当に、生きていてよかった。奏太、私、今すごく幸せよ。奏太、本当に、本当にありがとう……」
千影は頬を赤くしながら、嬉しそうにそう奏太に告げた。
千影のその言葉に、奏太は自分の思いが受け入れられたことを確信する。
奏太は千影の涙に潤んだ瞳を見つめながら、次に続く言葉に思いを込める。
「千影、愛してる」
「私もよ、奏太……」
どちらからともなく自然と縮まっていく距離と距離。
やがてお互いの唇が優しく静かに重ね合わせられる。
次にゆっくりと離れた時に見た千影の顔は、今まで見てきた中で一番可愛らしかった。二人は額をくっ付けたまま、ニコリと笑い合う。
幼い頃は分からなかった「愛してる」の言葉。その言葉の意味が今日やっと分かったような気がした。そして「幸せ」の意味も。
奏太は再び千影の背中に腕を回した。ぎゅっと抱きしめた拍子に、あの時の桜の甘く爽やかな香りが鼻腔をくすぐる。奏太はその香りをすっと鼻におさめ、虫の声ほどにささやく。
「私、夏川奏太は雪代千影の身代わりとして命を捧げます……」
嬉しさのあまり涙を流す千影の嗚咽に、奏太のあまりに小さなつぶやきがかき消される。
——身代わりとなることを、身代わりとして守る人間に伝え、抱擁を交わさなくてはならない。
無事契約は済んだ。
身代わりとしての仕事が無事終えられたことに安堵してか、プライベートな時間に仕事を持ち込んだことへの申し訳なさからか、奏太は短く息を吐く。
そして、今日自分に残された時間を、愛する人と目一杯幸せに過ごした。
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