第12話
「それじゃあ、今から形代の使い方を説明する」
「は、はい……」
慣れない毛筆で自分の願いを書いた後、朱墨で手形の印を押す作業は、形代を作る作業よりはまだ楽だった。ただ、当然と言えば当然だが、毛筆で書いた文字は文字と判別できるか分からないほど壊滅的な出来となった。
それよりも大変だったのが、作業を施して小さくたたんだ和紙を形代に入れる作業だった。和紙を入れることを考慮していなかったことで、和紙を入れる入り口をうさぎの形代に用意する必要があったのだ。つまり、すでに塞いでしまったところの糸を切り、人形の中に和紙を入れた後、再度その入り口を塞ぐ作業が必要になった。
やっと終わったと思っていた作業をもう一度やる事になり、奏太は絶望した。何とか事なきを得たが、結局、5センチほどの入り口を開けて縫うのに丸一時間を費やす羽目になってしまった。流石の奏太も、もう針と糸は二度と手にしない決意を固めた。
奏太の少し疲れた顔を見て、天見が声をかける。
「少し休憩するか?」
「いえ、大丈夫です。続けてください」
「お前、意外と強情なやつだな。ほら、これでも飲んで少し肩の力抜け」
そう言って天見はポケットから栄養ドリンクを取り出し、奏太に手渡す。
「あ、ありがとうございます」
瓶のラベルを見たところ、疲労回復などの効果がある飲み物らしい。早速、蓋を開けて中の液体を口の中に含む。油と甘味料と薬品が混ざった変な味がした。口から吐き出すわけにもいかず、無理やり飲み込む。
「ゴホ、ゴホ……い、いつもこういう栄養ドリンクを持ち歩いているんですか?」
「ああ。食事の代わりだ」
奏太の質問に答えながら、天見も奏太に渡したのと同じ栄養ドリンクを手に取り、ゴクゴクと一気に飲み干す。
その姿を見てさっきよりも気分が悪くなったとは言えず、奏太は力を振り絞り、必死に耐えていた。
「……っし! じゃあ、形代の使い方について説明するぞ」
変な汗が吹き出してくる奏太とは対照的に、さっきよりも若干テンションが高くなった天見が口を開く。
「まず、完成した形代とお前の命を繋げる作業をする。その後、その形代を身代わりとしてお前が守る人間のそばに置く必要がある。こうすることで、身代わり本人がそばにいなくても、形代が身代わりの代わりとしての役割を果たしてくれる。でも、身代わりとなるのは、あくまでも形代ではなく、形代と命が繋がっている身代わり本人になる。いわば、形代は身代わりとなる人間の片割れのようなものだ」
説明は分かりづらいが何となく意味は理解できたような気がする。
天見が先を続ける前に、奏太は質問を投げかける。
「形代と身代わりとなる人間の命を繋げる作業というのは、どういう風に行われるものなんですか?」
「詳細は企業秘密だが、身代わりとなる人間は形代を横に置いてただ眠っているだけでいい。特に何もする必要はない。それについては担当者が別にいるから、別段気にする必要はない」
「そうですか……」
そう言われると気になるのが人間の性というものだが、さっきと同じく、企業秘密であるなら諦めるしかない。
「形代の配置が完了したら、今度は身代わりとなることを、身代わりとして守る人間に伝え、抱擁を交わさなくてはならない。しかし前者については、相手にはっきり分かるかたちで伝えなくても別に良いことになっている。つまり、声に出せれば
奏太は身代わりについて、千影に話すつもりはないと決めている。だからこそ、この契約の儀式は千影に悟られないように行う必要がある。
「ここまでの準備がしっかり出来ていないと、身代わりは失敗する。成功した場合、つまり身代わりとして殉職した後についてだが、形代はスケープゴートが引き取り、身代わりとなった人間の代わりとして手厚く供養されることになる。また、身代わりとなった人間の遺体は俺らが責任を持って家族のもとへ送り届けるから安心しろ」
生きているうちに死後のこと考えなければならないこの状況は、改めて考えるとかなり異質なものであると、今更ながら思った。そして死への道のりが一歩一歩縮まっている感覚に、何とも言えない緊張感が高まるのを感じる。
だが、最後の部分、天見が「安心しろ」と言ってくれたのが、今の奏太にとってとても心強く感じた。後輩は先輩の一言に救われるものなのだろうか。奏太は天見に感謝の気持ちを込めた顔で応える。
「あと一つ注意点だが、守る人間の命が尽きる時、身代わりとなる人間と形代が同じ場所にいてはならないというルールがある。というのは、同じ身代わりとしての力を持つ二つの存在が同じ空間にいることで、その力がぶつかり合ってしまい効果がなくなってしまうからだ。これには十分注意してほしい」
「同じ場所・同じ空間というのは、どういう状況を表すのでしょうか?」
「例えば、一つの部屋にいることはダメだが、どんなに近くにいても扉を一枚隔てれば問題ないというような状況だ。それと、肉眼で相手を識別できる距離であっても、ある程度離れていれば問題ない。そこら辺は少し判断が難しいと思うから、気軽に聞いてくれ」
「分かりました」
確かに天見が言うように、ある程度の判断基準があるみたいだ。
奏太は素直に頷く。
「説明は以上だ。最後に一つ。身代わりサービスの運用ルールには、身代わりとなった人間の願いは、守られた人間に必ず伝えられ、必ず叶えられなければならないというものがある」
ということは、身代わりについてはいずれ千影にバレてしまうということか。俺の死後、事実を知った千影はきっと俺を恨むだろう。それが胸に痛くて、奏太はその考えを頭から消し去ろうとする。
この選択は正しいのだろうか。自分のわがままを突き通しているだけではないだろうか。自分は本当に、死を恐れていないのだろうか……。
一つの不安が、別の不安に結びつき、徐々にその存在を大きなものへ変えていく。
奏太の苦しげな表情を見ながら、天見は続ける。
「お前の願いは命の重さと同じくらいの価値が付く。だからその分、悩み苦しむこともあると思う。でも、それは悪いことじゃない。それも含めてすべてに価値を見出せる、それが人間という生き物だ」
天見の言葉に奏太は
すべてに価値を見出すことができるのが、人間。
そうだ、悩みも不安もすべて自分の存在の一部。夏川奏太という人間を形造る大切な部品の一つなのだ。奏太は自分の胸に手を当てる。
「身代わりとなることを恐れるな。その恐れすらも自分の価値として誇れ。……俺はお前の命が尽きるその瞬間まで、お前のことを信じてる」
天見の言葉が奏太の心の奥に沈んでいく。
自分を信じてくれている人がいる。だからその人のために、俺も自分自身を信じよう。そして、千影のために決意した思いを最後まで貫こう。
「ありがとうございます、先輩。俺、先輩の言葉、一生忘れません」
「一生って、そんなに長くないだろ?」
「……先輩、それ、洒落にならないです……」
初めて出来た先輩は、後輩をとても大切にしてくれる先輩だった。
本当はこれから先も、もっと一緒にいられたらよかったと、奏太は心の底から思った。
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