第29話
幸香は周囲を見回す。階下へ降りる階段の方向には二人、迂回して目指そうにも左右は残りの二人がしっかり退路を塞いでいる。となると、逃げられる方向は一つしかなかった。
「アキラくん、こっち!!」
「逃がすな!! 追え!!」
幸香はアキラの制服の袖をつかみ、後方へ駆け出す。しかしすぐに落下防止用フェンスに行き当たり、逃げ場を失う。
再びキョロキョロと周囲を見回すと、古めかしいフェンスに人が一人通れるくらいの大きな穴が開いた箇所があった。逃げてもすぐに追いつかれると分かっていながらも、幸香はとっさにその穴をアキラとともにくぐり抜け、フェンスの外に躍り出る。そして腰の高さまでしかない外壁の脇を行く当てもなく必死に走っていく。
後ろを振り向くと、てっきり追いかけてきていると思われた不良たちは、先ほど幸香たちがくぐってきたフェンスの大きな穴の近くで何か騒いでいた。どうやら先頭の一人がボロボロのフェンスに制服のどこかを引っかけたみたいで、それを外すのに難儀しているようだった。
幸香はその隙に距離を離すべく、さらに足を速める。しかし、後ろから袖を引っ張られ、幸香の足は後ろにたたらを踏んだ後、静止する。そしてそのままゆっくりと後ろを振り向く。「アキラくん?」
「幸香、もう、いいんだ」
アキラはつかまれていた制服の袖から幸香の手をゆっくり外す。
「この狭い屋上をいくら逃げ回っても、いずれは捕まる。それよりも、俺がなんとかするから、そのうちにお前だけは逃げろ」
「なんとかするって何を? どうしていっつも自分を大切にしようとしないの? 少しぐらい他人を頼ったらどうなの?」
「幸香!!」
突然大きな声で名前を呼ばれた幸香の肩がビクッとはねる。そしてその両肩に大きな手が乗せられる。
「俺はお前をなんとしても守る。だから、信じてくれ」
「アキラくん……」
幸香はまっすぐに見つめてくるアキラの真剣な視線を受け止める。その自分を返り見ようとしない、捨て身の覚悟に胸がざわめく。
そんな幸香の耳に、複数の騒がしい足音が届く。
「やっと追いついたぞ」
離したはずの距離をあっという間に縮めた不良たちが幸香たちに追いついてきた。先頭の金髪が息を切らせながらも偉そうに口を開く。
「逃げようとしても無駄だぜ? どうせお前らはすでに袋のネズミだ」
そんなの、言われなくても分かってる。
この世は残酷だってことくらい、誰よりも分かってる。
幸香は心の中で反発する。
「お前たちが助かる方法は、もう何もないんだよ。まあ、でも、あの時みたいに土下座でもしてくれれば、少し考えてやってもいいかもなァ? アーキラくん?」
「断る!」
アキラが幸香の前にその身をさらす。
「約束を守らないお前たちと約束なんてしても無駄だ。それに、まだお前らとちゃんとやり合ってなかったよな? しょうがないから、相手してやるよ」
「アア? なめてんのか、コラ!!」
アキラの挑発に怒りに震える不良たち。緊張感が一気に高まりピリピリする空気に、幸香は思わず目をつぶる。
また自分はアキラを犠牲にしてただ守られる道を選ぶしかないのか……。
アキラを身代わりにして生きる人生なんて、選びたくない……!
そのとき、幸香ははっとする。
(身代わり……そうだ、まだ方法はある!)
今までたくさん逃げてきた。自分を守るために、たくさんアキラを犠牲にしてきた。
その道を選んで来たのは自分なのに、その選択に心を痛めてきた。
そんな情けない自分が嫌で嫌でたまらなくて、何も出来ない、何もしようとしない自分が恥ずかしくて……自分を変えたかった。変わりたかった。
だからこそ、この道を選んだ。
そして、今こそ選んだ道に一歩を踏み出す時ではないだろうか?
幸香は目と鼻の先にあるアキラの広い背中を見つめる。
(アキラくん、ごめん。何度も苦しめてごめん。でももう、それも今日で終わり。私があなたを苦しみから解き放つ……!)
目の前では一触即発の攻防が繰り広げられていた。金髪の不良がアキラとの距離をさらに縮める。
「助けを呼ぶなら今のうちだぞ。まあ、この場所じゃあ不可能だがな。それに、助けを呼んだとしても、どうせセンセイもトモダチも助けになんか来ないだろうけどなァ?」
金髪の言葉にアキラも拳を構える。
万事休すのその時、この場に似つかわしくない高い声が響く。
「よく分かってるじゃない。あなたたち、意外と頭良かったんだね?」
「アア?」
幸香は目の前に立つアキラの身体を押しのけ、不良たちの前に立ちはだかる。
「先生たちは……大人たちは、私たちを助けない。弱者である私たち子どもも、自分を守るために精一杯。自分を守るため以上のことを、人間はしようとしない。そんなこと、分かってる。……でも、一つだけ、彼らを動かす方法がある」
「お、おい、幸香! お前は後ろに……」
アキラが制止する声を無視して、幸香は高らかに続ける。
「あなたたちや大人たちに、自分たちを守らせるような行動を取らせればいい。人は自分の身を守るためなら、いくらでも必死になれるでしょう?」
幸香の見下すような微笑みに、不良たちの低い沸点がMAXに達する。
「何、意味分かんねぇこと、ほざいてやがる」
「突然しゃしゃり出てきて何様のつもりだ!」
「女だからって、容赦しねぇぞ!」
「ねぇ、うるさいんだけど。少し黙っててくれる?」
幸香の鋭く冷たい声が、不良たちの言葉をかき消す。
「安心して。私たちはもう、どこにも逃げないから」
普段の幸香からは想像出来ないほどの強気な姿勢と見えない圧力を感じ、不良たちは一斉に押し黙る。
幸香はゆっくりと振り向く。すると、アキラは不安と驚きがない交ぜになった複雑な表情を浮かべていた。
こんな近くで向かい合うのは、あの夜以来だった。
幸香は青空を背負って立つアキラの頬を自分の両手で包み込む。幸香の突然の行動に、アキラは戸惑いの色を浮かべていた。
「幸香、一体何を……」
「アキラくん、私があげたお守り、持ってる? あの時私が制服の胸ポケットに入れたやつ」
「お守り……? 胸ポケットに入れたやつって……、ああ!」
アキラは制服の胸ポケットを片手で押さえる。柔らかい感触が制服の生地ごしに伝わってくる。
「やっぱりこの虎の人形は幸香が……」
「絶対手放しちゃダメだからね?」
「それって、どういう……?」
幸香の唇が続くアキラの言葉を遮る。
つかの間の甘い感覚が、二人を酔わせることはなかった。
次の瞬間には、アキラの身体は宙を舞っていた。
目を大きく見開いたまま落ちてゆくアキラの様子が、ひどくゆっくりと感じられた。
驚愕と絶望の表情を浮かべたアキラに向けて、幸香はつぶやく。
「大好き」
アキラの姿は、もう見えなくなっていた。
幸香は、アキラがいなくなった雲一つない青空に手を伸ばす。
自分の言葉はアキラに届いただろうか?
届いてればいいなと、心の底から、そう思った。
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