第28話

「待って! アキラくん!」

 やっと立ち止まったアキラは、しかし、こちらを振り向く様子はない。

 風が二人の間を走り抜ける。青空から降り注ぐ柔らかい日差しがまぶしい。

 アキラを夢中になって追いかけていた幸香は、自分がいつの間にか屋上に立っていることに気付く。

 屋上は幸香がこの学校に入学する遙か前には解放されていた場所だが、現代事情に合わせて、ある時から生徒の立ち入りを禁じるようになった。以前は生徒が自由に出入り出来た名残なのか、屋上の隅の方には机や椅子などがいくつか埃をかぶったまま捨て置かれていた。また、手入れが行き届いていないのか、落下防止用に取り付けたと思われるフェンスもところどころゆがみや痛みが激しく、中には人一人が通れるくらい大きく穴が開いた箇所もあった。

 幸香はそんな屋上の寂しい空気を感じつつも、アキラの方に向けて一歩踏み出す。

「アキラくん、その……、違うの。さっきのは、私の本心じゃなくて……」

 違う、こんなことを言うために追いかけて来たわけじゃない。

 幸香は言葉を上手く紡ぐことができない自分にもどかしさを感じる。

「私はアキラくんを嫌いなわけじゃなくて……」

「もう、いいよ」

 幸香の言葉にかぶせるように、突然、アキラの言葉がかぶせられる。

「さっきのこと、幸香が気にする必要ない。幸香は別に悪くない。アイツらに脅されてやったことだろ? 幸香の本当の気持ちは違うってことぐらい、俺にも分かってる」

 アキラがゆっくりと振り返った。明るい陽光がアキラの顔を照らす。

「だから、これ以上、気に病む必要もないし、責任を感じる必要もない。俺のことをそんな風に思ってくれなくても大丈夫だよ」

 アキラはそう言って幸香に優しく微笑む。

 幼い頃から何度も見てきたはずの幼馴染の笑顔を見て、幸香は顔をゆがめる。

 さっき黒板を消してくれた時に幸香に向けた笑みと同じ笑み。

 身体中から迸る痛みに必死に耐えつつも、大切な何かを守ろうとするために向けられる痛々しい笑み――それが、アキラの顔を支配していた。

(違う、アキラくんにこんな顔をさせるために私はここまで来たわけじゃない……!)

 これまで何度傷つけ、何度裏切ってきただろう?

 何度、こんな苦しい笑顔をさせてきたのだろう?

 自分の存在がアキラを不幸にしているのではないだろうか?

 アキラを苦しめることしか出来ない、何もできない自分が恨めしい。

 でもアキラは、私の存在をアキラとっての『救い』だと言ってくれた。

 昔と変わらない優しく温かい笑顔で、私の存在を認めてくれた。

 幸香はぎゅっと拳を握り締める。

(伝えないと……私の気持ちを、アキラくんに)

 幸香はアキラの苦しそうに揺らいだ瞳をまっすぐ見据える。

「……っ! アキラくん、私は……!」

「あれぇ? こんなところで二人して一体何してるの?」

 そんな幸香の決意は、二人を追ってきた四人の不良たちによって簡単に踏みにじられる。

「ひょっとして告白中だったりして……?」

「やっべ、俺たち、タイミング最高じゃん」

 ゲラゲラと笑う声が屋上にこだまする。先ほどまで澄んでいた空気が一瞬で灰色に染め上げられてしまったように、視界が汚れていく感覚を覚える。

 不快感が募り自然と眉間にしわがよる。そんな幸香の視線を不良たちの一人が気にとめる。「何、ガン付けてやがる。もしかして、俺に気があったりする?」

「……どうしてここまで来たの? あなたたちは一体何がしたいの?」

「何がしたいだって? そんなの決まってるだろ?」

 すると突然、金髪の不良は距離を縮め、幸香の肩を抱くようにして自分の身体に引き寄せる。幸香は必死に振りほどこうとするが、力では遠く及ばない。

 不良は自分が幸香を抱き寄せる様をわざと見せつけるように、アキラをあざ笑う。

「アキラが苦しむのを見たいからに決まってるだろ? アッハハハハハハ!!」

 耳元で下卑た笑い声が聞こえると同時に、それに呼応するようにしてけたたましい笑いが起こる。

 不良たちの目的は、アキラへの復讐。しかし、それは復讐ではなく身から出た錆に他ならない。彼らの恐ろしいまでのアキラへの執着ととっくに度を超えている逆恨みに、幸香は人間への恐ろしさを感じる。

 耳元で響く悪魔の笑いに、幸香の我慢が限界に達する直前、ふいにその笑い声が止んだ。

 何かがぶつかったような音とともに、自分の肩に触れる手が優しく丁寧なそれに変わったのを感じる。太陽の香りが懐かしい。

 幸香が視線を上に上げると、そこにはいつの間にか凜々しい顔つきが板に付いたアキラが立っていた。アキラは幸香を守るようにしながら、地面にのびる不良をにらみつける。

「お前たちは約束を破った」

「う゛……、くそ……! アキラ、てめぇ!!」

 地面から顔を上げた不良が頬の痛みに耐えながらよろよろと起き上がる。

 さっきまで幸香のそばにいた不良のその姿を見て、幸香はようやく、アキラが不良に一発お見舞いし助け出してくれたことを知る。

「約束を破ったお前らを、俺は許さない!」

(約束?)

 アキラの厳しい視線とあまり聞いたことがない怒声に、幸香は頭に浮かんだ疑問をすぐに飲み込む。

「約束だぁ? ああ、あの、安斎には手を出さないでくれって、お前が土下座して頼み込んだやつか」

「……!」

(アキラくんが私を守るために土下座を……!?)

 ずっと気になっていた。

 アキラは争いを好む質ではないが、決して喧嘩が弱いわけじゃなかった。

 だからバスケ部のみんなのために不良たちを黙らせたのも納得がいったが、その後、不良たちにやられっぱなしだったことが、幸香から見ればアキラらしくないと感じていた。

 ここに至って、アキラが一切やり返さずに不良たちの手にかかり続けていたのは自分が原因だったことを知り、幸香は顔を青くする。

 そんな幸香の心情をよそに、不良たちは悪びれた様子もなくふざけた調子で続ける。

「くく……、あれは傑作だったなぁ? 土下座したアキラくんは世界で一番かっこよかったよ? なあ?」

「ああ、土下座しながらボコボコにするの、すごく気持ち良かったな」

「またやりたいなぁ~」

 それまで周りで楽しそうに様子を見守っていた三人の不良たちが、アキラに殴られた不良の周りに集まる。

「だったらまた土下座でもして、その約束、し直させてくれよ? アーキラくん?」

 一人が両手指の関節を鳴らしながら一歩踏み出す。それに合わせて、他の面々もアキラと幸香を取り囲むようにして少しずつ間合いを詰め始める。

 アキラは幸香をかばうようにして幸香の前に身体をすべらせる。目の前の大きな背中に安心感を感じる。

 しかし、相手の数は四人。しかも喧嘩慣れしている輩だ。いくらアキラが運動部でそこそこ体格も良く運動神経も良いからといって、一人で全員を相手に出来るとは思えなかった。

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