微笑み

第27話

 いつものように廊下で綾華と別れ、自分の教室に足を踏み入れると、黒板の前にまたもやひとだかりが出来ていた。

 また何か問題が起きたのだろうかと不安に感じながらも、とりあえず見知った顔を見つけ、いつぞやと同じく事情を聞くことにする。

「おはよう! どうしてみんなでこんなところに集まってるの?」

「ゆ、幸香……!」

 幸香と席が隣同士で休み時間もよく大好きなぬいぐるみの話で盛り上がる女子生徒は、幸香の顔を見た瞬間、大きく目を見開いた。そしてその女子生徒のつぶやきを聞いた周りのひとだかりが、一斉にこちらに視線を向ける。

「な、何!?」

 いきなり向けられたたくさんの目に、幸香はビクッと後ずさりする。

 授業で何かを発表するときや合唱コンクールで舞台に上がったりするときに受ける期待や応援のまなざしとは全然違う、何か哀れみや興味といった類いのものが自分に向けられていることを感じた。背筋に何か冷ややかなものが触れた感じがして気味が悪い。

「一体どうしたの? どうして私を見るの?」

「そ、それは……」

 女子生徒は何か気まずそうな様子で幸香から視線を外す。

 幸香は答えを求めて他の周りのクラスメイトの顔を見るが、みんな次々と目をそらしていく。

 幸香の頭の片隅で警鐘のランプが激しく点滅する。

 何か触れてはいけないものに触れたような感覚。

 いや、もしかしたら触れるべくして触れてしまったのだろうか。

 冷や汗が制服のブラウスを濡らした時、品の悪い下卑た笑い声が間近で聞こえる。

「おーおーおー! 朝からみんなで集まって何してんだよ?」

「もしかして、黒板に何かおもしろいことが描かれてたりしてー?」

「えっ!? マジ!? 俺も見たーい!」

 不良たちはふざけた調子で笑いながらひとだかりを強引に押しのけ、黒板の目の前を一掃する。

 やっと現れた黒板に目を向け、幸香は目を瞠る。

 黒板は、幸香とアキラが付き合っていることをほのめかすような言葉やイラストで埋め尽くされていた。

 不良たちの幸香に向けられた見下すような笑いやクラスメイトたちの哀れむような視線から、黒板に描かれたことが、二人の仲を祝福するようなものでは一切なく、明らかな悪意が含まれているのだと理解する。

 そして何よりも、これは幸香がアキラと同じく不良たちの餌食の対象となったことの証明でもあった。

 幸香はその事実に絶望に似た何かを感じる。そしてそれ以上に、クラスメイトたちからの興味と恐怖が入り交じった視線を受けてやっと気付く。

(私は今までこんな目でアキラくんを……)

 幸香は自分が犯してきた罪の深さを思い知る。

 大勢からの注目を浴び、行き場を失い身動きが取れないでいる幸香を尻目に、不良たちのいやらしい笑い声が教室に響く。

「おおお! アキラくんと安斎幸香ってそういう関係だったの!?」

「安斎って、アキラくんみたいなのが好みだったの? へー意外」

「何言ってんだよ。おとなしそうに見えるやつこそ、意外と積極的だったりするもんだろ?」

「昨日夜二人で公園で抱き合ってたって書いてあるけどマジ!?」

 幸香は最後の言葉に目を丸くする。

(見られてた。昨日の夜のこと、アイツらは知ってるんだ。だからこんなこと……)

 幸香の拳が固く握りしめられる。

(でも軽率だっとは言えない。だって、あれは必要なことだったから……)

 そう思いつつも、幸香はすでに辟易していた。

 周りで好き勝手に飛び交い続ける言葉から今すぐにでも離れたい。

 幸香は周りのクラスメイトたちに助けを求める視線を投げかけるが、目が合う人間は誰もいない。そのことが幸香にさらなる孤独感と味方がいないという恐怖感を与えていた。

「ていうかさー、いろいろと俺たちで勝手に想像するよりも、直接本人に聞いた方がよくね?」

「確かに! 目の前にいるんだし、聞けば済む話じゃん」

 不良たちが一斉に幸香の方に目を向ける。

 威圧的な視線を向けられ、幸香の足は小さく震え出す。

「で、安斎ってアキラくんの彼女なの?」

「……!」

 これまでなんとなくあやふやだった言葉の矛先が明確に定まった。

 幸香は向けられた刃に、身体が動かなくなる。

「……」

 固まってしまった幸香の様子に、不良たちのいらだちがだんだんと募る。

「おい、聞いてんのか、コラ!!」

「さっさと答えろよ!」

 幸香はいつの間にかぎゅっと握り締めていた拳から力を抜く。

「……っ、……ち、違う」

「ああ? 聞こえねぇよ!」

「違う! 私、彼女なんかじゃない! 付き合ってなんかいない! アキラくんのことなんか、好きなわけないじゃない!」

 幸香の叫びに教室中が静まりかえる。みんなの前でこんなに大きな声を出したのは初めてだった。周りも幸香の大声に驚いていたが、幸香自身の驚きの方が大きかったかもしれない。 しかし、不良たちは相変わらずニヤニヤしたいやらしい笑みを浮かべていた。幸香は、彼らから発せられた言葉に愕然とする。

「だってさ、アキラくん。かわいそうに、ふられちゃったね~」

 不良の言葉の先には、いつの間にか教室に足を踏み入れていたアキラがいた。

「アキラ、くん……」

 幸香はアキラの方に目を向ける。そんなに距離は離れていないはずなのに、幸香はアキラの表情から感情が読み取れなかった。

「好きじゃないってさ……ま、君ならまた次があるさ」

 アハハハハハッ!! 不良たちの耳をつんざくような笑いが、幸香の心をどん底に突き落とす。

 幸香はもはやアキラの顔を直視出来ずにいた。

 自分を守るためにアキラを犠牲にした。

 アキラの優しさを簡単に裏切ることができた自分に改めて絶望する。

(私は、なんてことを……。私はどうしたら……)

 そのとき、スー、スーと、何かが断続的に擦れる音が幸香の耳に届く。

 音の方向に目を向けると、黒板の前にアキラがいた。アキラは黒板クリーナーを片手に、黙々と黒板を綺麗にしていった。

 不良たちの言葉は一つもアキラには届いていなかった。アキラは黒板をまっさらにし終えると、幸香の方を振り向いた。そしてその後すぐに教室から出て行く。

 幸香は動けないでいた。しかし、はっとしてすぐにアキラの後を追うため、教室を後にする。

 ホームルームが始まるチャイムが鳴り響く中、幸香はアキラの姿を必死に探し続ける。

 走りながらも幸香の頭の中は、先ほど振り向いた時のアキラの優しげな微笑みでいっぱいだった。

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