第三章 信頼と裏切り

スカウト

第33話

 休日のショッピングモールは家族連れやカップル等、多くの人々で賑わっていた。

 混み合う人混みの中、何度も人にぶつかりそうになりながら、男はおぼつかない足取りながらも最上階を目指していた。

 商業施設の屋上は開けた空間が広がっており、ところどころ植物や木が植えられ、ちょっとした庭園が出来上がっていた。木のそばにはベンチがあり、木陰で風に吹かれながらおしゃべりに花を咲かせている男女の姿があった。屋上の周りを取り囲む透明なガラスの柵からは、都会の街並みが一望できた。柵の近くには街並みを見下ろすための望遠鏡がいくつか置かれており、小学生くらいの子どもが望遠鏡を覗き込んだり高いビルや有名な電波塔を指差しながら、隣の父親らしき男性に声を掛けていた。

 男はゆっくりと屋上の端の方へ歩みを進めた。

 子どもたちが楽しそうにはしゃぐ声にその笑顔に釣られて笑う親たち、お互いの存在を想い合うカップルたちの姿……屋上は幸せな空気に満たされていた。

 しかし、今の男にとって、耳に届く幸せそうな笑い声や目に映る笑顔は毒でしかなかった。彼らの生きている世界と自分が生きている世界が違いすぎて、その落差が男の胸を強く締め付ける。

(いいなぁ……幸せそうで。どうして僕だけこんなに苦しいんだろう。ああ、辛い……、苦しい……)

 やっとのことで景色が見渡せる場所に辿り着いた男は、手すりに手を置き身を支える。

(どうして先輩は僕だけを強く叱るんだろう……? 悪いのは僕を虐める同期なのに……)

 この世には絶望しかない。

 声を上げようとしてもそれは大袈裟だとか言われて足蹴にされるし、声を上げたところで誰も助けてくれない。

(どうして世間は弱者に対して、周りを変えるのではなくまずは自分を変えろ、と残酷な仕打ちを繰り返す?)

 トイレで吐きながらも鏡の前で笑顔を作ったり、残業してやっとのことで帰宅した後も自己啓発本を読んで努力してきた。

 男は歯噛みして俯く。

(結局自分がどんなに努力して変わることができても、俺を取り巻く環境は変わらない)

 男は不意に肩の力を緩め、諦めに似た笑いを浮かべた。

「はは……。あーもう疲れた……」

 早く死にたい。

 男が手すりに足をかけようとするところに、突然後ろから声がかかる。

「あのう……死のうとしてるところ申し訳ありません」

 誰だ。こんな状況のこんな人間に声を掛けてくる奴は?

 たくさん人がいる中で自分が声を掛けられたことへの驚きと、せっかくの決意がくじかれたことへの苛立ちから、男は背後の人物を睨みつける。しかしながら、相手がそれに屈することはなかった。それよりも、相手の続く言葉に、男の方が毒気を抜かれることになった。

「もしあなたさえよろしければここではなく…ぜひ我が社で働いて死んでみませんか?」

「…………え?」

 薄井うすい拓望たくみ。32歳。血液型・A型。職業・会社員。独身。

 かくして彼は、突然現れた一人の女性によって、自殺を諦め、株式会社スケープゴートに電撃採用されることになる。

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