第32話
願いがあっという間に潰えたことを自嘲する。
アキラが諦めたようにゆっくりと足を踏み出そうとした時、腰あたりを誰かにつかまれる。「うわっ!!」
「ああ! 待ってくれ! 君に死んでもらっては困るんだ!」
「だ、誰だよ!? 離せ!」
「じっとして、暴れると危ないから」
だだをこねる子どもを親が無理矢理抱っこして連れて行くように、もがくアキラはそのまま誰かに抱き上げられる。相手は高校生男児を持ち上げることが出来るほどの強い力の持ち主のようだ。必死に腕から逃れようとしたアキラがやっと解放されたのは、フェンスの内側からさらに戻った屋上の真ん中あたりだった。
「はぁ~よかった。あやうく願いが叶えられないところだったよ」
そう独り言をこぼしながら焦げ茶色のスーツの埃を手で払っている男に、アキラは鋭い視線を向ける。
「あんた、誰だよ? 学校の関係者じゃないな。まさか不審者か?」
「とんでもない! 私はこういうものです」
相手は懐から名刺を差し出す。アキラはそれを手に取りじっと見つめる。
「株式会社スケープゴート……代表取締役社長!?」
「そんなにおっきな会社ではないんだけど、一応、社長やらせてもらってます。神屋敷と言います」
神屋敷と名乗る長身の男は、親しみやすそうな爽やかな笑みを浮かべる。
「どうして社長なんていう偉い人が俺のところに……? スケープゴートなんて会社、俺は知らないぞ」
「あー、ちょっと人が不足しててね……しかも急を要する状況だったから、僕が来ることになったんだよ」
要領を得ない回答に、アキラは眉間の皺を深くする。
アキラの疑うような視線を受けた神屋敷は、額を拭いていたハンカチを急いでしまい、居住まいを正す。
「ゴホン。失礼しました。私が君の元に来た目的は二つ。形代を回収するためと殉職した者の願いを伝え叶えるためです」
「かたしろ? じゅんしょく? 一体、どういうことだ?」
神屋敷が何を言っているのかさっぱり分からない。頭にはてなマークを浮かべるアキラをよそに神屋敷は続ける。
「ちなみに一つ目の目的は達成しました。これは我が社で回収させて頂きます」
そう言って神屋敷はアキラの目の前にあるものを掲げる。アキラはそれを見て目を見開く。「それは、幸香からもらった虎の人形!! どうして……確かに制服の胸ポケットに入れていたはずなのに……」
「悪いけど、さっき失敬させてもらったよ」
「さっきって……俺を抱えたときか!」
全然気がつかなかった。見た目に反して、意外と手癖が悪いらしい。
アキラは幸香からもらったお守りを取り戻すべく、神屋敷に詰め寄る。
「返せ! それは俺のだ」
「申し訳ないけど、これは我が社で回収しなければならないという決まりがあって……」
「そんな決まり、知ったこっちゃない! それは大切な人からもらったお守りなんだ。お前なんかに渡すわけにはいかない!!」
「君にとってこれがすごく大切なものだってことは十分分かってるよ。うちの社員だった安斎が、いつも君のことを楽しそうに話してたからね」
「え……」
神屋敷の言葉に思いがけずアキラの動きが止まり、そのうちに神屋敷はアキラから回収した虎の人形を自身のジャケットの内ポケットにしまった。
アキラは動揺を隠さないまま、神屋敷のジャケットの襟を両手で掴む。
「幸香が社員だったって、どういう……? それに俺のことを幸香が?」
「幸香ちゃんは君に何も話さなかったんだね。無理もない、君が大事だからこそ話せなかったんだろう……」
幸香を「ちゃん」付けで呼ぶ神屋敷の表情に、子どもを慈しむような親が子に向ける優しさと大切な何かを失ったような悲しそうな色が浮かぶ。
神屋敷はアキラにつかまれた襟を何とかしようともせず、自身の両手をアキラの両肩に優しく乗せる。
「幸香ちゃんは君のことをずっと大切に思っていた。いじめられていた君を助けたいとずっと思っていた。でも勇気がなかった。それでも必死にあがいて……君を救う方法を見つけた。――君の身代わりとなることで」
身代わり……。アキラはその言葉の重さに思わず息をのむ。
「責任感が強くて他人の痛みが分かる子だった。だから、学校を辞めてうちに就職することも迷わなかった。就職して最初の新人研修でも彼女は一生懸命だった。今まで当社に勤めてきた社員の中一番の形代を作り上げていたよ。それがこれだ」
神屋敷は内ポケットから先ほどアキラから取り上げた虎の人形を取り出す。
「そして今日ここに来た私の目的の二つ目をこれから果たさせてもらう」
神屋敷は手にした人形の頭と胴体の継ぎ目部分に狙いを定め、そこを中心に固定した両の指に少し力を入れて両方向へ引っ張る。ビリッという小さな音ともに、継ぎ目の部分に小さな穴が開いた。そしてその穴に指を入れ、中から何かを取り出しアキラに渡す。
「これが幸香ちゃんが君に宛てた願いだ」
二つに折られた和紙のような紙を開くと、そこには朱い手形の押印と毛筆で書かれた見慣れた字が踊っていた。アキラは書かれていた内容を凝視する。
「『生きてほしい』……」
「そう、それが幸香ちゃんの願いでもあり、幸香ちゃんが身代わりになって守った君が守るべき約束だ」
アキラはその場にガクッとくずおれる。気付けばまた頬が濡れていた。
「なんていう約束だ……。こんな一方的で身勝手な約束、絶対守ってやらねぇ……。自分の気持ちだけ押しつけて、俺にこんな重いもの背負わせて……なんてひどい奴だ」
恨み言しか出せない自分が忌まわしい。幸香を追って死ぬことすら許されない自分が、ひどく恥ずかしく情けなく思えた。そしてアキラの気持ちをそうさせたのが他ならない幸香であることが許せなかった。
「憎い……許せない……。腸が煮えくり返りそうだ。それなのに……どうして、涙が止まらないんだ……!!」
アキラは両拳を地面に強く何度も叩き付ける。拳が赤く腫れあがるのもいとわず続けた。そうでもしないと、心が苦しくて、潰れそうだった。
「幸香……幸香……! 俺が傲慢だったから……幸香を守れると、一人でも守れると思ったから……。俺は馬鹿だ、どうして幸香にあんな選択をさせたんだ。どうして……どうしてだよ!!」
自分自身が許せない。今目の前に刃物があったら迷わず手に取り、首を切っていただろう。そうすることも出来ないことがもどかしく、耐えられないほど苦しかった。
「どうして死なせてくれない……! 生きていても俺が幸香のために出来ることなんて何もないのに……どうして俺なんかを助けたんだよ……」
誰にともなく答えを求めて顔を上げたアキラの視線は、無意識に神屋敷をとらえていた。アキラのすがるような視線をまっすぐ受け止めた神屋敷は、アキラの目線の高さに合わせて膝をおる。
「そうだね、君が幸香ちゃんのために出来ることは何もないかもしれないね。生きていくのも辛そうだし……じゃあ、死んで楽になるかい?」
神屋敷の言葉にうなずこうとした途端、制服の襟を勢いよくつかまれる。
「いい加減にしろ! いつまでうじうじ言ってれば気が済むんだ! 君は幸香ちゃんの勇気の半分もない、ただの臆病者だ。幸香ちゃんは自分の弱さに向き合える強い人間だった。そんな強く優しい人が、命を掛けて守りたいと思ったのが君だ。君は幸香ちゃんという一人の人間が愛したいと思えたほどの存在なんだ。だったら、幸香ちゃんのその気持ちを踏みにじるようなまね、するべきじゃないだろう?」
神屋敷の訴えかけるような語りかけるような言葉が屋上に響く。爽やかで穏やかだと思っていた人間が見せる必死な姿に、神屋敷のアキラへの真剣な思いが伝わってくる。
「君は幸香ちゃんが惚れた男だ。幸香ちゃんほどの出来た人が選んだ男が、こんなところでくたばっていいはずないだろう? いい加減、立ち直れ。いつまでも泣きべそかくな。君の進むべき道は潔く死ぬことじゃない。潔く生きることだ」
神屋敷は短く息を吸って吐いた後、これまでとは打って変わって優しいまなざしでアキラを見つめる。
「それでも生きることに疲れたり苦しくなる時だって当然あるだろう。そのことを気に病んで自分を責めることもあるかもしれない。でもそれは決して君のせいじゃない。誰のせいでもないんだ。だからもしどうしても泥沼から抜け出せなくなったら、遠慮なく私のところに来なさい。その時は幸香ちゃんの代わりに私が君の力になろう」
神屋敷の温かい言葉がアキラの心にしみこんでいく。
幸香もこういうふうに自分のことを思ってくれていたのだろう。
神屋敷の言葉の一つ一つから、幸香の息づかいが聞こえてくるような気がして、余計に涙が止まらなくなった。
アキラは嗚咽をこらえながら、震える唇を必死に動かし、神屋敷に思いを伝える。
「俺、生きる……」
生きよう。
自分の身代わりとなった幸香のためではなく、アキラという人間を愛してくれた大切な人の大切な気持ちを裏切らないために。
アキラは制服の袖で涙を拭い立ち上がる。
神屋敷もゆっくりと腰を上げる。そしてアキラの方を見てニコリと微笑む。
「うん、生きよう。一緒に」
青空は雲一つなく晴れ渡っていた。
天から降り注ぐ優しい光が、アキラの進んでいく道を明るく照らしているようだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます