最期

第40話

 国会議員としての富小路の一日は忙しい。

 朝早くに出勤し、日付が変わる頃に退勤することがざらだ。午前中は委員会や審議会に出席し、午後は各種会合への出席やメディアからの取材を受け、夜は懇意にしている先生方と懇談会に出席する。

 国会議員を始めとする政治家は、人と直接話すことが仕事の中心だ。相手が何を望み何を訴えているかを親身に受け止め、政策に反映することが求められる。情報技術が発展している現代においても、Face-to-Faceフェイストゥーフェイスの付き合いは彼らのような職業にとっては非常に重要なものである。

 しかし、必ずしもその付き合いの全てが国のために生かされることになるとは限らない。残念ながらどこの国にも、自分の保身を図ったり富を築いたりするために秘密裏に暗躍する輩は数多く存在する。もしかすると、綺麗な心でクリーンな政治を行っている人間こそ、この業界では生き残っていけないとも言えるかもしれない。

 それは富小路にとっても例外ではなかった。

 すでに夜も更けている時間帯にも関わらず、都内の某高級レストランには多くの人々が集まっていた。広い空間には多くの円卓が並び、その上の料理それぞれには目が飛び出るほどの値段がつく食材が用いられている。ワインや酒の香りが充満した空間で、富小路は財界の著名人や権威ある専門家たちと楽しく盃を交わし、大人の夜の時間を楽しんでいた。

 縁もたけなわなところで富小路は席を立ち、気分良く酔いしれる人々に向けて本日の会合の終了を告げる。

「本日はお忙しいところお集まり頂きありがとうございました。皆様から頂いた貴重なご意見は、是非とも今後の政策推進の糧にさせて頂きたいと思っております。これからも変わらないご支援をよろしくお願いいたします。…永守くん」

 富小路は後ろに控える永守に軽く目配せする。永守は富小路からの合図を受けてすぐ前に進み出る。

「それでは皆様、本日は大変お疲れ様でした。先生より少しばかりお渡しの品がございますので、しばしお待ちくださいませ」

 永守は会場の至る所に立っているスーツ姿の男らに向かってうなずくと、彼らは各テーブルに座す参加者たちそれぞれに紙袋を手渡す。

「どうぞお受け取りください。私からの『誠意』です」

 富小路の言葉に何人かが空咳をしつつも、受け取ったものに対して満足した表情を見せる。彼らの表情を見た富小路は、彼ら以上に深い笑みを浮かべる。

「皆様方、これからもこの私めのためによろしく頼みますよ?」


 多くの人が寝静まるこの時間帯は、どこの道路も混んでいることはなく、運転する者にとってはストレスなく車を走らせることができる絶好の時間だろう。

 富小路は窓から時折差し込む電灯の明かりに目をすがめながら、窓から見える都会の夜景を堪能していた。

 口元に笑みを浮かべた富小路をバックミラー越しに見ながら、助手席に座る永守が富小路に労いの言葉を掛ける。

「先生、本日も一日お疲れ様でした」

「ふふふ……」

「どうかなされましたか?」

「いや、まさかこんな粉一つで権力と金と信用が簡単に手に入るなんて、つくづく私にとって都合の良い世の中だと思ってな」

 富小路は白い粉末のようなものが入った小瓶を目の前に掲げる。

 摂取することで幸福感を味わえるというこの薬物には依存性があり、一度口にすればまず口にせずにはいられなくなる。この国では取り扱いおよび摂取に関わる一切が禁止されている危険な代物。

 しかし、こうしたものを必要とする人間はいつの時代もどこにでも一定数は存在する。そうした人々の欲望を良いように利用し権力の糧とする事例は、歴史的にも数多く存在してきた。

 普通に働くよりも楽で、手っ取り早く権力も富も手にすることができる方法。富小路もその道を選んだ人間の一人であった。

「これがあれば、私にできないことは何もない。そう、これさえあれば……」

 永守は隣で運転する鮫島の方をちらっと見た後、バックミラーに映る富小路に問いかける。

「……先生、このままご自宅に向かうかたちでよろしかったでしょうか?」

「ああ、そうしてくれたまえ。今日は疲れたな。少し仮眠をとらせてもらうよ」

「はい、承知いたしました。着いたらお声をかけさせて頂きますので、ゆっくりお休みください」

 永守の微笑みと優しい声に、富小路は瞬く間に眠りに落ちていった。

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