第36話
「……なるほど。それは物騒ですね……」
一通り話を聞き終えた神屋敷が、腕を組みながら険しい表情を浮かべる。
富小路が現在推進中の政策に異を唱える者が送ってきたと思われる脅迫状が今月に入り3回も届いたこと、その内容が数を追うごとに過激化していること、このまま放っておいては富小路の命が脅かされかねないこと等、永守は現状を包み隠さず説明した。
しかし、富小路の安全を心配する永守の気持ちが伝わらなかったのだろうか、神屋敷から事態をあまり重く捉えているようには感じられない発言が飛び出す。
「しかしまあ、相変わらず先生は多くの方に恨まれておいでだ。よく政治家という仕事を手放さずにいられますね」
神屋敷の皮肉にも取れる言葉を気にも止めず、富小路はむしろそう言われて嬉しそうに口角を上げる。
「ははは、相変わらずの歯に衣着せない物言いだな。まあ、君のそういうところを私は気に入っているのだがね。だが、私みたいな人間がいるおかげで君の会社は成り立つのだから感謝したまえよ」
「はは、ごもっともです。いつも本当に感謝してます、ありがとうございます」
富小路と神屋敷の遠慮のないやりとりを、永守は間近で見ながら冷や汗をかいていた。それと同時に、富小路と神屋敷は以前から交流があり、その関係もある程度長さのあることが
「では早速、今回担当させて頂くエージェントのご紹介をさせて頂きますね」
神屋敷の言葉とともに、一人の男が応接室の扉から現れる。顔を覗かせた顔には生気があまりなく顔色が悪い。病気というよりも疲れが滲んだような、そんな感じの印象だった。くたびれたスーツにはフケのような白いっぽい汚れがつき、神屋敷と比べて清潔感に欠けた装いだ。しかし、彼がまだ年若いことだけは、なんとなく気が張った雰囲気から読み取ることができた。
男は神屋敷の横に立つと、富小路に向けて自己紹介をする。
「薄井拓望です。よろしくお願い致します」
「富小路だ。短い間だがよろしく頼むよ」
富小路は慣れた手つきで、薄井と名乗った男と握手を交わす。
握手を終えた薄井は、富小路と永守と対峙するように、そのまま神屋敷の隣の席に腰を下ろす。そのタイミングで神屋敷が説明を始める。
「それではまず、具体的な契約内容についてお話を進めてまいりたいと思いますが、当サービスを何度もご利用頂いている富小路様にはサービスについてのご説明は不要ということでよろしかったでしょうか?」
「ああ、それなんだが……」
富小路は横に座る永守をちらりと見た後、視線を神屋敷に戻す。
「隣の秘書のためにも簡単に説明してもらってよろしいかな?」
「先生……! 私なんかのためにそんな……」
「いや、永守くんにもぜひ知っておいてもらいたい。この会社の素晴らしい事業を」
「わかりました」
永守は内心、この会社の事業に興味があった。永守が富小路の秘書となったのは一年ほど前。そしてこの一年間、富小路が神屋敷と交流するところを見たことはなかった。なので二人の関係を詳しくは知らない。そして当然、株式会社スケープゴートが提供しているというサービスの内容についても、永守にとっては未知のもの。
神屋敷は二人の会話を見届けたタイミングで説明を再会する。
「承知いたしました。ではこれから富小路様にご利用いただく『身代わり』サービスについて簡単にご説明させて頂きますね」
「『身代わり』? 身代わりってあの身代わりですよね? 本人の代わりに、本人に見せかけた偽物。替え玉とか影武者とかいった類い(たぐい)の……」
初っ端から話の腰を折る永守に対して、神屋敷は気分を害することもなく、親しみやすそうな笑顔で答える。
「そうです。我が社は『身代わり』サービスの提供をメインとした取引を専門に取り扱う企業です。その言葉の通り、ご依頼者様の身代わりを提供し、ご依頼者様を狙う輩や災厄などといったものから命を守るサービスでございます。そして今回のご依頼につきまして、富小路様の身代わりとなるのが、先ほどご紹介した薄井になります」
神屋敷の言葉を受けた薄井が永守に向かって軽く会釈をする。
突然の現実離れした内容に理解が追いつかないのか、永守は混乱した様子で神屋敷に事実を確認する。
「え、えーと……大変失礼なのですが、今お聞きしたお話は事実でしょうか?」
「ええ、もちろんです」
「身代わりになるということは、場合によっては命を落とすということですよね?」
「そうです」
「御社は雇用者を犠牲にして利益を得ているということでしょうか?」
「まぁ、そうではないとは言い切れませんね。確かにここにいる薄井も、数日後、遅くとも数ヶ月後にはこの世の人間ではなくなるでしょう」
「信じられない……。こんな会社が存在するなんて……!」
永守は大きく目を見開き、そのまま身体を硬直させる。
そんな永守のリアクションも神屋敷にとっては想定の範疇だったようだ。神屋敷は変わらず落ち着いた様子で説明を続ける。
「永守様、お気持ちはとてもよくわかりますが、別の観点から申し上げますと、身代わりとなる人間が一人死ぬことで、ご依頼者様お一人のお命を救うことができます。身代わりを使わなかったら、ご依頼者様は無念の死を遂げてしまうことになるでしょう」
この人は何を言っているのだろう。人が一人死ぬことで人が一人が助かるということは、結局は、一人の人間が死ぬということに変わりないではないか。永守は神屋敷の言葉に反論する。
「神屋敷様、お言葉ですが、無念の死を遂げることになるのは身代わりとなる方も同じではないでしょうか? 死ぬために仕事をするなんて聞いたことがありません。雇用主として、雇用者を守るのは当然の義務です。それなのに、あなたはそれを初めから放棄している。恥ずかしくないのですか?」
「永守くん、神屋敷さんに失礼ではないかね?」
「ですが、先生……」
つい口調が荒くなったところを、すかさず富小路が
対する神屋敷は、相変わらず爽やかな笑顔を浮かべている。
「富小路先生、大丈夫ですよ。……永守様、あなたは当サービスを誤解しておられる。無念の死とは、夢や志をもった人間が予期せぬことが原因で死してしまうことです。では、夢や志もなく、むしろ死を希望している人間が進んで死ぬ場合はどうなるでしょうか?」
「それはつまり……」
「そうです。身代わりは、死を渇望している人間が担当します」
「死を、渇望……」
言葉の重さに愕然とする。神屋敷があえて『渇望』という言葉を選んだことに、身代わりサービスに従事する人間の思いの強さが表れている気がした。
「ここにいる薄井も死を望む者の一人です」
神屋敷は隣に座る薄井を示す。薄井は顔色こそあまり良くないものの、とても死を望んでいるようには見えなかった。永守は薄井に確認する。
「薄井様、今、あなたの中に『死にたい』という気持ちが存在しているのでしょうか?」
「はい」
薄井は短くはっきりした声で答える。すぐに返ってきた答えに、永守の瞳に戸惑いの色が浮かぶ。
「そんな……。それはどうして……?」
「どうしてって……生きていても辛くて苦しいだけだから。僕には家族も大切な人もいません。助けてくれる人なんかいない。自分でも一生懸命努力した。でもこの気持ちを消すことはどうしてもできなかった。だから身代わりになることを選んだ。死ぬならせめて誰かのために死のうと、そう思ったんだ」
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