エピローグ

 株式会社スケープゴート事務所の地下には、殉職していった者たちの形代が祀られている。 駅のコインロッカーのように所狭しと並んだ仏壇のような木目調の箱の中には、香炉や生け花といった仏具や仏花が納められていた。

 そして形代はそれらの中央に、本来だったら位牌が置かれるはずの場所に形代が静かに鎮座していた。

 生花の香りに包まれながら、千影はいつものように線香の火を灯す。漂ってくる白檀の香りの中で、静かにまぶたを閉じ、手を合わせた。

(奏太……)

 心の中で今は亡き大切な人の名前を呼び、千影はゆっくりと目を開く。そしてもう何年も言い続けている言葉を愛おしげにつぶやく。

「安心して。今日も幸せな一日になるから」

 赤いほっぺたの可愛らしいうさぎの人形は、今日も幸せそうに笑っていた。


「おい、お前。不謹慎だぞ」

 千影がその場から離れようと腰を上げると、ふいに横から文句が聞こえてきた。

 いきなりの言われように、千影はつい鋭い視線を相手に向ける。

「不謹慎って、一体何のことですか?」

「自分の恋人のことだけじゃなくて、ちょっとはこいつのことも気に掛けてやれよ。あの世できっと泣いてるぜ? お前のこと好きだったって、お前だって気付いてんだろ?」

「あなたにそんなこと言われる筋合いはありません。第一、私が彼のことを気に掛けないはずないじゃないですか」

「こんな立派な百合の花だけで満足すると思ってんのか?」

「彼はそういう人です。穏やかで思いやりがあって、悲観的に見えて実は芯が強くて……そして、誰よりも優しい人でした」

「……何だよ、新人研修担当の俺よりもあいつのことちゃんと見てんじゃねぇよ」

「……とりあえずすごく面倒なので、褒めるのか怒るのかどっちかにしてください、天見先輩」

「面倒って何だよ! 面倒って!!」

 天見晃はなおもぶつぶつ文句を言いながら、目の前の祭壇に色とりどりの花束を供えると、持ってきた線香を立て手を合わせた。

 相変わらず茶髪にピアスでスーツのネクタイを緩めている晃の装いに呆れながらも、千影は傍で晃の祈りを見守っていた。

 晃の祈りの先――祭壇の中央には龍の形代が祀られていた。

 龍とは言うものの、その見た目はどう見てもミミズそのものであり、ところどころ糸が飛び出していたり形がガタガタしていたりで、とにかくひどい有様だった。形代の色が深い緑であることや長いひげがあること等が、かろうじてそれが龍であることを証明していた。

 龍の胸あたりに目を向けると、そこだけひときわ赤黒く汚れているのが分かる。千影は思わず目を背けた。ナイフで一突きされて死んでいった身代わり――薄井の苦悶の表情が千影の脳裏を支配していく。そしてそれが徐々に姿を変え、別の人間のものへと変わったところではっと目を開ける。

「……!」

「おい、大丈夫か? 顔が真っ青だぞ」

 気付けば晃の顔が傍にあった。晃はどことなく心配そうな目で千影を見つめていた。

 千影は一呼吸置いた後、満面の笑みを浮かべる。

「はい、問題ありません」

 千影の言葉を聞いた晃は呆れながらため息をつく。

「おい、笑顔の使い方、間違ってるぞ」

「間違ってる? どういうことですか?」

 晃の思わぬ静かなツッコミに千影は頭を傾ける。

「お前の大切なやつに教わらなかったのか? 『悲しい時や辛い時は笑うんじゃなく思いっきり泣くんだ』って」

「……? 別に私は今悲しくも辛くも何ともありません」

「はぁ〜。ったく、お前、意外とめんどくさいやつだよな」

「もしかして、喧嘩売ってます?」

「仕事をきっちりこなす割には、そういう根本的なところが抜けてんだよ、お前は」

「そんなこと、いつも適当で問題ばっかり起こしてる先輩には言われたくありません」

「……悲しかったり辛かったりしてないんなら、どうして泣いてんだ?」

 晃の言葉に、千影は思わず自分の頬に手を当てる。自分の頬が濡れていることに千影は目を見開く。

「どうして……こんな……」

 とめどもなく溢れる涙に、千影は訳も分からず慌てふためく。

 そんな千影の頬に、ふいに何か柔らかいものが触れる。

 千影がゆっくりと顔を上げると、すぐそばに晃が立っていた。頬に当てられる晃のハンカチが、次々と千影の瞳から溢れる涙を吸い取っていく。 

「ったく、世話の焼けるやつだな。いろいろと一人で抱え込みやがって……」

 晃は千影の涙を拭ってやると、改めて千影に向き直る。

「千影。富小路を殺したのはお前じゃない。あいつは結果的に自分で自分を死に追いやったにすぎない。一丁前に全部一人で責任を抱え込もうとするなんて、まだ百万年早いんだよ。……一人で背負うな。背負うなら一緒にだ」

「先輩……」

 晃の言葉を聞いて、千影は自分が思っていたよりもひどく傷ついてたことに気付く。そして、普段優しい言葉一つも掛けてくれない晃が、ぶっきらぼうにも自分のことを励まそうとしているのが分かって、千影の心は温かくなった。

 千影はお礼の代わりに満面の笑顔を晃に向ける。晃が照れくさそうに顔を背けたのを見て、千影は思わずくすりと笑みをこぼした。

「二人ともこんなところにいたのか。探したよ」

「神屋敷社長!」

 神屋敷は晃と千影の姿を認めると、にっこりと爽やかな笑顔を浮かべる。

「晃、千影。今度の新入社員の新人研修とフォロー体制について少し相談したいことがあるんだ。ちょっと来てくれるかい?」

「えー、また新人研修ですか!? 俺、裁縫苦手なのに、なんで形代作りの手伝いさせるんですか!?」

「だって、僕は営業とか接待とかで忙しいし、千影はスカウトとか契約管理で忙しいから、そうなると晃しか任せられる人がいないんだよ」

「じゃあ、もっと社員増やしてくださいよ」

「職業柄、万年人手不足なんだからしょうがないよ。社員増やさない(増やせない)代わりに、晃にはすごく期待してるんだから。もちろん千影にもね」

 神屋敷のウインクに、晃と千影の顔が引きつる。

 晃は引きつる顔を無理矢理元に戻し、気を取り直して神屋敷に尋ねる。

「そういえば、前から気になってたんですけど、どうして形代は『笑顔でほっぺたが赤くて怖い雰囲気を一切感じさせないもの』じゃないといけないんですか? 毎回新人研修で質問を受けるんですけど、なんだかんだで理由をちゃんと聞いたことがなくて……。なんか企業秘密みたいなのでもあるんですか?」

「いいや、そんなものはないよ。別に今の言葉の通りさ。ほっぺたが赤くて笑っている形代の方が元気な感じがしていいだろう? わはははははっ!!」

 神屋敷が楽しそうに笑いながら、先を歩いて行く。

 晃が呆れたような表情を浮かべながらその後に続く。

 千影は隣り合っている虎の形代と龍の形代に笑顔を向けてから、二人の背中に向けて、大きな一歩を踏み出した。

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スケープゴート 有満なのはな @nanonano0111

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