3-5 マゾフシェの森調査試験⑤

 ガキンと、巨大音叉同士が火花を散らし交わると、両者は一旦間合いを取った。

 長尺音叉の構えを解いて、ロッティはバーストに話しかける。


「あなた……教授付き共鳴士のバーストよね。後ろにいるのは、あなたが師事するウェインスルト助教授。あなた達もヒップ教授の悪巧みに加担してるの?」


 音叉共鳴レゾナンスなしのロッティと、音叉共鳴レゾナンスありのバーストでは、まともにやりあっても勝ち目はない。

 まずは会話で時間を稼ぎ突破口を見つけたいところだが――、


「……」


 寡黙な筋肉男が、戦いの最中さなか饒舌になるはずもなく。バーストは無言で長剣音叉を薙ぐと、これが返事だとばかりに氷弾ひょうだんを飛ばす。

 ロッティは全神経を集中し、なんとか全ての氷弾を叩き落とした。


「ねぇバースト、聞いて! あなたはあたし達共鳴士止まりにとって、ある意味憧れの存在だったのよ!? 共鳴士も極めれば教授付きになれる。そういう生き方もあるんだって!」


 続く弾幕を、ロッティは走って躱していく。その間も根気よくバーストに話しかける。


「夏にバーべキューしたの覚えてる? 皆あなたに興味深々で質問しまくってたのに、やっぱりほとんど喋ってくれなくって……そのくせお酒飲んだら泣き上戸で、魔導士になれない恨み辛みを、愚痴って聞かせてたじゃない。あれからどう? やっぱり魔導士は諦めた?」


「……黙れ」


 ようやく捻りだした一言は、完全な会話拒否。それでもロッティは会話を続ける。


「心の音叉は震わせても、手にした音叉は仲間に振るうなって、学院規則にも書いてあったじゃない。共鳴士を極めたあなたが、どうして仲間に音叉を向けるの? 音叉は音楽を奏でるため、共鳴するためにあるんじゃないの!?」


 遠隔攻撃では埒が明かないと悟ったか。バーストは長剣音叉の二又に氷の刃を生成し、接近戦を挑んでくる。

 体重を乗せた氷の二枚刃が一度ならず二度三度、ロッティの長尺音叉を責め立てる。それでもロッティの口は止まらない。


「共鳴士は、音叉をっ、ヒトに向けては、いけまっ……せんっ!」

「……ッ!」


 下から振り上げた一閃で、ロッティの音叉は宙を舞い、地面に突き刺さった。

 さすがのロッティも、呆気に取られて口をつぐむ。


「お喋りも、これで終わりだ」


 氷剣音叉を振りかぶるバースト。

 その瞬間、背後から飛んできた音叉を、ロッティはノールックで受け取めた。


「……なっ!?」


「いくらあたしがお喋り好きだからってね……無口相手にいつまでも! ペラペラ喋り続けるわけないでしょ!」


 その瞬間、バーストは初めてピアノの音に気が付いた。

 ロッティが一人で喋り続けていたのは、この曲に気付かせないためのブラフ。

 彼女の背後には、幻の鍵盤を弾く幻影ショパンと伊織が立っていた。


「謀ったな!」


 バーストが音叉を振り下ろした時にはもう、周囲は濃霧で覆われていた。

 いつの間にかロッティの姿は消え、辺りは白い世界に飲まれていく。


「謀り事は……」

「お互い様じゃない……」


 白霧の中、ロッティの幻影が次々と現れては消えていく。霧が見せた蜃気楼に気を取られたバーストは、足元に現れたロッティに反応が遅れる。

 次の瞬間、無数のエネルギー弾がバーストの腹筋をえぐった。

 たまらず薙ぎった氷剣音叉を無属性オーラで弾き飛ばすと、ロッティはアッパーカットをお見舞いする。

 尻餅を付くバ―スト。その鼻先に『幻想即興曲』の音叉が突き付けられた。

 淡褐色ヘーゼルの瞳を爛々と輝かせた金髪少女は、満悦の吐息を漏らす。


「実はあたしも、一度やってみたかったのよね……音叉共鳴レゾナンスした共鳴士同士、本気の喧嘩ってヤツを!」


* * *


 ティアが伊織に渡した音叉は、岩竜水竜戦で使った『幻想即興曲』だった。


「どうしてこれを……ヒップ教授に渡したんじゃなかったのか?」

「いいから早くして下さい……音叉共鳴それなしじゃ、万が一にもバーストには勝てません」


 瞼を腫らしたティアは伊織を急かす。

 逃げ回るロッティと一瞬アイコンタクトを交わすと、伊織は召喚魔導サモンスタイルを行使し、相棒の背中に音叉を投げつけた。

 以心伝心、ロッティは振り返る事なく音叉を受け取り、すぐに白霧に呑まれていった。


「私はウェインスルトを倒してきます。バーストの音叉共鳴レゾナンスさえ解除できれば……」


 『カプリス二十四番』を握りしめ立ち上がろうとするも、ティアはガクンと崩れ、倒れてしまう。


「ティア!」


 ショパンに演奏を任せ、伊織はティアの身体を抱きかかえる。左足首を庇う小さな手をどけ、傷を確認すると……声を失う。

 幼女のか細い足首は、痛々しい凍傷を負っていた。


「この足で戦うなんて無茶だ。僕とロッティに任せて、今は休んでて」

「そういうわけにはいきません……バーストは共鳴士の中でもトップクラスの教授付き。ロッティは毒竜との戦闘でかなり体力を消耗しています。なんとしてもウェインスルトを――」

「私が、なんですって?」


 冷ややかな艶声は、件のウェインスルト。

 幻影の白髭爺サン=サーンスを引き連れて、距離を取ってこちらの様子を窺っていた。


「これがショパン……とても美しいピアノ曲ね。おまけに楽曲の加護ムジカブレス持ち。これほどの魔音叉を隠してたなんて、教授が知ったらどうお思いになるでしょうね」

「そっちこそ、どういうつもりなのかしら? 魔導士一人で敵前に姿を晒すなんて」


 足の痛みに片目を瞑るも、自力で立ち上がるティア。

 音叉の切っ先に小さな竜巻を発生させ、ウェインスルトを睨みつける。


「あら。女の子がそんな怖い顔してちゃ、可愛くないわよ」


 ウェインスルトはハンドバックから巾着袋を取り出して、中の音叉を打ち鳴らした。

 召喚魔導サモンスタイル中に、別の音叉を鳴らす? 訝しむ伊織の隣でティアが突然崩れ落ちる。


「ティア! 大丈夫か!?」

「やっぱり女の子は、弱々しい方が可愛いわよ。幼女は特に……嗜虐心をそそられる」


 妖艶に、下唇を舐めるウェインスルト。伊織はしゃがみこみティアの容態を確認する。足首の凍傷で倒れたかと思ったが、ティアは背中を丸め、胸の痛みに耐えているようだ。


「おい! ティアに何をした!?」

「さあ? 何かしらね」

「その音叉、サン=サーンスの交響詩『死の舞踏』だな! ティアが苦しんでいるのは、その音叉の楽曲の加護ムジカブレスか!?」


 不敵な笑みはそのままに、ウェインスルトは一瞬、眉山を跳ね上げる。


「やっぱりあなた……生かしておくべきじゃないようね。黒髪黒目の、東方の旅人エトランゼ!」


 ウェインスルトは、バックから音叉付きの拳銃を取り出した。

 伊織はティアの『カプリス二十四番』の音叉を取ると、古代魔導レガシーオーダーを発動させる。二又音叉の切っ先から、二つの強烈な竜巻が巻き起こる。木の葉を巻き上げ枝を折り、大木さえもミシミシと嫌な音を立て始めた。

 古代魔導レガシーオーダーとは思えない破壊力に、ウェインスルトは驚き大きく後ろに飛び退いた。


 突如巻き起こった竜巻に、戦闘中のロッティとバーストも、すぐさま自分の魔導士の元に舞い戻る。吹き荒れる暴風の中、両陣営は対峙し睨み合う。


「行くわよ、バースト」


 先に動いたのはウェインスルトだった。幻影サン=サーンスが立ち消えて、バーストの音叉共鳴レゾナンスが霧散する。

 二人は背を向けると小走りで立ち去っていった。


「あっ、こら待て! 逃げるな卑怯者~っ!」


 ロッティの煽りに振り返る事なく、二人は森に姿を消した。

 追いかけたい衝動をぐっと堪え、伊織とロッティは横たわる幼女を介抱する。

 胸の痛みに苦しそうな顔を見せるティアだったが、呼吸はだいぶ落ち着いてきた。

 ロッティが小さな背中を擦っていると、ティアは脂汗に濡れた顔を上げた。


「ティアちゃん、大丈夫? お胸まだ痛む?」

「…………逃げ……」


 声が掠れて聞き取れない。無理に喋らせたくないと、伊織は先回りして答えた。


「ああ、あの二人、本当に逃げていったみたいだ。もう大丈夫だよ」

「違…………私を置いて……二人も……逃げて」


 伊織とロッティは顔を見合わせた。

 どうして? と問い掛けようとした矢先、ズンと、森を揺さぶる地響きに見舞われる。


 振り返った広場には、興奮に目を滾らせ三人に鼻息を荒くする巨大黒竜。

 伊織は絶望的な面持ちで巨竜を見上げ、身じろぎ一つできなかった。


* * *

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