1-4 洞窟の贄④
ロッティの詠唱に呼応するように、再び音叉から流麗なピアノ曲が流れる。『革命』の見事なピアノ演奏が、広く洞窟内に響き渡る。
うん……素晴らしい演奏だ。さっきと何ら、変わる事なく。
「ねえっ! ねぇちょっと、ねえってば! 出てきてよショパン! お願いだから出てきて、あいつをやっつけて!」
頭上に掲げた音叉をやけくそ気味にブンブン振り回すロッティだったが、鳴り響くピアノ曲に変化は生じない。どうやらこれは……失敗したみたい?
なら
おいおい。ショパンは子供の頃から病弱で、三十九歳の若さでこの世を去ってるんだぞ? そんな虚弱男を召喚して竜と戦えって、拒否されても当然なんじゃ?
新たな魔導を警戒していた竜も、これ以上何も起こらない事を悟ると、太い尻尾で薙ぎ払ってきた。
伊織は水中盆踊りしてるロッティに抱き着くと再度池に潜り、尻尾攻撃をやり過ごす。
命からがら池から這い出ると、ロッティは地面に両手を付き、肩で息しながら悪態を吐く。
「音楽家と……はぁはぁ……曲名が分かったくらいじゃ、
すかさず追撃の爪を繰り出す竜。
ロッティはひざまずいたまま音叉を地面にぶつけ音を鳴らし、炎弾で迎撃する。気力を振り絞って立ち上がると、再び竜に向かう。
「無茶だ、もう逃げよう!」
その背中に声をかけるも、
「一人で逃げて! あいつはもう怒り狂ってる。ここであたし達が二人とも逃げ出しちゃったら、村を襲っちゃう!」
そう言い残し、ロッティは竜に立ち向かっていった。
金髪少女の背中を見送りながら、伊織は自分の無力さを呪わずにはいられなかった。
右も左も分からない、世界の常識がひっくり返った洞窟で、見知らぬ女の子に守られてるだけの自分。
僕だって何かの役に立ちたい。でも、獰猛な竜相手に何ができるわけもない……当たり前だ。魔法どころか、拳で殴り合うケンカすらした事ないんだから。
十七年という月日を全てピアノに捧げてきたけど、左手の怪我で全ては水泡に帰した。
ピアノが弾けないピアニストなんて、一文無しのギャンブラーみたいなもの。カラッポの人間……カスカスのカスだ。
それに比べ、ロッティはどうだ。
魔法の音叉があるにせよ、あれだけ動いて戦えるって事は、相当な訓練で自らを鍛え上げてきたに違いない。
いや……身体能力だけじゃない。
騙されたと知っていても、勝ち目がないと分かっていても……故郷を守るため巨竜に立ち向かう勇気と覚悟を持っている。
そうだよ。騙されて捕まってそれで逃げ出したんだったら、そのまま村を去ればいいのに。
わざわざ音叉を盗み出したった一人で竜退治なんて、お人好しが過ぎる。
竜と戦うロッティは、時々伊織に視線を送ってくる。その目は「早く逃げて」と語っている。
故郷だけじゃない。初めて会った
考えろ。今僕は何をすべきか。
何がどうしてここにいるのかすら分からない僕だけど、
何がどうしてここにいるのかすら分からない僕を、助けてくれる女の子を、
このまま見捨てて逃げ出して、いいわけがない!
「きゃああっ!」
かろうじて炎のブレスを避けたロッティは、そのまま前につんのめり倒れてしまった。その衝撃で手から音叉が放り出され、伊織の足元まで転がってくる。
慌てて拾い上げた伊織の手の中で、音叉が不思議な輝きを放ち始めた。
それは鼓動のような光の明滅……ロッティが詠唱してた時と同じか、それ以上に強い瞬き。
まるで音叉が、僕に何かを訴えかけてくるみたいで――!?
その瞬間、
光る音叉を持つ千里が、泣きながら胸に飛び込んできた。受け止めた僕の両手とすぐ傍に立つ誰かの手がダブって見えて……僕ら兄妹を包む世界が、歪な形に捻じれていって――!?
「伊織! 逃げてええっ!」
ロッティの絶叫で、伊織の意識が洞窟内に戻ってくる。唯一の武器を失い逃げ回る事しかできないロッティは、必死で伊織の逃げる時間を稼いでくれていた。
考えろ。今僕は何をすべきか。
カスカスの僕でもできる事……いや、カスカスの僕だからこそ知る、ショパンで!
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