1-3 洞窟の贄③

 ロッティは竜にライフルを向けると、そのままの態勢で話を続けた。


「しばらくは、いなかったんだけどね。最近どこかから迷い込んだ竜は、隠してあった巨大洞窟を見つけてそのまま住み着いちゃったらしいのよ。村の皆はいにしえの風習に従って、人身御供を差し出す事にした。それがあたし……いいえ、あなただったのかしら?」


 体長六メートルはあるだろうか。両翼を折り畳んだ巨大な竜は、のっしのっしと二足歩行で洞窟内に入ってくる。

 裸足の裏から伝わる震動は、すぐに全身を震え上がらせる恐怖となり、伊織は金縛りにかかったように動けなくなってしまう。


 ダメだ、こんなところで固まってる場合じゃない。竜はまだこっちに気付いていない。今のうちにどこか岩陰に隠れてやり過ごせば――。


 ポーン。


 標準音A=四四〇ヘルツ。すなわち、音叉が奏でる『ラ』の音が、洞窟内に響き渡った。伊織は驚愕の顔で、隣の女の子に振り向く。


 ロッティは頭上高くライフルを掲げ、躊躇う事なくその引き金を引いていた。


 一度ならず二度三度連打される『ラ』の音は、暗い洞窟内で恐ろしいほど反響する。音の正体に気付いた竜は、二人に向かって猛然と突進してきた。

 もうダメだ――伊織は頭を抱えてしゃがみ込む。すると音叉の音が立ち消えて、聞き覚えのあるピアノ曲が聴こえる。


 伊織は顔を上げた――なぜ? どうして今、この曲が!?

 それはクラシック・ピアノ曲の代表格、ショパン練習曲エチュードハ短調Op.10-12――『革命』。


 冒頭の十六分音符がスラーで駆け抜けた瞬間、竜に狙いを定めたライフルから、燃え盛る炎の弾丸が発射された!

 炎弾えんだんが竜の顔面を直撃すると、突進する巨体に急ブレーキがかかる。ロッティは伊織を置いて、竜の側面に回り込むよう駆け出した。


 思わぬ奇襲に苛立ちの咆哮を上げた竜は、伊織を無視してロッティを追う。

 前肢の鋭利な爪を繰り出すも、ロッティは炎弾でその爪を迎撃。更に乱れ撃ちして竜の追撃を許さない。


 その間、伊織はただ呆然と立ち尽くしているだけだった。


 突如始まった竜と少女のファンタジーバトルに度肝を抜かれたのはもちろんだが、それだけではない。

 洞窟に響き渡るショパン『革命』のエチュード――その演奏があまりに見事で、激しく心を揺さぶられていたのだ。


「何してるの!? どこかに隠れてて!」


 ロッティが炎弾をぶっ放しながら、棒立ちの伊織に叫ぶ。

 その声に反応したのは伊織ではなく竜だった。ロッティの目の前で巨体がくるりと半転すると、一拍遅れて極太の尻尾が、伊織めがけて飛んでいく。


「危ないっ!」


 ロッティは走って伊織に飛びつくと、二人はもんどりうって後方に倒れた。間一

髪、竜の尻尾は岩盤を抉り、横殴りに通り過ぎていく。

 岩場の隙間に二人で隠れると、ロッティは伊織の両肩を掴んで激しく揺すった。


「あなた、死ぬのが怖くないの!? あたしが竜を引きつけておくから、出口に向かって走って逃げて!」

「この曲……どうしてショパンが聴こえるんだ? もしかして、その音叉が鳴らしてる?」


 ロッティのライフル先端には、震える銀の二又が顔を覗かせている。確かに音叉は震えているのに、今は『ラ』の単音ではなく『革命』のピアノ演奏が鳴っていた。


「そうよ。これは魔音叉って言って……って、ショパン? 伊織、この曲知ってるの!?」

「知ってるも何も、『革命』のエチュードはショパンの中でも超有名曲じゃないか」

「この曲、ショパンの『革命』っていうのね!」


 驚きに淡褐色ヘーゼルの瞳をこれでもかと見開いたロッティは、歓喜に打ち震えている。その様子に、逆に伊織の方が驚いてしまう。


 音楽に全く興味がない人でも、ショパンの名前と代表曲のいくつかは知ってるはずだ。『革命』はメジャーな曲だし、手を見ただけでピアニストだと看破するロッティなら、知らないはずがない。

 二人が話している間も、竜は岩盤の隙間に爪を当てガリガリと削ってくる。


「うるさい!」


 振り向きざまに爪に向かってライフルをぶっ放すと、金髪少女は伊織にぐいっと迫った。


「もしかして、魔導士なの?」

「は?」

「音叉魔導士なのかって、聞いてるの!」

「何の事か、さっぱりわからない!」


 その時、頭の上からぐつぐつと、何かが沸騰する音が聞こえてきた。二人は岩盤の隙間から恐る恐る竜を見上げる。

 大きく開いた竜の口、鋭利な牙のその奥に、赤黒いマグマ溜まりが見えている。それは口腔内でどんどん膨らんで、今にも零れ落ちそうだ。


「マズイわね……コイツ、炎竜えんりゅうだ。どうりで炎弾が効きずらいわけね。来て!」


 ロッティは伊織の手を取って、後方の池まで退避していく。女の子とは思えない力で引っ張られ、なすがまま付いていくしかない。

 濡れる事などお構いなしに、ロッティは池の中にじゃぶじゃぶ入っていき、伊織もそれに続いた。

 次の瞬間、大きく息を吸い込んだ炎竜は、炎の息吹ブレスを放つ。


「潜って!」


 後頭部をとんでもない力で抑えつけられ、伊織は池の中に潜らされた。

 水中でも聞こえるほどの蒸発音を残し、池の水は炎のブレスを阻んでくれる。背中に多少の火傷を負う程度で、なんとかブレス攻撃を回避できた。

 水面に顔を出し、ぶはっと息を吸い込むと、伊織はロッティにまくしたてる。


「もしかして、炎の竜は炎の弾じゃ倒せないって事!? 氷や水の弾丸はないの?」

「言ったでしょ、あたしも生贄だって。適当な理由で生まれ故郷に呼び戻されて、捕まったのよ。手持ちの音叉は全部没収されちゃって、今持ってるのはこれだけ」


 ロッティが掲げたライフルの先端に、濡れた音叉が妖しく光る。


「村に伝わる出自不明の古い魔音叉……これさえ盗み出せれば、生贄の儀式前に竜を倒せると思ったのに」


 魔音叉――これが魔法のエネルギー源? 

 音叉に録音されたショパン『革命』のエチュードが、炎の弾丸を放っている?

 頭にはてなマークばかり浮かべている伊織に、ロッティは念を押すように訊く。


「ショパンの、『革命』……だったわよね?」


 伊織は大きく頷いた。音叉の振動が止まったせいか、今は音楽は聴こえない。

 それでもショパンの『革命』を、伊織が聴き違えるはずもない。何度も練習し、最も得意とした……そしてもう、二度とは弾けないピアノ曲。

 伊織は俯いて、左手を強く握り締めた。折れ曲がった指の隙間から、隠し切れない大きな傷跡が覗いている。


「伊織の言う通り、炎竜に炎の古代魔導レガシーオーダーは相性が悪すぎる……」


 ロッティはライフル先端の音叉をくるくる回して、銃口から取り外した。音叉を額に当て目を閉じ、願掛けのように念じる。


「一か八か……お願い。もう、召喚魔導サモンスタイルしかないんだからっ!」


 ロッティは気合と共に、音叉を岩壁に叩きつけた。標準音Aが洞窟内にこだまする中、池に立つロッティは透き通るソプラノで唱え上げる。


「音を導き閉じこめられし魔導の音叉よ、御身が主の調べをしばし解き放て……」


 炎竜の咆哮にたじろぎもせず、ロッティは両手で音叉を握り締め意識を集中する。

 こころなし、濡れた音叉が光の反射とは異なる煌めきを放ち、自ら輝いているように見える。


「来たれ魔導士シャーロット・クラクスの名と身において、演じよショパン『革命』を!」

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