1-7 魔導士と共鳴士②

「ん~っ、うんまい!」


 予想を裏切る美味しさに、伊織は幸せの唸り声を上げた。

 ライ麦粉を発酵させて作ったスープと人参を一緒に咀嚼すると、口の中いっぱいにおいしさが広がっていく。ピリリと利いたスパイスが食欲を刺激し、適度な酸味が舌先の味覚を目覚めさせる。噛むたび濃厚な味わいが温かいスープと溶けあって、ほのかな甘みが身体中を駆け巡る。


 一口で気に入った伊織は、スプーンを持つ手が止まらなくなってしまう。

 人参、玉ねぎ、じゃがいも、セロリ、ゆで卵。具沢山な野菜はどれも味が濃く、ソーセージは噛むたび肉汁が弾ける。これはいくら食べても飽きる事がない。マッシュルームとチーズを挟んだドーナツ型のパンと一緒に食べると、都会のベーカリーにでも来た気分になる。


「でしょでしょ! おば様のジュレクとオブヴァジャネックは、この村一番なんだから」

「リンゴジュースもめちゃめちゃおいしい……これもスパイス入ってる!?」

「それはコンポートって言って……」


 ポーラの郷土料理に舌鼓を打つ伊織を見て、嬉しそうに説明するロッティ。

 一緒にピンチを切り抜けた上こうして同じ食卓を囲む事で、二人はすぐに打ち解けていった。

 だからだろう。食後のインカコーヒーを飲む段になると、ロッティは自然な感じで切り出した。


「それでね、伊織」

「うん」

「あたしと一緒に、魔導事務所を開いてほしいの!」

「まどう……じむしょ?」


 伊織のオウム返しに、ロッティは「はぁっ」と大きな溜息を漏らす。


「ホンットになんにも知らずに、召還魔導サモンスタイルを発動したんだね……。あたしの二年間はいったいなんだったのよ、もう」


 肘を付いて両手に顎を乗せると、ロッティは目いっぱい頬を膨らませた。


「ごめん。でも実際、僕は魔法とは縁のない世界に住んでて、ここに来た経緯だってほとんど覚えてないんだ。竜や音叉、ポーラについてもほとんど知らない。僕が知ってる事なんて、今食べた料理がとても美味しかった、くらいなんだよ」

「……おば様が聞いたら、お腹がはちきれんばかりのデザートを出してくるところね。まぁ伊織は遠い国から来たんだろうし、おまけに記憶までなくなっちゃったんだから仕方ないか」


 ほっぺの空気をぶしゅーっと抜くと、金髪少女はぺこんと頭を下げる。


「ごめんね、八つ当たりしちゃって」


 一言謝ると、ロッティは立ち上がってリビングの本棚へ。大きな本を手に戻ってきた。

 ダイニングテーブルの上に置かれたそれは、絵本のようだった。

 表紙には人とドラゴンが戦うファンシーなイラストと、『人竜戦争』と書かれたタイトルが踊っている。


「あたし達が暮らすポーラ公国……だけじゃなく、大陸スヴァトヴィートでは、何百年も前からヒト族と竜族が一緒に暮らしてる。一緒と言ってもヒト族は町に、竜族は森に、分かれて暮らしてるんだけどね。二つの種族は大陸を分け合い、互いに共存不干渉とする原則を貫いている。なぜか? それが大昔のヒトと竜の戦い――人竜戦争の教訓だからよ」


 ロッティは絵本の表紙をめくり、子供に読み聞かせるように語っていく。


「昔々、竜王スモーキー率いる竜の大群が、ポーラ南部の古都クラクフを襲った。竜の息吹ブレスは圧倒的で、クラクフのヒト族は全滅寸前まで追いつめられた。もうダメだと思ったその時、空を覆い尽くす天使の軍勢が、竜のブレス同等の武器をヒトに授けていった。それが天使の歌声が籠められた音叉――魔音叉よ」


 めくったページには、天使が落としていくたくさんの音叉に、人々が群がっている様子が描かれていた。


「魔音叉を叩くと天使の歌声が流れて、同時に竜のブレス同等の属性魔導を放つ事ができた。兵士はこれを使って戦線を押し戻していくんだけど、魔音叉は有限だった。使ってるうち天使の歌声は失われ、ただの音叉に戻ってしまう。そこでクラクフ王は、国中の音楽家を集めて音叉に楽曲を録音し、新たな魔音叉として復活させた。刀鍛冶は剣の代わりに音叉を造るようになり、軍楽隊は音叉に音楽を籠めて魔音叉を量産した。人々は王宮から配られた魔音叉を使い、家族や村を竜族から守った。これが音叉魔導――古代魔導レガシーオーダーの始まりよ」


 絵本には、台座に立てた音叉を前に、オーケストラが演奏している様子が描かれている。


「音叉が銃で、音楽が弾丸みたいなものなのか……」

「そう。魔音叉を古代魔導レガシーオーダーで使うと少しずつ魔耗まもうして、最後にはただの音叉に戻ってしまう。だから偉大な音楽家が亡くなると、彼の遺した魔音叉はとても貴重なものとなる。楽曲の演奏レベルが高ければ高いほど、威力も増すからね」

「じゃあ昨日の『革命』の魔音叉も、魔耗してるって事?」

「あのくらいならまだまだ大丈夫。音叉の魔耗具合は、演奏のボリュームで確かめる事ができる。こんな感じで」


 ロッティは『革命』の音叉を取り出すと、テーブルナイフの柄で打ち鳴らす。標準音Aに続き、ショパンの『革命』が力強く鳴り響いた。

 なるほど。こうやって確かめられるのか。

 音叉に手を触れ音を止めると、ロッティは話を戻した。


「ヒト族が古代魔導レガシーオーダーを手に入れた事により、人竜戦争の情勢は拮抗した。これ以上争っても双方被害が広がるだけで、戦争の泥沼化は避けられない。そこでクラクフ王と竜王スモーキーの間で停戦協定が結ばれた。その条件が――」

「人は町に、竜は森に。分かれて暮らし、交わらない」

「そう。これが共存不干渉の原則。これによりポーラ公国――引いては大陸スヴァトヴィートは、ようやく平和を迎える事ができた。その日から数百年、共存不干渉のルールはこうして絵本を使って子供に教えるくらい、世界の常識になっている」


 絵本の最終ページには、竜と人がそれぞれ森と町に分かれて、幸せそうに暮らすイラストが描かれていた。


「でも今回みたいに、竜の方から人里に降りてくる事があるんだろう? 話が通じる相手でもなさそうだし」

「あたし達はそれを、竜害と呼んでるわ。絵本の昔と違って今の時代、古代魔導レガシーオーダーを行使できるのは訓練された共鳴士だけ。その共鳴士だって、魔音叉の品質や属性の相性によってはまるで歯が立たない。そこで十年前、竜害に対抗できる全く新しい音叉魔導が開発された。それが召還魔導サモンスタイルってわけ」

「音叉の楽曲の音楽家を召還し、その演奏で共鳴士を強化する……って事だよね?」

召還魔導サモンスタイルによる強化は、音叉共鳴レゾナンスって呼ばれてる。音叉共鳴レゾナンスを果たした共鳴士は音叉のオーラを身に纏い、古代魔導レガシーオーダーが強化される上、いくら使っても魔耗しなくなる」

「その代わり難易度が高く、魔導士とは別にもう一人、強化する共鳴士が必要って事か」

「他にも召還魔導サモンスタイルはとにかく制約が多くて……例えば、故人の音楽家の音叉じゃないと使えないのよ。言ってしまえばあの世から魂を喚び寄せるわけだから、御存命だと発動しない」


 伊織は昨日の召還魔導サモンスタイルを思い出した。確かにあれは、幽霊に憑りつかれたような感覚だった。

 それでもショパンとしてピアノが弾けるなら、いくらでも憑りついてもらって構わないけど。


「昨日は自分で召還魔導サモンスタイルして、自分自身で音叉共鳴レゾナンスするつもりだったんだけど……まさか伊織相手に音叉共鳴レゾナンスするなんて思ってもみなかったわ」

音叉共鳴レゾナンスって、自分自身にもできるんだ」

「魔導共鳴士って言ってね。ヴァルソヴィア魔導学院でもほとんど見かけない、超レアスキルなんだけどね」

「ロッティはその魔導学院で二年間勉強して、共鳴士になったんだよね?」

「ええ。結局共鳴士止まりで、魔導士にはなれなかったけど」

「じゃあ僕が召還魔導サモンスタイルを発動したのは、たまたまだったのかなあ……」


 そう言った瞬間、ロッティの顔から笑みが消えた。カップをソーサーに置き、真顔で伊織を見つめてくる。

 大きな淡褐色ヘーゼルの瞳が、わずかに怒気を孕んでるように見えた。

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