1-6 魔導士と共鳴士①

* 2 * 


「起きて! もうお昼だよ!」


 目が覚めると、伊織は知らない部屋のベッドで寝ていた。

 薄ら寒い洞窟じゃないだけまだ幸せだと思えたが、寝て起きたら元の世界に戻っているかもという期待は、露と消えた。


「おばよう」


 自慢のイケボも、起き抜けはひどいガラガラ声。それがおかしかったのか、起こしに来た金髪少女は口元を手で隠し、くすくす笑いながら「おはよ」と返した。

 結果的に美少女の笑顔を引き出したわけで、寝起き直後のマヌケ顔を見られた事もヨシとする……が、それよりも。


「えーっと……ロッティの妹さん?」

「あたしに姉妹はいないわよ。ひょっとして伊織の記憶喪失って、寝たら忘れちゃう系?」


 腰に手を当て不服そうに唇を尖らせてるのは、確かにロッティではあるのだが……。

 ポニーテールは紐解かれ、さらさら金髪セミロングが目に眩しい。白ブラウスに淡い青のロングスカートはシンプルな分、清楚なイメージに一役買ってる。

 花咲く笑顔は、上から羽織ったカーディガンのタンポポに負けないくらい明るく輝いて――。

 昨夜ドラゴン相手に死闘を繰り広げた、炎のアマゾネスとは到底思えない。


「でも元気そうで良かった。もう起きないんじゃないかって、ちょっと心配してたのよ」

「竜相手にあれだけの大立ち回りをしたんだ。二度寝を許してくれるなら、夕方までなら気合でなんとかなりそうだよ」

「そんなの許さないに決まってるじゃない。朝からずーっと、話したい事が山のようにあるんだからっ!」


 ロッティは出窓に向かうと、問答無用でカーテンを開けた。容赦なく入りこむ陽射しに、伊織は逃げるように毛布をかぶる。

 窓の開く音がすると、外から女性の声が聞こえてきた。


「ロッティ! 食事の用意してあるから、起きたら食べさせてあげてね! いってきまーす!」

「ありがとおば様! いってらっしゃーい!」


 開け放った窓から顔だけ出して、叔母を見送るロッティ。

 毛布から顔だけ出してその後ろ姿を見ていた伊織は、真剣な顔で考え込んでしまう。


「ロッティのおばさんって、日本人?」

「何言ってるの? ポーラ人に決まってるじゃない」

「でも、言葉……」

「あ、分かる? おば様、若い頃はリトアで暮らしてたから、アクセントに少し癖があるの。伊織はポーラ語すごく上手だよね? どこで覚えたの?」

「……えーと。僕が今話してるのは、日本語だけど」

「伊織の国では、ポーラ語はニホンゴって言うの?」

「いや、うーん……そうなの? かな?」

「何よそれ、相変わらずはっきりしないわね。まぁいいわ、詳しい話はランチしながらにしましょう」


 言いながら、ロッティは毛布に手をかけた。伊織は反射的に毛布を掴むも、


「おお、うおおおっ!」


 抵抗空しく簡単に剥ぎ取られてしまう。

 この怪力……まごうことなきアマゾネス。

 毛布を丸めて得意げな顔を見せるロッティは、サイドテーブル上に畳まれた服を指差した。


「着替え、そこに置いてあるから使って。おば様の息子さんの。サイズは合うと思うって」

「ありがとう」

「洗面所は部屋を出て左。準備できたら、降りてきてね」


 そう言い残して、ロッティは手を振り階下へと降りていった。一人になった伊織は、用意してもらった服を広げ着替え始める。

 コットン生地のシャツに違和感はなく、サイズもピッタリ。ジャケットとパンツも、普段着てるものとさして変わりない。


 着替えながら部屋を見回しても北欧風家具が置いてあるだけで――話しかけてくる鏡とか、遠くの景色が映る水晶とか、勝手に部屋の掃除を始めるほうきとか、マジカルなアイテムは一切見当たらない。


「それでもここは……僕のいた世界とは違うんだろうな」


 昨夜の洞窟、ロッティと交わした会話を思い起こす。

 彼女はここをポーラ公国と言っていた。ショパンの故郷ポーランドに名前が似てるけど、ただの外国というわけじゃなさそうだ。

 だってここには竜がいて、音叉を使った魔法があって、言葉だって日本語で通じてしまう。

 そして何より……ショパンが知られてない世界なんて、あり得ない。


 着替え終わると、伊織は両手を前に伸ばしてみた。

 袖丈を確認するついでに、左の人差し指と中指を素早く動かしてみる。手の甲に、ピリッと痺れるような痛みが走った。伊織は顔をしかめ、がっくり肩を落とす。

 相変わらずポンコツな左手……それでも昨夜は、この手でショパンを弾いた。

 竜との戦いは無我夢中で記憶も気持ちも曖昧だけど、幻影ショパンと弾いた『革命』の演奏だけは、耳の奥に深く刻まれている。


 分かってる。幻の鍵盤を弾いてたのはショパンで、指先に鍵盤の感覚が残ってるのは、ショパンと共有した感覚のおかげだって。

 それでも、確かに残る演奏の実感を噛みしめると、顔が自然とにやけてくる。


 こんな奇跡、そうそう起ころうはずもない。

 ここがそう、異世界でもない限り。

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