1-8 魔導士と共鳴士③

「あ……あの、ごめん。何か悪い事、言ったかな」


 ロッティは、頷くでも首を横に振るでもなく。声を絞り出すように話し始める。


「音叉魔導士っていうのはね……まず共鳴士にならなきゃなれないって、言われてるの」

「そうなんだ」

「共鳴士になったら、自分と波長の合う魔音叉をひたすら探して、その音楽家についてひたすら勉強して、召還魔導サモンスタイルの特訓をひたすら繰り返して……それでも喚び出せない人ばかり」

「……」

召還魔導サモンスタイルは、謎が多い魔導よ。魔導学院の卒業生でも、魔導士になれた人はほんの一握り。八割は共鳴士止まりなのが、音叉魔導の世界だから」

「厳しい世界なんだね」

「ええ、だから伊織は特別。例外中の例外」


 なんと言っていいか分からず、伊織は口を閉じた。

 静まり返った部屋に、鼻がかるロッティの声が響く。


「あたしだって……まぐれでもたまたまでもいい、召還魔導サモンスタイルしたかった。一度でも成功すれば、それは魔音叉の音楽家に認められた事になるから。でもいくら頑張っても、あたしに最初の一回は訪れない。なぜだと思う?」

「……運が、なかったから?」


 ロッティは答えない。重苦しい沈黙が部屋を包み込む。

 普通の人なら、居心地悪く感じる場面だろう。でも伊織は、懐かしささえ覚えていた。

 持つ者と持たざる者――ピアノコンクールの帰り道、他の出場者やその家族と食事の席を共にすると、いつもこんな感じで気まずい雰囲気になっていたように思う。


 出ればほぼ優勝する伊織に、周囲は上っ面の賛辞を並べ、どうにかその秘密を聞き出せないかと模索していた。彼らからはいつも、隠しきれない嫉妬のオーラが滲み出ていて、あいつさえいなければと鼻声混じりの恨み節が聞こえてきた事も一度や二度ではない。


 そんな呪詛が、手の怪我を招き寄せたとは思いたくないが、結果的に伊織はピアニストとして再起不能になってしまった。

 それも「運がなかったから」と片付けられてしまえば、伊織だって素直に頷きたくはない。

 たとえそれが、事実だったとしても。


「ごめんね。なんか、空気重くしちゃって」

「いや……」

「だから伊織、お願い。あたしを伊織専属の共鳴士にしてほしいの。二人で魔導事務所を立ち上げて昨夜みたいに竜退治していけば、伊織の傍でショパンが学べる。そしたらあたしも、ショパンの魔導士になれるかもしれない」


 真剣な面持ちで訴えるロッティ。真剣だからこそ、伊織は軽々しく頷く事ができなかった。

 本気であればあるほど、自分のような例外に頼るべきじゃないと思ってしまう。


「僕は魔導士の訓練を受けてたわけじゃない。何をどう教えれば良いかもわからないし、先生が欲しいなら、僕よりもっと適任はいるんじゃないかと思う」

「初めて……だったの」


 恥ずかしそうに俯くロッティに、違うと分かってても伊織の心臓が跳ね上がる。


「魔導士と共鳴士には相性があって……あたしは死んだお母さんがブルゴーニュ出身だったせいか、ポーラ出身者ばかりの魔導学院で最後まで音叉共鳴レゾナンスできなかった。伊織のショパンが生まれて初めての共鳴だったのよ」

「でも……」

「二年よ」

「?」


 顔を上げたロッティは、目にいっぱいの涙を湛えていた。


「二年間何の進展もなかったあたしに! 『革命』を起こしたのは伊織、あなたなのよ!」


 潤んだ淡褐色ヘーゼルの瞳に、嫉妬や呪詛の色はない。

 ただ真摯に、必死に、チャンスを掴み獲りたい少女がいるだけ。


音叉共鳴レゾナンスは、魔導士の奏でる音楽に、共鳴士の心の音叉を響かせる事だって教えられた。それがどういう状態なのか、あたしはよく分かってなかった。でも伊織のショパンを聴いた時、初めて分かったの! 心の中の音叉がうるさいくらい共鳴して、今にも爆発しちゃうんじゃないかって。楽曲の加護ムジカブレスが発動して、心臓発作ハートブレイクでも起こしたんじゃないかって!」

「ムジカブレス?」

音叉共鳴レゾナンスは共鳴士の火力アップと、属性オーラのバリアが基本なんだけど、他にも楽曲にちなんだ特殊能力が備わる事があるの。それが楽曲の加護ムジカブレス。ほとんどは些細な……興奮しやすくなったり涙もろくなったりするだけなんだけど、稀に空を飛べたり手を使わずモノを動かせたり、海に潜っても息が切れなくなったりする」

「テレポート……したりする事も?」

「それは聞いた事ないけど、瞬間移動する楽曲の加護ムジカブレスなら聞いた事あるよ。あとは……」


 知っている特殊能力を並べ立て、自ら話を脱線させていくロッティ。半目を向けた伊織に気付くと咳払いを一つ挟み、話を元に戻した。


「とにかく! ポーラではここ最近、竜害が多発してる。国は軍隊を使って追い払おうとしてるけど、ポーラ全土に出没する竜に全然手が回ってない。だから民間の音叉魔導事務所――魔導士と共鳴士が、必要とされてるわ」

「昨夜の騒動もその一端……ってわけか」

「今の時代、音叉共鳴レゾナンスなしの共鳴士じゃ竜害を防げない。昨夜の戦いであたしもそれがよく分かった。だから伊織とあたしで魔導事務所を立ち上げて、ゆくゆくはあたしも、ショパンの魔導士になりたいの!」


 必死に思いを伝えてくるロッティ。その熱意が、今は胸に痛い。

 運を掴み取る勇気。それは今まさに、伊織にも求められていたから。


「あのさ。楽曲の加護ムジカブレスは、魔導士から音叉を受け取った共鳴士に備わる、特殊能力の事なんだよね?」

「そうだよ。もちろん、必ずしも役に立つ能力かどうかは分からないけど」


 伊織の頭の中で、思考のモニタの電源が入る。今まで見たフラッシュバックが、次々と映し出されていく。


 光る音叉を手に、泣いて抱きついてきた千里。

 妹を受け止めた手、傍に誰かが立ってる気配。

 直後兄妹を包み込んだ、捻じ曲がった異空間。

 そして鳴り響く、ショパン練習曲エチュード『別れの曲』。


 断片的なシーンが思考のモニタ内で繋ぎ合わさると、やがて一つの推論が出来上がる。

 伊織はロッティに向き直った。


「ごめん、魔導事務所はできない。僕にはやらなきゃいけない事がある」

「……何をするの?」

「妹を探さなきゃならない」

「えっ? 伊織の妹さんも、ポーラに来てるの?」


 そうだ。

 もうそうとしか考えられない。


「僕は日本で、ショパン『別れの曲』の魔音叉を使って召還魔導サモンスタイルを行使したんだ。そして傍にいた妹の千里が、共鳴士としてその曲に音叉共鳴レゾナンスした……。『別れの曲』は、ショパンが郷愁の想いを籠めて作った曲。その楽曲の加護ムジカブレスが発動し、僕ら二人をショパンの故郷、ポーランドにそっくりなこの世界、ポーラ公国に転移させたんだ!」


 その時、バンッと荒々しい音ともに、玄関扉が勢いよく開かれた。

 険しい顔の四人の男が、ぞろぞろと家の中に上がり込んでくる。立ち上がって警戒する伊織とロッティを取り囲むように、男達は部屋の四隅を陣取った。


 そして最後に入ってきたのは、身なりの良い中年女性。ゆっくりと優雅な所作で二人の前まで歩み寄ると、手にした扇で口元を隠し、値踏みするような視線を向けてくる。


「どこで何をしているのかと思えば……親戚の家で男と逢引きですか? ロッティ」


 のっけから敵意丸出しの集団に、伊織はジャケットから『革命』の音叉を取り出した――が、ロッティが横に手を伸ばし、それを制す。

 ロッティは、震える声で中年女性に問いかけた。


「どうしてここが……、お母様」

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