1-9 魔導士と共鳴士④

* 3 *


 母と呼ばれた女性は、語気を強める。


「あなたを匿う人なんて、変わり者のおば様くらいしかいません! 竜に怖気づき、役目を放棄し逃げ出すなんて……あなたは役立たずな愚か者ばかりか、代々村長を務めるクラクス家に、泥を塗ったのですよ!」

「ご……誤解です! あたしは逃げてない。洞窟で竜と戦って、追い出したの!」

「恥の上塗りだけでなく、嘘まで重ねるつもりですか!? あなたみたいに音叉共鳴レゾナンスもできない落ちこぼれ共鳴士が、竜に勝てるはずないでしょう!」


 頭ごなしに否定され、ロッティはうっすら涙を浮かべている。見るに見かねた伊織は、強い口調で彼女を庇った。


「あの、ロッティの言ってる事は本当です。僕の召還魔導サモンスタイルにロッティが音叉共鳴レゾナンスして、洞窟の竜を追い出しました。彼女はこの村の救世主なんですよ!」

「伊織……ありが――」

「あなた! どちら様なのかしら? 関係ない方は黙っててもらえるかしら!?」


 ロッティの言葉を遮って、クラクス夫人は大声で怒鳴り散らす。ムッとする感情を抑えつつ、伊織は簡単な自己紹介をした。


「僕は伊織と言います。ロッティと一緒に竜を追い出した、音叉魔導士です」


 軽く見られてはいけないと、自ら魔導士と名乗ってみる。

 しかし夫人は歯牙にもかけず、猛烈な勢いでまくしたててきた。


「追い出した? 退治したのではなく? それではまた、竜が報復しに村に来るかもしれないじゃないですか!」

「手痛い一撃を食らわせたので、その心配はないと思いますよ」

「ではもしこの村で再び竜害が発生したら、あなたはどう責任を取るつもりかしら? いーえ、そうなってからではもう遅すぎるのです! 村の長たるクラクス家は、あなたのような旅の魔導士と違って、あらゆるリスクを勘案し町を守らなければならないのです! 竜は執念深く知恵もついた魔物よ。弱い竜一匹で適わぬとなれば多くの仲間を引き連れて、再び村を襲ってもおかしくありません!」


 そういうものかとロッティに振り向くと、彼女はふるふると首を横に振り、身振り手振りを交えて反論する。


「そんな事あり得ません! 相手は強属性の炎竜だったし、竜は基本、単独行動しか――」

「お黙りなさい!」


 母の一喝に、再び声を失うロッティ。

 身体に染みついた条件反射か、言葉の代わりに涙が浮かび上がっていく。


「二年もヴァルソヴィア魔導学院で学ばせてもらって、覚えてきたのは盗みの手口と、男を騙す手練手管ですか? あなたは昔からそう。頭は悪い、楽器も弾けない、淑女たる配慮に欠ける。やる事なす事周りに迷惑をかけるばかりで、まるで成長がない」

「……」

「野山を駆け回るしか能のない田舎娘が、いくら魔導士になりたいと言っても、そんなの誰も本気にするわけがありません。大方今回も、そちらの魔導士さんのおかげでなんとかなったのでしょう? それを自分の手柄だと思いこむお調子者だから、いつまで経っても成長しないのです」

「そんな……」

「私は間違った事を言ってますか? 言いたい事があるなら、はっきり言ったらどうですか!?」

「そんな事、ないよっ! やっと音叉共鳴レゾナンスできる魔導士も見つかったし、伊織と一緒に魔導事務所を立ち上げて竜害対応していけば、あたしだって立派な魔導士になれる!」

「あら伊織さん。あなた、ロッティと魔導事務所を構えるおつもりで?」

「……」


 夫人の問いかけに、伊織は口をつぐんだ。その話は、今さっき妹探しのために断わろうとしていたところだ。

 沈黙を否定と受け止めたクラクス夫人は、これ見よがしに大きな溜息を吐いた。


「はぁ……だから言ったでしょう。あなたはやる事なす事、周りに迷惑をかけてしまうと。ごめんなさいね、伊織さん。本気になさらなくて結構ですよ。実はこの子の亡くなった母親が、魔導士だったんです。だから後妻の私にあてつけようと、自分も魔導士になりたいなんて言ってるだけなんです」

「あてつけなんかじゃない! あたしはママみたいな魔導士になりたいって、子供の頃からずっと思ってる!」

「あなたがどう思おうと、魔導士は一握りのエリートしかなれない狭き門。あなたはその門をくぐれなかった。ちゃんと現実を受け止めなさい」

「……それでも、努力していればいつか!」

「いつかの努力なんて、したって無駄よ。あなたに魔導士の才はない。もう答えは出てるのよ、ロッティ。いつまでも子供みたいに夢を追い続けるのではなく、ちゃんと足元の現実を見なさい。クラクスの家に生まれた者は、自分を育ててくれた村のためにその身を捧げる。あなたは、あなたの役目を全うしなさい」


 ロッティは倒れ込むように椅子に座り、頭を抱えた。細腕の奥に涙が伝う。

 打ちひしがれたロッティを見て、伊織は……手の怪我をした時の事を思い出していた。


* * *


 誰もが分かっている事なのに、最初は誰も何も言い出さない。


 手の怪我が治って初めてのレッスンは、散々だった。帰り際ピアノの先生は「無理せずゆっくり直していけばいいよ」と言ってくれた。


 一ヶ月が経ち二ヵ月が経つと、言葉は同じでも、次第に優しさが抜け落ちていく。

 怪我から三ヶ月経ったある日、先生はついに切り出した。


「一旦レッスンは中止にしましょう。まずはご自宅で弾けるようになってから来てください」


 僕は「わかりました」の返事とは裏腹に、荒々しく扉を閉めて出ていった。練習の成果も分からないなんて、もう二度と行くもんかと思った。

 母にその顛末を話すと「仕方ないわ」と冷静に受け止めていた。てっきり一緒に怒ってくれると思っていた僕は、ここで初めて気付かされた。


 僕は、破門されたのだと。


 それでも夢は諦められない。変わらず自宅でピアノに向かう僕に、母はついに切り出した。


「お願いだから、もうピアノは弾かないで。ちゃんと現実を受け止めて」


 僕はまたしても気付かされた。

 あれほど身なりに気を遣っていた母の、憔悴しきったみすぼらしい姿に。


 僕がピアノを弾く事自体、周りに迷惑をかけていた。

 先生のピアノレッスンは、いつも多くの音大志望生がコマを奪い合っている。満足に弾けない僕のために割くコマは、他人の迷惑でしかなかった。

 物心つく前からピアノに触れさせて、その道だけを示してきた母は、息子のクソみたいな演奏を毎日聴かされてノイローゼ気味になっていた。


 周りに迷惑をかけ、親にも悲しい思いをさせて。

 それでも夢を追い続ける事が許されるのか。このまま突き進んでいいのか。


 いくら時間をかけても、いくら努力しても報われない。

 僕自身、ピアニストで食っていけるなんてとてもじゃないけど言い切れない。

 それなのに――。


 僕はピアノを弾くのをやめた。

 けれど。

 それでも。


* * *


 ポーンと、聞き慣れた単音が部屋に響く。その音に驚き、ロッティは顔を上げた。

 涙で濡れた淡褐色ヘーゼルの瞳に、炎の中で音叉を掲げる東方の旅人エトランゼが映っている。

 その目を見て、僕は確信した。


「それでも僕は、夢を諦めない」


 あの日言えなかった想いを君に伝えるために、僕はこの世界にやって来たんだって。

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