1-10 魔導士と共鳴士⑤

 ショパン『革命』のエチュードが響く中、覚えたばかりの召喚魔導サモンスタイルほむらに舞う。


「音を導き閉じこめられし魔導の音叉よ、御身が主の調べをしばし解き放て」


 冒頭、螺旋階段を転げ落ちていく、深き絶望のアルべジオ。


「来たれ魔導士、イオリ・タレイシの名と身において」


 不穏な暗転、のたうつ低音。

 苦しみもがき放たれた右手の炎は、目の覚めるような高音和音。


「演じよショパン、ピアノ練習曲エチュードハ短調Op.10-12……かき鳴らしたピアノに『革命』の炎を纏いて――」


 現れたショパンの幻影に怯えて、尻餅を付くクラクス夫人。継母のけたたましい悲鳴に、娘は振り返りもしない。


 頬炙る熱風が、胸に響く旋律が、少女の心の音叉を熱く滾らせていた。


「今こそ、這い上がれ!」


 詠唱の終結に、渦巻く火炎が一気に膨れ広がった。術者を中心にとぐろを巻く炎は、部屋の四隅を脅かす。

 恐怖にかられた男達は、我先にと部屋から逃げだしていく。


「なっ……なんてことするの!? こんな家の中で!」


 抗議の声を上げるクラクス夫人を、伊織は見下ろし一喝する。


「人の夢を、馬鹿にするな!」


 悲鳴と旋律、炎と熱風が繚乱する中、伊織はロッティに振り返り音叉を差し出した。ロッティは自らの震える肩を抱いたまま、手を伸ばしてはくれない。


「受け取って、ロッティ」

「……でも」


 ロッティは肩越しに継母の様子を窺った。瞳に迷いの色を滲ませて、再度伊織を見上げる。


「ロッティの夢は、魔導士になる事だろう?」


 頷くロッティに、伊織は優しく声をかける。


「夢を追いかけるってのはさ、現実を見ない事なんかじゃない。むしろ逆だ」

「……逆?」

「厳しい結果に打ちのめされて、周りからバカにされて、下手くそな自分に嫌気がさして……そんな現実を受け止め立ち上がる。現実に抗って革命を起こす。それが夢を叶えるって事だ」


 ロッティは力なく首を振る。


「無理だよ……あたし、そんな凄い人じゃない」

「周りが無理って言うから、自分でも無理だと思ってる?」

「……うん」

「安心してロッティ。歴史が証明してくれている」

「……?」

「いつだって革命は少数派が成し遂げる。皆が無理って言えば言うほど、君は夢に近付いているんだ」


 淡褐色ヘーゼルの瞳に煌めきが戻ってくる。差し出された『革命』の音叉に、ためらいがちの白い手が伸びていく。


「伊織はあたしの夢、信じてくれる? あたしの革命、手伝ってくれるの?」


 震え声のロッティに、伊織は力強く頷いた。


「ああ、信じてる。二人で世界に、革命を起こそう」


 泣きながら笑ったロッティは、『革命』の音叉を受け取った。

 すぐに音叉共鳴レゾナンスが発動し、赤壁のオーラが彼女を包み込む。


 ロッティは涙を拭うと、表情を引き締め直した。


 昨夜同様、炎のアマゾネスとなったロッティは、腰砕けの継母の前に立ちはだかる。炎纏う音叉を逆手に持ちかえ、家畜に焼き鏝を見せつける屠殺人の如く、無感情に見下ろした。


「ロ……ロッティ……あなた、何をする気なの……」

「どうもしないわ、お母様。あたしはあなたなんかに、構ってる暇はないの」


 ロッティの目尻から、涙の雫が飛翔する。熱風に煽られ次々飛び立つ水滴は、渦巻く炎が一瞬で蒸発させていく。


「お母様の数々の暴言、この音叉を貰い受ける事で全てチャラにする。そして二度と、あたしに関わらないで。あたしも二度と、この村には戻らない」

「ロッティ……」

「これからは誰に何を言われようとも、あたしの事はあたしが決める」


 言葉を失う継母の横を、ロッティは無視して通り過ぎていく。今生の別れに、一顧だにせず。

 伊織は慌ててその後を追いかけるが、クラクス夫人は足を掴んで引き止めた。

 冷然と見下ろす伊織に、夫人は縋るような顔を向ける。


「あの……どうか、娘を……」


 熱風と『革命』のピアノで、それ以上夫人の声は伊織の耳には届かなかった。それでも伊織は、小さく頷いてみせる。

 そのまま夫人を振り払い、ロッティを追って家を出て行った。


* * *


「これで見納めね」


 乗合馬車オムニバスの荷台から遠ざかる故郷を見送ると、ロッティは誰とはなしに呟いた。


「ちょっとやり過ぎちゃったかなって、思ってる?」

「えーっ! 伊織がそれ言う!?」


 ロッティは目を丸くして驚くと、どこか申し訳なさそうに笑った。


「おば様の家を危うく火事にしちゃうくらい、あたしの事けしかけておいて……その言い草はないんじゃないの?」

「ちゃんと炎の範囲は制御してたけど……ごめんよおば様、よろしくねロッティ」

「こちらこそよろしく! ……って伊織の事、先生って呼んだ方がいい?」

「勘弁してくれ。さっきも言ったけど、僕は魔導士の先生にはなれないよ。ただショパンの生い立ちや楽曲について、知ってる事を教えるだけだ。逆にショパン以外は、こっちが教えてほしい事ばかりなんだから」

「あはは、それもそうね。あたし達、パートナーになったんだし!」


 屈託なく笑うロッティは、人差し指を立て伊織に向けた。


「伊織はあたしにショパンを教える。ヴァルソヴィアで一緒に魔導事務所を立ち上げて、竜害対応の仕事をこなしながらね」


 今度はその指を自分の頬にぷすっと指して、にへらっと相好を崩す。


「代わりにあたしは妹ちゃん探しと、二人が故郷に戻るための音叉探しを手伝う。これぞフィフティ・フィフティ。完璧に対等な、パートナーの関係よね!」

「そんなに上手くいくのかなあ」

「だーいじょーぶだって! なんてったってヴァルソヴィアは、ポーラ随一の領邦国家。ヴァルソヴィア魔導学院は、音叉魔導の総本山よ。世界中の人と音叉が、ヴァルソヴィアに集まってくるんだから!」

「事務所開設の許可証も、その学院に発行してもらわなきゃならないんだろう?」

「そ。簡単な試験はあるみたいだけど、あたしと伊織ならヨユーヨユー」

「やっぱわざわざ魔導事務所なんて、開かなくてもいいんじゃないか? ショパンを教えるくらいならすぐできるし、もっと人探しに専念したいっていうか……」

「探すったって、お金も人脈も心当たりもないんだから、探しようがないでしょう? 夢を叶えたいなら現実を知って、対策を考えなくっちゃ」

「魔導事務所立ち上げが、人探しの対策になるのか?」

「ヴァルソヴィアにやって来た新進気鋭の魔導士が、片っ端から竜害を解決していけば、お金も情報も向こうから転がりこんでくるって寸法よ。なんてったって伊織は、ポーラでは珍しい黒髪黒目の東方の旅人エトランゼ。有名になればその噂は、同じ黒髪黒目の妹ちゃんの耳にも届くはず」

「……やっぱり、そんなに上手く行くのかなあ」

「それは伊織とあたし次第! 何事も、やってみなくちゃ始まらなーいっ!」


 幌のない吹き抜けの乗合馬車オムニバスは、のどかな田舎道をのろのろ走っていく。

 穏やかな田園風景を見送りながら、伊織はふと口走った。


「旅をしない音楽家は不幸だ」

「なぁに、それ?」

「モーツァルトの言葉だよ」

「だから、誰よそれ」


 怪訝な顔で覗きこんでくるロッティに、伊織は「なんでもない」と苦笑混じりに答えた。

 そのまま荷台の壁に背を預け、風が運んだ土草の匂いに、湧き上がる高揚感を噛みしめる。


 ピアノの練習ができないという理由だけで、修学旅行にすら行った事がない自分は、不幸な音楽家だったのかもしれない。だから怪我をして、ピアノが弾けなくなってしまった。

 そんな僕でもひとたび異世界に旅立てば、再びショパンが弾けてしまう。

 すごいよモーツァルト、あなたの言った事は本当だ。


 この先だってきっと、偉大な音楽家が音叉となって僕らを待っている。

 バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン。

 音叉さえ見つけてしまえば、再び彼らの楽曲を弾く日がくるかもしれない。


 旅を知らない音楽家は、今再び旅に出た。

 それは、不幸から逃げ出したわけじゃない。

 今ある不幸を未来の幸運に変えていく。そう、これは夢を叶える旅なんだ。

 隣でやいのやいのとやかましく、皮算用を立ててる相棒と共に。


 馬車はでこぼこ道をひた走る。少々の石も蹴飛ばして、周る車輪も勇ましく。

 ロッティは突然歌いだした。ポーラの古い民謡だろうか。旅情を掻き立てられる、朴訥としたメロディライン。


 馬車に乗り合わせた客は皆、ロッティの声に聞き入っている。その内の一人がヴァイオリンを取り出すと、歌声アカペラに伴奏を付け始めた。それを合図に他の乗客も一斉に歌いだす。


 異国の歌の合唱に、伊織だけが歌えない。でも寂しいとは思わなかった。

 こういう時、いつも歌う方ではなかったから。

 ヴァイオリニストの見事な爪弾きピッチカート奏法を眺めつつ、伊織はポツリと呟いた。


「やっぱりピアノが、弾きたいな」




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ロッティのアカペラは、下記、ポーランドの伝統的牧歌をイメージしています。


Laboratorium Pieśni - Koło mego ogródecka (コォウォ・メゴ・オグゥルデツカ)

https://www.youtube.com/watch?v=h4b4NfLZmxo


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