4-9 それぞれの選択⑤

「千里!」

「来たれ魔導士ベルンハルト・ヒップの名と身において」


 伊織達が千里に駆け寄る。

 その間に教授の背中からマーラーがむくりと起き上がると、背後の交響楽団に指揮棒を振るう。

 冒頭の旋律を聴いた伊織は、嫌な予感がした。


 教授の研究室に飾ってあったマーラーの魔音叉は、全部で六本。

 これまでの五本は――第一『巨人』、第二『復活』、第五『アダージェット』、第六『悲劇的』、第八『千人の交響曲』。

 これら音叉に、ブリヴェットを生成する楽曲の加護ムジカブレスはなかった……という事は!?


「詠唱をやめろ! 千里が苦しんでる‼」


 悲痛の叫びも、交響楽団の演奏にあっさり飲み込まれてしまう。

 伊織はこの曲を初めて聴いた時の、衝撃を思い出した。


 交響曲なのに、全編に渡りアルト独唱とオーケストラ伴奏で押し切る楽曲構成。

 第一から第五まで三十分で進むのに、第六楽章だけで三十分も演奏する歪な楽章構成。

 東洋の漢詩を編纂へんさんし、彼岸の美と生死を主題にした、欧州音楽では考えられない楽想構成。

 全てが特異で、アンバランスで、普通ではあり得ない交響曲。

 だからこそ三又の音叉ブリヴェットを想起させる、マーラー交響曲九番目の最高傑作。


「演じよグスタフ・マーラー、『大地の歌』第六楽章・告別を! 土に還る厭世的ペシミスティックな歌と美の旋律。安らかに死に絶えるその日を数え、朽ちて永遠となるために!」


 作曲当時、マーラーは五歳の長女を亡くし、自らも心臓病を患っていたという。

 身近に漂う死の香りから『第九のジンクス』――交響曲第九番を完成させた音楽家は、必ず死を迎える――を恐れ、あえてナンバリングせず命名したと言われる曲。

 その『大地の歌』最終第六楽章・告別が、天才グスタフ・マーラー本人の指揮によって、奏でられていく!


 さっきまで苦しんでいた千里は急に立ち上がり、『大地の歌』の一節を歌い始めた。

 それと同時にヒップ教授から音叉を受け取ると、音叉共鳴レゾナンスが彼女の足元を包み込む。

 『大地の歌』のオーラは、絨毯のように地面を広がっていく紅葉筵もみじむしろ……黄褐色の落ち葉で覆われた道に立つ千里は、敵愾心てきがいしんに満ちた目を向ける。


「千里、やめろ……僕達が戦う必要なんてないだろ!」

「千里ちゃん!」

「……うるさいっ!」


 千里は音叉を投げつけた。

 咄嗟に手で受け止めたロッティだったが、そのままへなへなとしゃがみこんでしまう。


「!? どうした、ロッティ!」

「これっ、脚が……力を、吸い取られて……」


 ロッティは音叉を捨てた。

 枯れ葉のオーラに埋もれたそれは……三又の音叉ブリヴェット。

 ヒップ教授は大声で笑いだす。


「ふはははっ! 『大地の歌』の楽曲の加護ムジカブレスはブリヴェットを創り出す! 触れば心の音叉はカサカサに干乾び、枯れ葉となって落ちるのみ。こんな具合にね!」


 千里が両手で弧を描くと、その軌跡に何本ものブリヴェットが生成されていく。

 指を鳴らすと数えきれないほどの三又音叉が、ティア目掛けて飛んでいった。

 長尺音叉で次々と打ち落とすも、最後の一本が小さな頬を掠める。それだけでティアの身体は大きくよろめいて、枯れ葉の地面に片膝を付いた。


「ティア! 大丈夫か!?」


 音叉を支えになんとか倒れなかったティアは、駆け寄った伊織の胸元へ。ぐったりとその身を預ける。


「これは……私の知ってるブリヴェットとは違います。おそらく、千里さんの心の音叉と共鳴したブリヴェット……その複製です。心の音叉と共鳴する事でうなりが生じ、落ち葉のオーラに力が吸いとられるのだと……」


 話してる間も、三又音叉は絶え間なく飛んでくる。

 ヴァンダが前に立ちはだかり、『愛の夢』の音叉で伊織達を守った。


「止めなさい! 伊織はあなたの、大切な家族でしょう!?」


 ヴァンダが必死に呼び掛けるも、千里は黙殺。攻撃の手を一切緩めない。


「私の事は心配いりません。それよりヴァンダと……『愛の夢』の楽曲の加護ムジカブレスなら」

「分かった。でもヴァンダも今は手一杯で、音叉に触れようが……うわわっ!」


 竜姫の背中を見上げていた伊織に、赤黒い鱗の尻尾が絡みつく。

 ヴァンダは尻尾だけで伊織を持ち上げると、音叉に手が届く範囲まで引き寄せた。


「今のうちに伊織、早く!」

「わわっ……音を導き閉じこめられし魔導の音叉よ、御身が主の調べをしばし解き放て!」


 ヴァンダの音叉にタッチしながら、伊織は召喚魔導サモンスタイルを唱えた。

 すぐに幻影リストが現れる。


「よし! このまま飛びこんで、千里のブリヴェットを壊せ!」


 橙色のオーラを纏ったヴァンダは、超低空飛行で飛び出した。

 乱れ飛ぶブリヴェットが身体を掠めるも、落ち葉のオーラに触れてないせいかその勢いは止まらない。一気に間合いを詰め、千里の胸に『愛の夢』の音叉を突き立てる。グシャッと、何かが潰れた音がした。


「……ヴァンダ?」


 伊織は見た。互いの胸に音叉を当てがう、千里とヴァンダを。

 いや……音叉を当てているのはヴァンダだけで、千里の音叉は、ビキニの谷間に深々と突き刺さっていた。

 血飛沫が宙を舞い、ヴァンダは仰向けに倒れた。同時に幻影リストが立ち消える。


「ヴァンダっ!?」

「『大地の歌』の古代魔導レガシーオーダーは毒属性。いかにヒト型竜族といえど致命傷は免れまい。まさに告別の名に相応しい……」


 満悦の笑みを見せるヒップ教授を無視し、伊織はヴァンダに駆け寄った。

 肩を抱いて立ち上がらせようとするも、ビキニの谷間からどくどくと赤黒い血が噴き出てしまう。

 『愛の夢』の古代魔導レガシーオーダーで止血を試みるも、ヴァンダの顔色はどんどん青冷めていく。


「しっかりしろヴァンダ。返事してくれ」

「私、よりも……千里のブリヴェットは……」


 後ろを振り返ると、正気を取り戻した千里がヒップ教授に詰め寄っていた。


「どうして私の意識を奪ったの!? 話が違うじゃない!」

「家族相手では手心も加わるでしょう。世界に平和を取り戻したいのであれば……」

「とにかく! あの竜の子を『復活』の音叉で助けてあげて。もし死んでしまったら、それこそ取り返しのつかない事態に――」

「千里様、アレはれっきとした竜です。全ての竜を駆逐すると言ったのは、あなたですよ」

「でも! ……彼女は共鳴士よ。私達と同じ、音叉魔導の道を歩む仲間じゃない!」


 押し問答を続ける千里に、伊織は大声で叫んだ。


「千里! 僕はショパンもパガニーニも、リストだって喚び出せる。きっとマーラーも!」


 一瞬後ろを振り返った千里は、音叉を構えて教授を睨みつけた。

 次の瞬間二人の間に火柱が立ち昇り、千里は後ろに飛び退く。


 炎の壁越しに笑うヒップ教授は、右手に持った音叉――マーラー交響曲第六番『悲劇的』を見せつける。


「残念ですよ、千里様。十年お傍にお仕えし、協力を惜しまなかった私より、再会したばかりの不仲な兄を信じてしまうなんて」

「……あなたはあなたで、私の知識が必要だっただけじゃない」

「そうです。私とあなたは互いに利する関係。でなければ、ヒトは信頼できません」

「私はそう思わない」


 薄ら笑いのヒップ教授に、千里は堂々啖呵を切る。


「一生モノの怪我させて、それが元で無視されて……。今は最悪な関係でも、いつか仲直りできるって信じてる。お互いそう思ってるって信じてる。それが家族ってものでしょう!?」

「よく分かりました、千里様。私達の協力関係も、どうやらここまでのようですね」


 教授は足元に落ちてたブリヴェットを拾った。

 立ち上がったその顔に、笑みと呼ばれる一切が消え失せる。


東洋の旅人エトランゼのくせに魔導士にもなれない役立たずが。兄妹仲良くここで朽ち果てるといい!」

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