4-8 それぞれの選択④

 手の甲で涙を拭うと、千里はネックレストップの音叉を手に取った。


「私は何度か日本に戻ってる。ヒップ教授のブリヴェット手術を受けて、魔導共鳴士としてショパン『別れの曲』の楽曲の加護ムジカブレスを使って」

「ええっ!? じゃあどうしてポーラに戻って――」

「何度戻っても、私達の世界は、竜が蔓延はびこる最悪の世界線になってるの」

「竜? 僕らの世界に!?」

「突然ポーランドに現れた竜の大群は、ヨーロッパだけじゃなく全世界に侵略を開始した。もちろん日本も例外じゃない。皆いつ襲ってくるかも分からない竜に、怯えて暮らしているのよ」

「そんなわけ……僕らの世界の技術なら、竜が来たって対処できただろう!?」


 千里はこくりと頷いた。


「十分な軍事力を持つ大国であれば防衛できたけど……竜の目的は自然豊かな森。発展途上国のほとんどは、自国の森を竜に明け渡した。焼き払うわけにもいかないし、竜害根絶の見通しは全く立ってない。そもそもなぜ世界に竜が現れたのか、その原因すら分かってない。でもポーラと現世を行き来した私には、その理由がはっきりと分かった」


 千里は自らの胸に手を置き、続く視線で伊織を指し示す。


「私か、お兄ちゃん。どちらかが、ここポーラで何らかの影響を及ぼしてしまったから」

「自分だって帰れないのに、竜の大群を世界に送りこむなんて、僕がするわけないだろう!?」

「お兄ちゃんが進んでそんな事するとは、私も思ってない。でもポーラでのお兄ちゃんの言動が、知らず知らずそうさせてしまった可能性は否めない」

「だから僕は、ついこの前来たばかりだって!」

「『別れの曲』による転移は、時間という概念さえ飛び越えてしまう。妹の私がお兄ちゃんの年齢を飛び越してしまったように、お兄ちゃんがこれからやろうとする事が、巡り巡って私たちの世界にどう影響するか……それは誰にも分からない」

「だからって、全ての竜を駆逐するなんて……」

「十年よ」


 二十五になった妹は、二つの世界を見据えてきたその眼で、伊織を見つめる。


「この十年……私がどれだけの事を試して世界を救おうとしたか、分かる? 大陸ズヴァトビートのどこまで旅してお兄ちゃんを探したか、知ってる? 全ては徒労で、戻るたび絶望を味わって……『別れの曲』の音叉だって、あと一回しか使えないほど魔耗して」


 千里の経験した旅を、伊織がきちんと理解できたかは分からない。

 それでも十年、孤独で無益な旅をしてきた千里の想いは、察するに余りある。


「どうしてポーラは、ポーランドと名前が似てるの? 私達が当たり前に知ってる音楽家は全然知られていないのに、どうしてショパンやマーラーの音叉があるの? お父さんはどこで『別れの曲』の音叉を手に入れ、どうして私達に送ってきたの?」

「……」

「十年調べても謎は謎のまま。それでも断言できるのは、ポーラと私たちの世界には相関があるって事。この世界に大きな変化があれば、それが私達の世界に影響を及ぼす事は間違いない」

「だから人竜戦争を起こしてポーラの竜を駆逐すれば、僕らの世界に竜がいなくなると……」

「それ以外の方法は全て試した。あと一回しか元の世界に戻れないなら、最後の手段に打って出るしかない」

「ふざけないで!」


 珍しくロッティが声を荒げ、兄妹の間に割って入る。


「あなたの世界がどう大変かは知らないけど、だからってポーラで戦争を引き起こそうって言うの? その結果、たくさんのヒトが犠牲になっても構わないってわけ!?」

「大丈夫。この世界には魔音叉があるわ。現に今回も、竜の大群相手にヴァルソヴィア魔導学院の生徒は立派に戦った」

「それは竜が正気じゃなく、興奮状態だったからよ! 人竜の原則は共存不干渉。ヒトがその掟を破るなら、竜だって本気になって攻めてくる。思慮と覚悟を持った竜相手に全面戦争を仕掛けたって、駆逐なんてできるわけない! 終わらない戦争が日常になるだけよ」

「共存不干渉のモラトリアムに、いつまでも浸っているからよ。あなたも音叉魔導の使い手なら、ヒトのために竜と戦いなさい。竜族は獰猛で狡猾な怪物よ。私が危機を煽らなくても、人竜戦争は必ず起きる。そのどちらかが絶滅するまで、ね」


「それは…………違うと思う」


 伊織の思考のモニタに、今まで戦ってきた竜が次々と映し出されていく。

 全ての竜は属性の違いだけじゃなく、性格と呼べるものがあったような気がした。


「竜は怪物なんかじゃない。道理も引き際もきちんと弁えている。それに竜族には、ヒト型の竜姫ヴァンダもいる。彼女を通して人竜が話し合えば、共存共栄の道だってひらけるはずだ。竜とヒトが仲良くなれば、僕たちの世界で竜が暴れる事もない」

「……さっきの話、忘れたの? そうやってお兄ちゃんが共存を目指した結果、歴史が変わって世界に竜害が発生してるかもしれないんだよ?」

「千里は極端すぎる。ヒトと竜が互いに歩み寄れば、竜害はなくならずとも少なくなるはずだ」


 千里はわずかに眉を跳ね上げ、年下の兄を睨みつけた。


「私には歩み寄らなかったくせに……どうしてお兄ちゃんは竜を庇うの? 妹の言う事は聞かないくせに、どうして竜の言う事は信じるの!?」


 千里が怒鳴った瞬間、建物に大きな衝撃が加わり窓ガラスが一斉に砕け散った。

 立っていられないほどの振動と、ガラスの破片が部屋を襲う。

 腕で目をガードしながらベランダを見ると、大きな黒竜が外から部屋を覗いていた。

 黒竜は窓枠に鼻先を突っ込み、強引に頭を部屋の中に入れてくる。

 大量の涎で絨毯に染みを作り、突風のような鼻息で書類を吹き飛ばす。

 飛び退いた一同を血走った目で見回すと、千里を見た瞬間身も竦むような咆哮を上げた。


「伊織!」

「お兄さん!」


 荒ぶる竜の首後ろから、聞き覚えのある声が聞こえた。ヴァンダとティアだ。

 よく見ると黒竜は、ヴァンダの弟ダボーグだった。


「ダボーグがおかしいの! やっと正気に戻ったのに、またどこかのブリヴェットに……」


 必死に『愛の夢』の音叉で宥めているヴァンダだが、興奮しきっているダボーグにそこまでの効き目は見られない。

 ダボーグは遠くの千里に狙いを定め噛みつくも、軽くバックステップで回避される。


「千里……お前まさか、胸のブリヴェットで竜を引き寄せたのか!?」


 千里は黙って背中を向けた。そのままヒップ教授と連れ立って、隠し通路の奥へと逃げていく。

 伊織達が追う前にダボーグが頭からツッコみ、通路の入口が塞がれてしまう。


「竜を乱入させて、どさくさ紛れに逃げるつもりだったのか……」


 千里が遠ざかっていったからか、ようやくダボーグは落ち着きを取り戻してきた。


「どうするの伊織。このままじゃ千里ちゃんと一緒に、ヒップ教授にも逃げられちゃう!」

「ティア! この通路がどこに繋がっているか、分かるか?」


 ティアは一瞬口ごもるも、早口で答えた。


「この先は……教授の実験室になっています。さらに奥には外に出る裏口があって、恐らくそこから逃げる気だと思います」

「みんな! ダボーグが背中に乗れって! ブリヴェットの位置なら何となく分かるって!」


 ヴァンダは先にダボーグの背に乗り、身を屈めて伊織たちを手招きしている。

 全員がベランダに出て黒竜の背中に乗ると、伊織は鼻息荒く隣のロッティに振り返った。


「これって……念願のドラゴンライダー!」

「はいはい。こんな時だけど良かったね」


 感激する伊織に、呆れ顔でツッコミを入れるロッティ。

 ダボーグは翼を広げると、半壊したベランダを蹴落として教授の部屋から飛び立った。


* 2 *


 空飛ぶダボーグの背中から、伊織は恐る恐るヴァルソヴィアの町を見下ろした。


 やはり竜害は町にも及んでいた。倒壊した建物が散見され、火の手が上がったままの施設もいくつかあった。しかし戦闘自体は終結し、今はヒトも竜も仲間の救助に追われている。

 学院で助けた女学生が、ヒップ教授のブリヴェットによる人為的竜害だった事を周知してくれたおかげだろう。多くの魔導学院生が町を駆けずり回り、装飾に紛れこんだブリヴェットを回収している。

 ビスワ川のほとりではキャンプが張られ、人竜は拠点の水場を共有し、救護活動にあたっていた。


 救護キャンプの上空を飛び越えたダボーグは、町が一望できるグノイナの丘に降り立った。

 そこには二人の先客――千里とヒップ教授が、町の様子を見守っていた。


「これだけの竜害が起きたというのに、小競り合い程度で終わってしまいましたな。原因がブリヴェットだと、早々に広まってしまった事が誤算でした」

「結論を出すのはまだ早いわ。ヴァルソヴィアだけでなく、各地で大規模竜害が起きれば……」

「千里!」


 物騒な話をする二人に、伊織達四人が駆け寄った。また正気を失わせるわけにもいかないため、ダボーグは救護キャンプへと飛び去った。


「どこでやったって無駄だ。ブリヴェットは人竜戦争を引き起こすきっかけにならない。見ろ!」


 伊織はビスワ川のほとりを指さした。

 怪我人を口に咥えて運ぶ竜と、傷ついた竜を音叉の力で癒す共鳴士。

 人竜は互いに協力し、救助活動を進めていた。


「竜を駆逐するよりも、人竜の隔たりを失くす事……共存不干渉のルールを変えていく事こそが、世界を救う方法だと思わないか?」

「共存不干渉の原則は根深い。今はそうでも、人竜が共存する未来は来ないわ」

「そんな事ない!」


 ヴァンダは声を張り、一歩前に歩み出る。


「私は竜の家族と暮らし、ヒトのお婆に育てられた。半人半竜の私自身が、人竜共存の証拠になる。古いしきたりを捨て、新しい人竜関係を構築する。それが私の使命だと信じている」


 次にティアが、長尺音叉を肩に担いで前に出る。


「私もあなたと同じ、胸にブリヴェットを仕込まれた魔導共鳴士でした。でも今は伊織と音叉共鳴レゾナンスする共鳴士として、生まれ変わる事ができました。ヒトは変われる――志を共にする仲間がいれば運命だって、共存不干渉の原則だって、変える事ができるはずです」


 最後に、二人に負けじとロッティが躍り出て、笑顔で千里に手を伸ばす。


「伊織は約束を守ってあたしを魔導士にしてくれた。次はあたしの番! あたしがした約束はね、千里ちゃんを探して元の世界に戻してあげる事だったの! 約束守らせてよ、千里ちゃん! ついでに、この世界も千里ちゃんの世界もまるっと救って、一緒にハッピーエンド目指そうよ!」


 三人の共鳴士を前に、千里は初めて困惑の顔を見せた。

 十年間一人で頑張ってきた千里に、初めて訪れた転機チャンス

 それは兄であり兄の仲間であり、有事に結束を見せたヴァルソヴィアのヒトと竜。

 知識と引き換えに協力してるはずのヒップ教授とは、根本的に違う。


 十年かけて解けなかった難題も、仲間と一緒なら解決できるかもしれない。

 千里が一歩を踏み出そうとした、その時。


「音を導き閉じこめられし魔導の音叉よ、御身が主の調べをしばし解き放て」

「あああっ!」


 グノイナの丘にテノールの詠唱が響き、千里は胸を押さえてしゃがみこんだ。

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