2-7 蒸気と竜と、新たな魔導③

 伊織の背中から、再びショパンが現れた。意識を持っていかれそうになるところを必死に堪え、ロッティに音叉を投げ渡す。

 幻影ショパンは幻の鍵盤に両手をかざすと、伊織と一緒に『幻想即興曲』を弾き始めた。

 ティアが指摘したように、『革命』と『幻想即興曲』は曲想が似ている。

 どちらも序盤から、激しい速弾きで情熱的な旋律を奏でていくが、そのテーマは大きく異なる。


 『革命』が外的要因とすれば、『幻想』は内的要因。

 『現実』に抗うのが『革命』とすれば、『現存』に反するのが『幻想』。


 流れるような速弾きのメロディも、『革命』では激しい戦闘や心の抑揚をイメージするが、それが『幻想即興曲』になると疾走感や新世界に置き換わる。

 スピードに乗って幻のトンネルを潜り抜けた先に、この世ならざる幻想の世界が広がっている……。


 だから、なのだろうか。


 音叉を受け取ると、ロッティは音叉共鳴レゾナンスを果たした。

 無色透明のオーラに包まれたロッティの周りに、濃い霧が立ち込めていく。


「あれは……楽曲の加護ムジカブレス!?」


 驚くティアの声を聞き、伊織はロッティのセリフを思い出した。


音叉共鳴レゾナンスは、共鳴士の火力アップと属性オーラのバリアが基本なんだけど、他にも楽曲にちなんだ特殊能力が備わる事があるの。それが楽曲の加護ムジカブレス


 『幻想即興曲』の楽曲の加護ムジカブレス……それは霧がかった新世界。

 凛と立つ金髪少女を、白霧がたちまち陰伏いんぷくする。

 困惑する二匹の前に再びロッティが現れると、すかさず水竜はウォータージェットブレスを放った。

 ブレスはロッティの身体を突き抜け、幻影少女は霞となって霧散する。


 戸惑う竜をからかうように、一人、また一人と、新たなロッティが現れる。濃霧がもたらす蜃気楼が、新世界の住人ロッティを、ゆらゆら、わらわら、映し出していく。

 岩竜は手あたり次第に攻撃を繰り出すが、幻影は消えては現れを繰り返すだけ。やけくそ気味に噛みついた一人が立ち消えると、岩竜の腹に衝撃が波打った。


「そりゃそりゃそりゃそりゃっ!」


 いつの間に接近していたロッティは、岩竜のどてっ腹に無属性古代魔導レガシーオーダーを連射した。

 超近接から繰り出される連続攻撃に、タフな岩竜も苦悶の声を上げ、地響きと共に倒れこんだ。


「ロッティが……岩竜からダウンを奪うなんて」


 ようやく回復してきたティアは、ロッティの戦いぶりに驚嘆している。

 まるで自分が褒められたように嬉しくなり、伊織とショパンの演奏にも熱がこもっていく。


 その時だった。岩竜はうつ伏せのまま大きく息を吸い込んだ。

 轟音と共に勢いよく口から吐きだされたのは……建造物の残骸。その後も岩、土砂、瓦礫とゴミの山が続く。

 その様は竜の息吹ブレスと言うより、怪物の嘔吐。辺りはあっという間に、屑物くずものの吐しゃ物で埋め尽くされた。


「あれはなんだ……ブレスじゃないのか?」


 伊織の疑問に、教授見習いのティアもすぐに答えを返せない。


「あれはブレスではない……はずです。岩竜は大食漢ですから。ああやって大量の岩や土砂、瓦礫をお腹に溜めて、空腹を紛らわす習性があります。でもそれを吐きだすなんて……」

「腹を殴られて、ゲロを撒き散らしてるってだけ?」

「そんなヒトみたいな事……まさかっ!?」


 さっと青ざめたティアが、天を仰ぐ。釣られて見上げた伊織の瞳に、今まさにブレスを吐き出す瞬間の、のけ反る水竜が映し出された。


 今度のブレスは、細い斜線のウォータージェットではない。

 広範囲に降り注ぐ、土砂降りのようなスコール。

 バケツをひっくり返したような豪雨が辺りを襲う。

 雨は汚泥を巻き込んで、濁流となり広範囲に広がっていく。


 瓦礫を巻き込んだ土石流が迫ると、ロッティは崖上目掛けてジャンプした。その時を待っていたかのように、岩竜もジャンプする。

 空中でくるっと回転すると、飛び上がった幻影ロッティ全員を巻き込むように、太い尻尾が真横に薙ぎ払われた。

 同じ高さで飛ぶ幻影全てを蹴散らして、竜の尻尾がロッティ本体を直撃する。


「ロッティ!」


 再びパガニーニの「ラ・カンパネラ」が鳴り響くと、復活したティアが飛び出していく。

 濁流に落ちる寸前のロッティをキャッチすると、ティアは小高い崖の上に退避した。


 竜は単独行動を好む――この二匹は、ロッティやティアから聞かされていた話と明らかに違う。

 岩竜と水竜は互いの長所を生かし、連携して戦っているようにしか見えなかった。


 上空の水竜は崖上の二人に狙いを絞り、再びウォータージェットブレスを放った。無属性オーラが光って直撃を避けているようだが、ダメージを負ったロッティのオーラがいつまで持つか……かといってティアが雷オーラを展開すれば、また感電してしまう。

 崖上から逃げようにも、地上は濁流まみれで足場なし。おまけに岩竜がゆっくり崖を登ってきている。


「畜生、どうすりゃいいってんだ!」


 ――教えてやろうか。


 伊織の悪態に、悪魔のような低い声が返ってきた。

 慌てて後ろを振り返ると、ヴァイオリンを弾くパガニーニが、真っすぐ伊織を見つめていた。

 いや違う……パガニーニは、隣のショパンに話しかけている!?


 ――音楽を楽しめばいいんだよ、ショパン。俺とお前で。


 楽しむ? 困惑する伊織の口が開くと――、


「そうだね。僕もいい加減、飽きてきたところなんだ」


 自分の意思とは関係なく、勝手に言葉を喋ってしまう。


「ちょっと待て! 幻影同士が会話するなんて、そんなの……!」


 予想もしない事態に焦る伊織。追い打ちをかけるように、ショパンは『幻想即興曲』の演奏を止めた。当然ロッティのバリアが霧散する。多少の目くらましとなっていた蜃気楼も、瞬く間に消え失せてしまう。


「伊織っ!? 弾き続けてーっ!」


 ロッティの叫び声が聞こえる。しかし伊織の身体は、金縛りにあったようにぴくりとも動かない。

 空の水竜がニヤリと笑ったかのように見えると、大きく息を吸い込んだ。


 幻影の謀反、オーラの消失……絶対絶命のこの状況、一体何をどう楽しめってんだ!?

 混乱する頭の中、またしても唐突に思考のモニタの電源が入る。

 画面では、自宅のグランドピアノに向かって座る伊織の姿が、高速再生されていた。

 窓外の景色は移ろいゆくが、画面の絵面は全く同じ。何倍速であろうとも、伊織はいつも同じ場所に座り、いつもピアノを弾いている。


 ああ、そうか……これが走馬灯ってやつか。

 この代り映えしない絵面こそ、僕の人生。

 ピアノと過ごす九十九パーセントの時間は、大体こんな感じだった。


 ハノン、ツェルニー、ブルグミュラー。

 基礎練習はとにかくつまらないし、課題曲だって何度も弾いてりゃ飽きてくる。

 弾けたら弾けたで更なる完成度を求めて、反復練習が待っている。


 ピアノを弾き続けるには忍耐が必要で、そんな状態で弾いてて楽しいわけがない。

 じゃあどうして僕は、ピアノを弾き続けてこれたんだろう? 

 何が楽しかった?


 ピアノが楽しいと思える瞬間は、三つだけ。

 ひとつは、思い通りに弾けた時。

 ひとつは、人前で弾いて拍手がもらえた時。

 最後のひとつは――高速再生される思考のモニタが、その一瞬でピタリと制止した。


 ピアノを弾く伊織と……その傍に立つヴァイオリニスト。

 伊織とショパンは同時に振り返ると、幻影パガニーニに頷いた。


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