2-8 蒸気と竜と、新たな魔導④
「どうして僕が弾いてると、先生も弾くの?」
グランドピアノが二台並ぶレッスン室で、僕は演奏の手を止め隣の先生に振り向いた。
僕がショパンを弾くと決まって先生もピアノを弾き、勝手にセッションを始めてしまう。
「ショパンは生徒にピアノを教える際、即興でピアノを合わせ、セッションを始めたと言われている。何故だと思う?」
「暇になっちゃったから?」
「ははは、そうかもしれないね。でもきっと暇つぶしだけじゃない。作っていたんだよ」
「何を?」
「ピアノ協奏曲さ。このピアノ曲に他の楽器を合わせるなら、どんなメロディがいいだろう。それを奏でる楽器は何がいいだろうって、戯れにピアノで音を合わせ作曲してたのさ」
「先生も作曲してるの?」
「まさか。私は作曲できないけど、人がピアノを弾いてると無性に合わせたくなるんだよ」
「やっぱり暇つぶしじゃん!」
「バレたか。でもね伊織くん、君だって暇つぶしにゲームしたりするだろう?」
「僕はしないけど、妹はよくやってる。お母さんにしょっちゅう怒られてる」
「そうか。それでも妹ちゃんはやっちゃうんだよね? 何故だか分かるかい?」
「……楽しいから?」
「そう! 暇つぶしは何より楽しいんだ! 音楽の相乗効果を暇つぶしに楽しめるのは、僕ら音楽家の特権なんだよ!」
* * *
パガニーニは『ラ・カンパネラ』の主題をかき鳴らす。
それに合わせてショパンもピアノを奏で始める。
否、弾いているのはショパンだけじゃない。伊織もだ。
思考のモニタに映し出されたのは、ヴァイオリンにピアノ伴奏を付ける、かつての伊織。ピアノの譜面台に置いた伴奏楽譜を、ショパンの指がなぞっていく。
楽曲は、クライスラー編曲ヴァイオリンとピアノの協奏曲『ラ・カンパネラ』。
いつだったか知り合いに頼まれて、ヴァイオリンコンクールのピアノ伴奏に駆り出された事があった。
その時の課題曲がクライスラーの『ラ・カンパネラ』で、初めてヴァイオリンと合奏した伊織は心底驚いた。誰かと一緒に演奏する事が、こんなにも楽しいなんて。
パガニーニは自由奔放、勝手気ままな演奏を貫いてくる。
だからこそ繰り出される超絶技巧に、ショパンのピアノが食らいつく。
次はどうする、どう入る? これだこれ、これが楽しいんだ!
二人の連携がバッチリハマると、終始無表情だったショパンの顔にも、心なしか笑みが浮かぶ。興奮に頬染めるパガニーニは、今までより何倍も激しく、大胆に弦を弾く。
そして水竜が放ったウォータージェットブレスが、ロッティとティアを直撃した――はずだったが、ブレスは弾かれ四散する。
後に残ったのは、二つの丸い光のオーラ。
ロッティとティアはそれぞれ光のシャボン玉に取り込まれ、足が宙に浮いていた。
「そんな……私、魔導共鳴士なのに……今誰と、
「すごいよティアちゃん! 飛べるよこれーっ!」
ロッティが身体を揺すると、シャボン玉が宙でゆらゆら蛇行する。
ティアも同様に身体を傾けると、自由に空を飛べる事が分かった。
後ろを振り返ると、幻影二人の演奏姿が目に入る。
「パガニーニとショパンの『ラ・カンパネラ』が……飛翔の
「考えるのは後! いくよティアちゃん!」
二人は空中で頷き合うと、シャボンオーラは一転、ロケットの形となって飛んでいく。
あっという間に上空の水竜まで達すると、ロッティの体当たりが腹に命中。上方で振りかぶったティアの長尺音叉が、水竜を地上に叩き落とした。
更にロッティは長尺音叉に足を乗せる。
ティアが思いっきり振りぬくと、金髪少女は弾丸となって落ちていく。
崖登り途中の岩竜の下顎に着地すると、口内に
カラッポの腹中に無数のエネルギー弾を叩きこまれた岩竜は、たまらず崖から落下。流れていく瓦礫の上に落ち悶絶する。
二匹の竜は濁流に呑まれ、流されないよう踏ん張るだけで精一杯。
身動き取れぬまま上空を仰ぎ見ると、頭上で光の少女達が、大小それぞれの音叉を交差し力を籠めている。
『ラ・カンパネラ』――その由来は、
交差する音叉に鐘の音は鳴らずとも、光のエネルギーは幾重にも連なり高まりあっていく。
敵わないと悟ったか、二匹の竜は濁流に身を任せ遠ざかると、やがて飛び立ち逃げ出した。
ふらふらと飛び去る竜の後ろ姿を見送ると、蒸気機関車の乗客は一斉に歓声を上げた。
曲が終わると、パガニーニとショパンは伊織の前から立ち消える。代わりに飛びこんできた二人の共鳴士を迎えて、三人は互いの健闘を称え合う。
伊織は泣いていた。
この幸せのためならばどんな試練も乗り越えてやると、心に誓って。
怪我がなんだ。竜がどうした。僕はショパンと意識を共有し、パガニーニと一緒にセッションしたピアニスト。音叉魔導士という名のピアニスト。
この胸に響く音楽を、二度と鳴り止ませてなるものか!
* * *
「あらら、逃げちゃったの?」
蒸気機関車の先頭車両内。妙齢の女性は腕組みをして、呆れ顔を浮かべていた。
彼女の前に立つ筋肉隆々の男は、無言で頷く。
「まぁいいわ。実験は成功したわけだし」
女は肩を竦めると懐から巾着袋を取り出して、持っていた金属棒をしまった。
男はじっとその様子を見守っていたが、女は気にする素振りもない。しまい終わると男の横を通り過ぎ、さっさと車両から出ていこうとする。慌てて男も女の後を追った。
「急げ! まずは被害状況を報告しろ!」
避難していた鉄道員数名が、二人と入れ違いに機関車両内に入っていく。
最後尾の車掌が彼女達を呼び止めた。
「おい、あんた達、ずっと機関車両内にいたのか? 大丈夫だったか?」
「ええ、ぜーんぜん大丈夫だったわよ~。虎穴に入らずんばなんとやら。機関車両が一番頑丈に作られているのだから」
「くそ、退避する必要もなかったか。おい、点検急げ!」
車掌が大声で指示を出すと、鉄道員達は大慌てで確認作業を進めていく。
嫌疑の目が外れると女は顎で合図を送った。男は小さく頷くと、連結部分の隙間に身体を滑り込ませる。
「ん? あんたの連れはどこ行った?」
「なんかトイレ我慢してたみたいで、慌てて行っちゃったわよ~。じゃあ点検よろしくね~」
女は妖艶に微笑むと、一人客車に戻っていった。
* * *
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