2-9 蒸気と竜と、新たな魔導⑤

 ティアは新たな音叉『カプリス二十四番』の召喚魔導サモンスタイルを行使し、幻影パガニーニの腹を切り裂いた。

 列車の進行方向へ、手にした音叉を差し向ける。風籟ふうらいと共に竜巻が、泥を吹き飛ばしながら地平線目掛けて走っていく。

 後に残ったのは、陽光煌めく鋼のレール。客車の窓から身体を突き出していた乗客が、一斉に歓喜に湧いた。

 『カプリス二十四番』の楽曲の加護ムジカブレスが、線路の汚泥を綺麗さっぱり吹き飛ばした事により、立ち往生していた蒸気機関車もようやく発車の見通しが立ったのだ。


「お疲れ様ティアちゃん! 『カプリス二十四番』の楽曲の加護ムジカブレス、めっちゃすごかったよ!」

「竜巻もすごかったけど、演奏も最高だった……パガニーニのヴァイオリン独奏が目の前で聴けるなんて、夢みたいだ」

「ありがとうございます」


 笑顔で礼を言うと、ティアはきょろきょろと周囲に目を配った。

 先頭車両上、三人の周りに誰もいない事を確認すると、いつもより声を落として話し始める。


「でも私より、お兄さんの方が遥かに凄い事をやってのけています。二人同時の音叉共鳴レゾナンスに、飛翔の楽曲の加護ムジカブレス……どうやってショパンに、音叉と違う曲を演奏させたんですか?」

「僕にもよく分からない」


 ティアの疑問は、そのまま伊織の疑問でもある。

 しかし理由は説明できずとも、起きた事象は説明できる。


「ただ……一つ言える事は、あのヴァイオリンとピアノの協奏曲を知ってるのは僕だけで、ショパンは知らないという事実だ」

「え? でもショパンがピアノ伴奏を弾いてましたよね?」

「そうだ。僕の頭の中にある楽譜を、ショパンが初見で弾いたんだ」

「意味がよく、分からないのですが」

「さっき弾いたヴァイオリンとピアノの協奏曲『ラ・カンパネラ』は、ショパンの死後数十年経ってから出版されたクライスラー編曲版だ。ショパンが知ってるわけがない」


 パガニーニの『ラ・カンパネラ』が収録されたヴァイオリン協奏曲は一八二〇年出版。クライスラーは一八七五年生まれで、ずっと後の音楽家だ。


「つまり、あの時ピアノを弾いていたのはお兄さん……と言いたいのですか?」

「違う。パガニーニがショパンに共演を提案し、二人が自主的にセッションを始めたんだ」


 困惑の表情を浮かべるティア。意見を求めるようにロッティの顔を見ると――、


「あたしに脳味噌、使わせる気?」


 なぜか照れ笑いするロッティ。幼女はひとつ大きなため息を吐いた。


「……召喚魔導サモンスタイルは魔導士の五感を依り代に、音叉の音楽家を喚び出しこの世界に顕現させる、言わば霊魂召喚の魔導です。喚び出された霊魂は意思を持たず、ただ音叉の楽曲を演奏するだけ……。お兄さんはその霊に『これを弾いてくれ』とリクエストしたって事ですか?」

「そういう事だと思う」

「あり得ません! それなら、五感を同調シンクロしているショパンの手を操って弾いたって方が、まだ納得できます」

「それこそ、あり得ないんだよ」

「なぜですか?」


 ――大丈夫。君は弾けるよ。


 初めて召喚したあの日、ショパンは確かにそう言っていた。

 あの言葉も今考えれば、『君の代わりに、僕が弾いてあげるから』そう付け加える事もできる。


「……ほら」


 少し躊躇ったものの、伊織は左手を開いて見せた。

 手相すら判別できないほど大きな星型の痣を見て、ロッティとティアは息を呑む。


「そんな……」

「伊織……これって」

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