2-10 蒸気と竜と、新たな魔導⑥

 伊織は淡々と語る。


「指を素早く動かそうとすると、今でも少し痛みが走る。日常生活で困る事はないけど、ピアニストとしては致命的だ。でもどういうわけか、召喚魔導サモンスタイル中は痛くならない。同調シンクロしたショパンに合わせて、あんなに激しく動いてるっていうのに……」

「そうなんですか……」

「だから僕が僕の意思で『ラ・カンパネラ』を弾こうとしても、痛みで弾けないはずなんだ。そう考えれば、ショパンが僕の頭の中の伴奏楽譜を見て弾いたってのも、信じられるだろう?」

「理屈は……分かります。魔導共鳴士の私も、最初はパガニーニと五感を共有する事で演奏を始めますが、その後は彼が勝手に演奏してくれるので幻影から出て戦えます。でも……」


 ティアは伊織の左手を取ると、小さな手を重ねて優しく撫でた。

 その温もりすら、伊織にはほとんど伝わってない事も知らずに。


「音叉は一つしか、楽曲を籠められません。喚び出した音楽家の幻影は、その曲しか演奏しませんし、そもそも幻影は会話できるほど明瞭な意識を持ち合わせていません」

「やっぱりそうだよね……」

「ショパンは違ったんですか?」


 伊織の脳裏に蘇るのは、やっぱりショパンのあの言葉。


「ショパンは最初から僕に言ってたよ。『大丈夫、君は弾けるよ』って。パガニーニも『音楽を楽しめばいい』って言ってた。何より『ラ・カンパネラ』の演奏中、二人はアイコンタクトを取り合って、心から合奏を楽しんでるように見えた。とても意識がないとは思えない」


 ティアは腕組みし、考え込んでしまった。気持ちは分かる。

 もし本当に幻影とコミュニケーションが可能だとすれば、それは音叉魔導士じゃなく音叉霊媒師だ。


「お兄さんはちょっと……規格外過ぎて、私にはわけがわかりません。音叉魔導の常識を、完全に逸脱しちゃってます」


 ティアがお手上げポーズを取る一方、お気楽ロッティは好奇心に目を輝かせていた。


「もしかして伊織ならさ、同時に色んな共鳴士と音叉共鳴レゾナンス出来ちゃうし、色んな音楽家を喚び出せちゃうのかもよ!?」

「え? 魔導士って、一人の音楽家の音叉しか扱えないの?」

「普通はそうです。ただお兄さんの場合前者はもうやっちゃってますし、後者も……試してみなければわかりませんね」


 ティアは腰に手を当てると、その恰好のまま伊織とロッティに訊ねた。


「二人は、ヴァルソヴィアで魔導事務所を開くつもりなんですよね?」

「そうだよ。よかったらティアちゃんも一緒にやろうよ!」

「えっ?」


 突然の勧誘に、思わず訊き返すティア。


「だって、せっかく二人一緒に伊織と音叉共鳴レゾナンスしたんだから。ティアちゃんがいれば百人力かなーって!」

「それは……遠慮しておきます。私はヒップ教授の元を離れるわけにはいきませんので」


 こほんと咳払いし、ティアは表情を引き締め直した。


「それより。今日の戦闘は、私一人で二匹の竜を退治したって事にしてもらえませんか?」

「それは構わないけど……どうして?」


 ロッティは分かっていなさそうだが、伊織にはなんとなく察しがついていた。


「この事が魔導学院に伝わると、何か大変な事になる?」

「さすが頭脳労働担当。ご明察です」

「どして?」


 一人頭上にハテナマークを浮かべる肉体労働担当に、ティアは丁寧に説明する。


「ショパンという未知の音楽家をご存じな事、そのショパンを喚び出しパガニーニと共演させた事、共鳴士二人を同時に音叉共鳴レゾナンスした事……どれも世紀の大発見です。もしこれら事実が魔導学院の知るところとなったら、あなた達に魔導事務所開設の許可は下りないでしょう」

「ええっ!?」

「代わりに学院の適当なポストが与えられ、あなた達は教授の出世のために、魔音叉研究に協力せざるを得なくなります」

「ヤダって言って断っても? 強引に?」

「ええ。どんな手段を使ってでもね……」

「怖っ!」

「でも、言わなければ何の問題もありません。ヒップ教授への取次は私に任せて下さい。ショパンの魔導士である事は伝えますが、それ以外は秘密にします。二人とも、それでいいですね」

「はーい」

「分かった、助かるよ」


 話がまとまったところで、蒸気機関車の汽笛が大音量で鳴り響いた。

 車掌の「そろそろ出発するぞー!」の掛け声で、車外に出ていた乗客達が車両に戻っていく。

 伊織達もハシゴを使って列車の上から降りると、連結部を伝って客車へと戻っていった。


 その連結部、真下の線路。

 車両の下で仰向けになって隠れていた大男は、寝たままの態勢で、手に持つ音叉に指を触れ、振動を止めた。

 音叉をしまって車両下から這い出ると、何食わぬ顔で客車の中へと消えていった。


* * *


 一方。


「ふぅ……」


 崖上でうつ伏せになり、小型望遠鏡を覗いていた女性は、蒸気機関車が動き出すと小さく溜息を吐いた。


「ショパンとパガニーニが……一緒に演奏するなんて」


 女は立ち上がると、ホットパンツから伸びた素足を払った。望遠鏡を懐にしまうとコートの襟を立て、砂塵混じりの強風に首を竦める。


「どうしていつも……ううん。今はそれより」


 豊満な胸の谷間から、ネックレスチェーンに繋がった音叉を取り出すと、手首のブレスレットで軽く弾いた。ポーンと小さな標準音Aが鳴る。

 突風にたなびく長い黒髪を片手で抑え、女は走り去る蒸気機機関車に背を向けた。


 黒眼に浮かんだ涙を、風に飛ばせて。


 大音量の汽笛が鳴り響くとショパン『別れの曲』の旋律と共に、女は砂塵の風に消えていった。

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