2-6 蒸気と竜と、新たな魔導②

 ティアは空中で勢いを失った。そこに追い打ちをかけるように、再度青いビームが小さな身体を捉える。

 雷オーラが瞬きダメージを軽減したかに見えたものの、力尽きたティアはそのまま地上に落下してしまう。

 伊織は上空に目を凝らした。よく見ると晴天の空を迷彩色に、青い竜が浮かんでいる。


「あれは……水竜!?」


 ロッティの声をかき消して、細い水のブレス攻撃が再び地上のティアを襲う。

 伊織は以前学校の工場見学で見た、工業用ウォータージェットカッターを思い出していた。超圧縮した水を、極小径ノズルから噴出する水の刃は、どんな硬い金属も貫通できるという。

 水竜の放つブレスはまさにそれで……ティアの雷オーラを貫通しようと!?

 背後のパガニーニを振り返ると、幻影全体に大きなノイズが走っている。もう一刻の猶予もない。


「伊織!」

「わかった!」


 伊織は『革命』の音叉を取り出し、早口で召喚魔導サモンスタイルを行使した。音叉を受け取ったロッティは、一目散にティアの元へと駆けつける。

 ティアの見様見真似で五感の同調シンクロを解除した伊織も、先頭車両へ走る。幻影のショパンとパガニーニも、演奏しながら伊織の後を付いてきた。


 ロッティは音叉に宿したマグマの塊を放ち、水竜のブレスを相殺する。

 近付いてきた岩竜が幼女を踏み潰そうと足を上げた瞬間、素早くティアを掻っ攫い、先頭車両上に退避した。


「ティアちゃん、しっかり」

「ロッティ……一体、何が……」

「もう一匹、空に水竜が待機してたの。もうっ、竜は単独行動しかしないんじゃなかったの!?」

「そう……随分変わり者の、竜みたいね」

「そもそも走行中の蒸気機関車を襲うなんて、共存不干渉的にもあり得ないよ!」

「……がっはっ!」


 ロッティの腕の中、ティアは激しく身体を反らした。幼女の全身から放電による火花が飛び散っている。

 どうやら雷オーラは、ウォータージェットブレスのダメージを軽減してくれてはいたが、同時にティアの身体に感電反応を引き起こしていたようだ。小さな身体をビクビクと痙攣させるティアは、起き上がる事すらできない。


「伊織! ティアちゃんをお願い!」

「気を付けろよ、ロッティ!」


 振り返りざま親指を立て笑顔を見せると、ロッティは岩竜に走っていく。選手交代だ。


 爪攻撃を繰り出す岩竜を、音叉で迎え撃つロッティ。両者がぶつかりマグマが飛び散ると、岩竜は一旦飛び退いた。気合の咆哮を上げ、地響きを立て突進してくる。


 炎属性の『革命』は水に強いはず。本来であれば水竜相手に戦いたいところだが、そっちは空に浮かんだまま降りてこない。

 代わりにマッチアップを挑んでくる岩竜は、動きは鈍いが力は強い。真正面からの突進も、少々の被弾はお構いなしだ。

 ロッティは連撃しながら竜の突進を躱すと、その背中を狙って更に炎弾を放つ。


「きゃあっ! この、卑怯者!」


 その隙を、空の水竜は見逃さない。岩竜に攻撃するロッティの背中を狙って、ウォータージェットブレスを放ってくる。間一髪、ロッティは勘だけで水のブレスを回避した。


 スピードのロッティとパワーの岩竜はほぼ互角。しかし空から水竜の援護射撃があるなら、その均衡は保てない。

 連携して戦う二匹の竜に、さしものロッティも防戦一方。このまま戦い続けても、いつかスタミナ切れでやられてしまうだろう。


「くそっ、どうすれば……」

「これを……使って」


 伊織の腕の中、荒い呼吸を繰り返すティアは、ポケットから音叉を取り出した。


「お兄さんならきっと、使いこなせます。聞かせて下さい……あなたのショパンを」


 差し出された音叉を、伊織は小さな手を包みこむようにして受け取った。

 その瞬間、音叉が息を吹き返したように激しい明滅を繰り返す。


「ありがとう。そこで聞いててくれ」


 もうこれに賭けるしかない。

 伊織は立ち上がると、新しい音叉をベルトバックルに弾いた。標準音Aに続き鳴り響くは、ショパン即興曲第四番遺作――『幻想即興曲』


 初めて使う音叉には、全く違う詠唱が必要になる……それでも伊織に不安はない。

 なぜなら、召喚魔導サモンスタイルとは即ち、音叉に眠る音楽家を喚び覚ます儀式だから。

 曲想を伝え、音楽家自身に曲を演じてもらうよう、真摯に呼び掛ける事に他ならない。

 その本質はソルフェージュ――作曲家の想いを楽譜から読み取り、鍵盤に伝える力。

 奇しくも召喚魔導サモンスタイルは、伊織の演奏方法プレイスタイルと同義なのだ。


「音を導き閉じこめられし魔導の音叉よ」


 伊織は目を閉じる。

 暗闇の中、思考のモニタに映る絵は、怪我した直後の鬱々とした日々。


 成果の上がらないリハビリを医師に相談すると、「ピアニストのような繊細な動きをする指には、もう戻らないでしょう」と言われた。

 病院からの帰り道は、何も覚えていない。気付くと机に教科書を広げ、勉強を始めていた。

 教科は楽典、楽譜の読み書き、偉大な音楽家たちの足跡・楽曲の構造を学ぶ座学だ。

 筆記試験で優秀な成績を収めれば、今の演奏でも音大に入れるかもしれない。

 無駄なあがきと分かっていてもそれに縋るしかなかった僕は、特に好きだったショパンにひたすら詳しくなっていった。

 結局ピアノの先生に破門され、音大受験を諦めざるを得なくなったが。


「御身が主の調べをしばし解き放て」


 今なら言える。

 あれは無駄なあがきなんかじゃなかったって。

 ショパンを弾いた経験が、想いを寄せた時間が、今僕をショパンの魔導士たらしめてくれる。


「来たれ魔導士イオリ・タレイシの名と身において――」


 『革命』と同じく『幻想即興曲』も、ショパンの名付けではない。友人フォンタナがショパン没後数年経ってから『幻想即興曲』と銘打ち、初の遺作として出版したのだ。

 楽譜に記された年号は一八三四年で、ショパンが二十四歳の時に作曲した事が分かっている。


 時は過ぎ一二〇年以上が経過した一九六二年。ポーランド出身のピアニスト・ルービンシュタインは、ショパンの自筆譜『幻想即興曲』を発見した。

 その楽譜はフォンタナ版と比べると、いくつか差異が認められ、『一八三五年、エステ侯爵夫人に献呈』と書かれていた。


 フォンタナ版一八三四年に対し、ルービンシュタイン版は一八三五年。

 ショパンは一年かけて『幻想即興曲』を改稿し、エステ侯爵夫人に贈った事になる。


 ならばショパン。僕はあなたにこう伝えよう。


「演じよショパン、大恩あるエステ侯爵夫人に献呈せし初めての即興曲。幻の蜘蛛が鍵盤を這うが如く、想いを旋律に乗せた嬰ハ短調ピアノ曲。作品ナンバー六十六遺作――『幻想即興曲』を!」

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