2-5 蒸気と竜と、新たな魔導①

「二人とも、付いてきて!」


 音叉の入ったケースバックを背負うと、ティアはボックス席の窓枠によじ登り、逆上がりの要領でくるりと車両天井に上がっていく。

 続いてロッティが、これまた軽やかな身のこなしでティアの後を追った。

 伊織はなんとか窓枠に立つ事まではできたものの、ここからどうすればいいか分からない。まごまごしていると頭上にすっと金属棒が差し出された。


「しっかり掴んで下さい、引っ張り上げます」


 特大の二又を両手で掴むと、すごい力で引っ張り上げられる。

 なんとか車両上に降り立つと、耳を塞ぎたくなるような金属音、足裏に伝わる強烈な振動が出迎える。

 先頭車両に目を向けると、巨竜が機関車相手に強烈なパンチを何度も浴びせていた。


 洞窟で戦った炎竜は、岩盤を叩き割る事もできなかった。しかしこの竜は……鋼鉄製の機関車両がみるみる変形し凹んでいく。比べ物にならないパワーだ。


「あれは岩竜がんりゅうです。動きは鈍いけど力は桁外れに強い。このままだと機関車両内の圧縮蒸気が空気中に漏れ、水素爆発を起こしかねません」


 ティアは冷静に状況を分析する。慌てたロッティが伊織に叫ぶ。


「伊織! 召喚魔導サモンスタイルを」

「分かった」

「ちょっと待って下さい」


 戦闘準備に入る二人を制し、ティアは一歩前に出た。

 まだ小さい女児の手には、伊織を引っ張り上げた時に使った、長さ一メートルほどの長尺音叉が握られている。


「お見受けしたところお兄さんは、共鳴士としての訓練は受けておられないようですね」


 二人の前に立ったティアは、小さな背中越しに訊ねてくる。伊織は肩を竦めた。


「僕は頭脳労働専門なんだ。肉体労働はロッティに任せている」

「それ、初耳なんですけどっ!?」

「そもそも魔導士は、皆筋肉ムキムキじゃなきゃダメなのか? もしかしてティアも!?」

「失礼ですね。私のようなか弱い美少女が、ロッティみたいなマッスルボンバーに見えますか?」

「失礼なのはティアちゃんも一緒だよ!?」


 ティアは横顔で後ろを振り返ると、こらえきれず吹きだした。

 その子供らしい笑顔とは裏腹に、大剣のような長尺音叉を軽々と振り回し、上段に構える。


「ここは私が引き受けます。ロッティ達はここで待機して」

「分かった。ティアちゃんも気を付けて」


 ティアは長尺音叉を振り下ろすと、思いっきり車両端に叩きつけた。

 たちまち空気を震わせる、標準音Aの世界がこだまする。


「音を導き閉じこめられし魔導の音叉よ、御身が主の調べをしばし解き放て。来たれ魔導士ユースティア・ドラテフカの名と身において」


 天使のようなクリアな詠唱。

 幼な声が呼び水となり、激しいヴァイオリンが聴こえてくる。


「そんな、まさか……」


 ティアの長尺音叉から流れ出た音楽は、またしても伊織にとって馴染みのある曲だった。

 ピアニストなら誰もが知る名曲の、ヴァイオリン原曲。

 悪魔に魂を売って手に入れたと言われる超絶技巧を駆使し、同世代全ての音楽家を魅了した――。


「パガニーニの……『ラ・カンパネラ』!?」


 伊織の大声に、ティアは目を見開く。そしてすぐ、天使の微笑みのように目を細めた。


「やっぱりお兄さんはすごいです。ヴァイオリンの曲まで言い当ててしまうなんて」


 刹那、天使の頭上に悪魔が顔を覗かせた。

 ティアの背後から、ヴァイオリンを顎で挟んだ小男が、不気味な嘲笑と共に姿を現す。


「演じよ、悪魔に魂を捧げし男ニコロ・パガニーニ。ヴァイオリン協奏曲コンチェルトロ短調No.2-Op.7、第三楽章ロンド・アレグロモデラート――鳴り響く鐘の競演を、超絶技巧で響かせよ!」


 病人のようにやせ細り、浅黒い肌と細長い指を持つパガニーニは、小さなティアの身体をすっぽりと包みこんでしまう。まるで絵画に描かれた悪魔が、生贄の幼女を喰らってしまったかのように。

 パガニーニは幻想の弓を弾き、ヴァイオリンを奏で始める。

 切ない弦の嬌声がオーケストラと絡み合い、甘美な響きに変わっていく。


 演奏が続く中、ティアは長尺音叉で幻影パガニーニの腹を切り裂き、中から飛び出した。

 幼女は紫のオーラを纏い、巨大な音叉から小さな稲光を四方八方に飛ばしていた。


「あれは……雷の古代魔導レガシーオーダー!?」


 驚く伊織を置き去りに、ティアは電光石化、一直線に先頭車両へ。

 あっという間に岩竜との距離を詰めると、竜の頭に思いっきり長尺音叉を打ち付けた。

 小さな女の子が繰り出したとは思えない強烈な一撃に、岩竜は地面に圧し潰され、反動で巨体を宙に浮かす。

 曝け出された巨大な腹に、落雷の如き強烈な一閃が放たれる。


 幼女とは思えない戦闘能力を見せつけられ、伊織は言葉も出ない。

 隣でロッティが、またしても得意げな顔を見せている。


「これがティアちゃんの戦い方――魔導共鳴士。自分で自分に音叉共鳴レゾナンスするから最初から強い古代魔導レガシーオーダーで戦えるし、守るべき魔導士もいない。究極の召喚魔導サモンスタイルとも呼ばれているのよ」

「魔導士自身が幻影から飛び出して、共鳴士として戦えるって事か……」


 確かに今のティアは、音叉共鳴レゾナンスした共鳴士そのものだ。

 後ろでは幻影パガニーニが、一人で演奏を続行している。

 五感の同調シンクロ音叉共鳴レゾナンス後に解除すれば、魔導士も動けるのか。


 ティアは長尺音叉を振り回し、何度も強烈な打撃を叩きこんでいく。そのたびに電撃がスパークし、岩竜は顔を歪ませる。

 手数に勝るティアに、岩竜は反撃の糸口すら見いだせない。ついには膝を付き、完全に動きを止めてしまった。

 トドメの一撃とばかりに、ティアは大きくジャンプした。


 岩竜の脳天に長尺音叉を振り下ろそうとしたその時――空を切り裂く青い斜線。


「なっ……」


 上空から放たれた強烈な一撃は、背中から幼女の身体を貫いた。

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